8-2
★
「それで、エレキギターも買ってくれたんだ、お父さん」
試聴していた曲が終わったらしく、ヘッドホンを取るなり谷さんは言った。直前に、先日父に会った話をしていたのだった。一瞬そのことを忘れていたわたしは呆け、それから思い出し、あわてて首を振る。
「や、また高価なギターだったら困ると思って、断りました。入学祝いにってことだけど、お祝いならもうもらったので。当面は北川くんが貸してくれるって言ってたし」
「なんで? いいヤツのほうが絶対いいじゃん。消耗品じゃないし」
「うーん、とりあえずまだ全然ダメなんですよ。もう難しくてむずかしくて」だからまだ自分のギターを持つ段階ですらない。というか、いまだ重さに慣れないし、今日だって左肩は絶賛筋肉痛中である。ミュージシャンの人って何か特別なケアなんか、しているのだろうか。
「でも朝ちゃんはすでにギター上手いじゃん。なんか違うの? エレキギターって」
「ぜんっぜん違うんですよ! アコギの感覚で弾くと音が汚い。なんかガサガサってなるんですよね」
「ガサガサって何?」
「んー、なんて言ったらいいだろ……弦の硬さがちがうからかなあ、あのですね」
わたしは手に持っていたCDを棚に戻すと、膝立ちのまま空中でギターを抱える恰好をする。実物がなくてうまく説明できるだろうか。ブリッジミュートとかオルタネイトピッキングとかって言って、伝わるだろうか……わたしはすばやくあたまのなかでわかりやすく解説をするべく、言葉を組み立ててゆく。ブリッジミュートはストロークするときに右手の腹を弦に当てておくことで、これをやるとパワーコードがきれいかつこなれて聴こえるのだけど……ああ、実際弾いてみせるほうがはやい。
「てか忘れてませんー?」
頭上で第三者である男の人の声が降ってきて、我にかえる。そうか、ギターの実物ならあるじゃないか、だっていまからまたバンド練習だし、なにしろここは、
「ギターの話じゃなくてCDを聴いてくださいよ。ここオレん家なんですけどー」
北川くんの家である。そうだった。
「そうだった。北川くんこの曲超かっけーね。好きになりそう」
「おっ! よかったっすか! 嬉しーな、超いいっすよね、ニルヴァーナ」
「借りていーの?」
「もちろん! 他にも何枚かあるんすけど、なんならCDRかMDかに録りましょうか?」
「マジで? それ超助かる。サンキュー北川くん」
「いやあこれぐらい」
今日は約束していた、谷さんとのデート、あらため、北川くん家にCDを借りにきた日。今日はバイトが休みだったのだ。
二階一戸建て、階段をあがったすぐが北川くんの部屋だった。左側の壁一面がぜんぶ、CDラック。反対側はベッドで、その枕元、ドア正面の壁と右側の壁とのコーナーに勉強机が置いてある。机の半分をおおきなMDコンポが陣取っていて、あとのスペースをマンガや音楽雑誌が埋めている(どこで勉強をしているんだろう)。
ドア正面は出窓だ。カウンターになったその下にギタースタンドが置いてあり、今はアコギが一台、エレキギターが二台立てかけてある。この人は高校生だというのに、何台ギターを持っているのだろう。わたしに貸し出し中の曲線がまるっこくてかわいい黒白のギター(ストラトキャスターというらしい)をはじめ、いつもスタジオで使用しているツヤツヤとした真っ黒のギブソン、そして赤みがかった黄色いボディがグラデーションになるように外側へ向かってふちの黒くなった、これもギブソンのギター。年季が入っているのかボディは傷だらけで、ところどころ小さくではあるが塗装がはげてしまってる箇所もちらほらと確認できた。でもそれが高価なのだろうなということは、なんとなくわかった。
「それいいっしょ。ヴィンテージで超高かったんだぜ。オレの宝物」
「よく買えたね。何十万もするんじゃないの?」
「そう。それがさ、ホリオにあって、初めて見た瞬間に『これだ!』ってなったの。で、くれ! っておっちゃんに言ったんだけど、くれないから働いて代金払うことにした。もう終わったけどね。でも何台でもギター欲しいし、ずっとバイトしてる」
「え、北川くんもホリオ楽器で働いてるの?」
「も、って? うんそう。凄げー時給安いけど」
それにしても、おびただしい数のCDである。着いてすぐ、壁一面全部CDという圧巻すぎる光景にしばらく呆然としていたら、ドアから顔だけだした北川くんに「朝日ちゃんのはこっちに用意してっから」と手招きされた。二階のもうひとつの部屋が正真正銘、ライブラリーなのだった。予想を遥かに上回るそのコレクションには、舌をまくしかなかった。アキちゃんもそうとうの音楽マニアだったけれど、この量は……ツ○ヤだ。ツ○ヤが開ける。
バンドを組むことになっていちばん驚いたのは、なんといっても、
「もう文化祭まで二ヶ月ないんだから、寝る間も惜しんで練習はもちろんのことだけど、音もしっかり聴かなきゃ。まあ音はさ、寝てるあいだにも聴けるけど」
「ほんとうに鬼だよね」
すでにわたしの初ステージが決定していることだった。しかも、あと二ヶ月もないうえ、うちの高校の文化祭って、
「知ってるよー朝ちゃんたちのガッコ、音楽祭みたいな感じなんだよね。二日目フェスみたいな感じになるんでしょ?」すげーCDの量。店みてー。と言いながら、谷さんがやってきた。
「そうなんすよ。前夜祭はカラオケ大会、初日は吹奏楽とか琴とか文科系、で最終日が一日バンドのライブ。吹奏楽も強豪だし、音楽系に力入ってんですよね。インディーズで有名な奴らもいるし、それ目当てにレコード会社が見に来ることもあるそうっす。そうそう、最後はプロのライブもあるし。今年は×××だぜ朝日ちゃん。テンションあがるよなー!」
音楽系高と名高いわれわれの高校からは、プロのミュージシャンとしてデビューした人たちも数しれない。とくに文化祭最終日は終日さまざまなジャンルのバンドが入れ替わり立ち代り演奏をするのだけれど、それもひとつの伝統行事の様相をしめし、外部の音楽マニアのために毎年限定200枚分のチケットが販売されるが、一日でソールドアウトになるらしい。
「オレらん学校、大学までエスカレーターなんで、他の高校より音楽に専念できるんっすよね。受験勉強しなくていいから。それで音楽がやりたくて受験するヤツらが多いんっす」
「なるほど。だからバンドとかのレベルも高いんだー」
「ねえ北川くん、本気で言ってる? わたしがそんなとこ出るとか本気で無理なんですけど」
「や、もう今更キャンセルできねーよ。練習あるのみ。大丈夫。オレがついてるからさ……」
フ、といい顔で微笑む北川くん。殴りたいと思うのは、
「でもこんなのエントリー無効だよ! わたしが加入決める前じゃんか六月って! 何勝手に人の名前書いてるのっ」
すべては北川くんの暴走だからである。
「まあまあ」と谷さん。なんてすてきな笑顔だろう。ああ和む。
「朝ちゃんマジで上手いし、全然大丈夫だよ。優勝しちゃうんじゃね?」
「大会じゃないですよ、谷さん」
「ホント心配しなくてもいーって、朝日ちゃん。そりゃあエレキは持ってもらおうと思ってるけど、メインの聴かせどころとかはオレが担当すっから、朝日ちゃんはパワーコードでジャカジャカやってくれてたらいーよ。アコギで何曲かやってもいーしね。オアシスとかレディへとか」
「安請合いもたいがいにしてほしい」
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