7-3







 パイプ椅子に腰かけたわたしは両手で顔を覆い、体を折った。そのままの姿勢でじっとすることしばし、どれくらい時間が経っただろう。

 普段自分が弾いている曲では合格にはならないということは、わかっていた。音の鳴り方が違う。北川くんたちが出ていってすぐ、いくつかのコードを押さえてみて、舌打ちをしそうになった。たしかにおおきな音。なのに、なんでこんなに平坦な音しか鳴らないんだろう。違和感しかなかった。

 一方で、自分がほとんど興奮と言っていいほど高揚していることもわかっていた。

 北川くんからギターを受け取ったとき、ストラップを肩にかけて自分の腕のなかに収まったとき、わたしはそれがすでに自分の体の一部に馴染んだことを感じた。一目惚れだった。わたしはすでに、それの魅力に引きこまれている。それの持つ、可能性、それが連れていってゆくだろう場所。

 大丈夫。できる。

 わたしは、バンドのメンバーに誘われたんだ。つまり、ひとりでステージに立つわけではない。

 さっき北川くんだって言っていたではないか。ここに、彼のギター、ドラム、ベースの音が乗ることを想像して、あくま四つの柱のうちのひとつとしての、音をつくらなくては。

 だったら、かんたんだ。


「五分経ったよー」


 重厚なドアが開き、明るい声とともに、和也先輩が顔を覗かせる。続いて和樹先輩ほりおさま、北川くんが部屋に入ってくる。わたしはハイと言って立ちあがり、ギターを抱えなおした。

 なんで今、この曲なんだろう。アキちゃんの思い出にふたをするよう聴かなくなってからもう、ずっとその存在を忘れていた。ずっと――彼らが演奏するのを、五年ぶりに聴くまで。だから、すべてを思い出すのに五分もかかった。

 でも、歌詞もギターの音もしっかり耳に残っているのは、これしかなかった。これしか、思い浮かばなかった。目を閉じ手を伸ばせば、そこにたしかな存在を、手触りを認めることができる音。そんなの、この曲以外ありえなかった。


 ピックを握る人差し指、親指と別の指——中指で、トン、トン、トン、と拍を取る。

 1、2、3、

 それから、すっと息を吸いこみ、架空の四拍めを数え、


 静かに、コードを鳴らす。たった一音で、彼らは、わたしが演ろうとしている曲がわかったようだった。


 弾きなれないギターで原曲のテンポはいかにもむずかしい。弦を押さえる指の加減に難儀する。ブラッシングがうまくいかない。が、それでも勢いで突きすすむ。意外と悪くないように思えた。

 ギターに加えドラムが、ベースが介入してくるその様子を思い出しながら、ピッキングを強める。足を大きく踏み込み、リズムを取る。

 肩のうしろから、すぐ耳もとでアキちゃんがささやいた。


 ――イントロがもう、ぞわぞわするでしょ。


 うん。そうだね、自分で弾いてみてやっとわかった。

 ここだけ、何度繰り返し聴かされたことか。それは五年もの歳月が経った今でも、忘れることなく、くっきりと鮮やかにわたしの耳のなかに残っていた。ばらばらに散らばったピースが今カチリと完璧に絵をむすぶ。まるで時が遡ったようだった。アキちゃんと、わたしと、ヨルが、並んで三角座りをしてじっと、ビクターのスピーカーを睨んでいた頃……。

 ピックでやさしく弦をはじく。繊細なリフ。ボディを指で叩く。タタタン、タタタン、ドラムのリズムをとる。

 愉しい。


 昨日の三人の音を思いだす。正確なビートを刻む和也くんのドラムを、メロディーを支える和樹くんのがっしりとしたベースの音を、北川くんの華やかなギターを。でも、真似なんかするつもりはなかった。わたしのほうがうまいでしょ? って、多少不遜なくらいじゃなきゃ、感心してくれないってわかっていた。

 挑戦するように、入口付近に立って腕を組んでいる北川くんを睨んだ。低い声が出ず、1オクターブ高く歌う。


   やあ、気分はどうだい。最低だろ?


 サビに入る。

 かすれた声でどなる。明日はきっと声ががらがらだ。ストロークを大げさにする。弦を押さえる指にちからが入る。加減が難しかった。MV 《ミュージックビデオ》でカートがしていたように、体を揺らす、跳ねる、頭を振る。途中から、もう、試験官たちのことはほとんど忘れていた。一切見なかった。


 最後の一音をガツンと鳴らし、余韻を味わう。

 その一音もやがて夜の空気に溶け、真夜中近いスタジオに静寂が戻る。


 あー。わたしは思った。

 やばい。二番の歌詞が完全に飛んだ。ひずんだギターのリフが印象的な間奏のあとの歌詞は、歌っているうちに思い出したのだけれど。二番はまったくだめだった。ごまかすよりはハッキリと歌えたほうがいいと思って、一番の歌詞をまるまま歌ってしまった。五分かけて記憶の底から手探りで引きあげてきたつもりのコードも、指の隙間から砂がさらさらと落ちてゆくように結局は途中で見失い、ところどころ作曲してしまった気がする。手作り感半端ない。見返してやろう、なんていきがって、またも撃沈だ。試験官たちの存在については、演奏後すぐに思いだした。沈黙。

 つらい、沈黙だった。


「し」


 最初に静寂を破ったのは、和也先輩だった。

 そこでようやく、わたしは顔をあげ、彼らの表情を確認する。


「痺れた……やばい! すげー! かっけえ! やるう!」


 目をらんらんと輝かせ、早口でどんどんまくしたてる和也先輩の隣で、和樹先輩は激しく手を叩きだした。


「めっちゃよかった! な、な、よかったな!」和也先輩は興奮しきったふうに、高い声で隣の和樹先輩の肩をばしばし叩いた。その堀尾先輩ぶんぶん頷く。

「……無表情で卑猥なこと歌うから、正直興奮して勃」「やめとけ」

「え?」

「いやー、カッコよかった。ニルヴァーナとか知ってんだね? まさかそこ選ぶかって! マジでびびったわー」


 こ、好印象……へにゃへにゃと、その場に座り込んでしまいそうだった。


「朝日ちゃんさ、ホントに今日初めてエレキ触ったんだよね? や、ギター上手めえのは知ってたけどさあ、めちゃウマだね、マジで。なあ、北川さん? これはもうぶっちぎりで合格なんじゃないっすかー?」


 和也先輩の言葉に喜びふにゃふにゃしていたわたしは、すぐさま我にかえった。そうだとも、安心するのはまだ早かった。審査長がいた。

 北川くんは。

 北川くんは、わたしの今の演奏を聴いて、やっぱりわたしが欲しいって思ってくれた? 期待どおりだった? がっかりはしなかった?

 わたしは、北川くんの顔をみた。ドア横の壁にもたれ、腕を組んで立っていた彼は体を起こし、柔和な微笑みを浮かべ、こちらへと足を向けた。


「二番の歌詞、まったく忘れちゃったみたいだね」


 ニッコリとして、北川くん。ううう、やはり、そこ突きますよね。


「あと、ずっとアコギ一本で演奏してたから、朝日ちゃんの弾きかたって、やっぱり無駄に音が多いんだよね。曲全体の感じを出す必要ないんだよ。バンドのギターっていうのは。オレの言う分厚い音っていうのは、また意味が違うっていうか」


 わたしの前に立った北川くんは爽やかに笑いながら、言葉を続ける。


「もう一つ。ストリートでやってる人ってさあ、やっぱマイクを上手く使えないことが多いんだよね。あんまりカラオケには行かない? 使い方がね、ハッキリ言って下手だった」


 一本一本の矢が容赦なくわたしの体に突き刺さってゆく。下手……。


「でも」と言い、北川くんがすっとこちらへ、手を差しだした。とてもいい笑顔だ(やっぱりこうやってみるときれいな顔)。「今指摘したとこさえ克服すれば、いいギタボになれると思う。あらためてよろしく、朝日ちゃん」

「え」

「一応は及第点かなってこと。まあたくさん練習してもらわなきゃいけないけどね」


 よ、よろしくお願いします。

 なんだか釈然としないものの、バンドとはこういうものなのだろうと理解しようとする。

 おずおずと手を差しだそうとしたところで、


「ッ!」


 右方から飛んできた手刀が北川くんの頭を揺らした。頭を抱え、しゃがみこむ北川くん。和也くんの愛の鉄拳がお見舞いされたのだ。


「な、なんで殴る」

「すっげー腹立ったから、朝日ちゃんの代わりに」

「はあ!? なんで」

「なんでは俺ら全員だろ。なんで誘っといて、上から目線なんだよ」

「だから合格にはしたじゃんか。これから長くやってくんだし、直してもらわなきゃいけないとこは言わなきゃ直らないっしょ? 直らなきゃ続かな……いッ、いたいいたいいたい和樹くんッ」


 今度は和樹くんが北川くんの耳を引っ張った。表情の変化は見られなかったが、腹をたてているらしい。いたいいたいと半泣きでわめく北川くんを指差し、うすら笑いを浮かべながらわたしの隣に移動してきた和也くんが、「朝日ちゃんも殴っていいよ」と言った。

「いや、まあ、はは」一歩下がるわたしの目の前で、和樹くんにヘッドロックされた北川くんは、苦しい苦しいギブギブと叫びながらもなぜか嬉しそうなのだった。和也くんも、その輪(輪?)の中に突入してゆく。仲がいいのだ、彼らは。

 いいなあ、とちょっと思ってしまった。そしたらもう、一連のくだりが終わったようにすっきりとした彼らに、「これからよろしく」と手を差し出されてしまっては、握手を交わすしかない。


 そうして、わたしたちはバンドを結成することになった。


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