7-2


 北川くんは、先ほどまでチューニングをしていたギターを差しだした。普段わたしが弾いているアコースティックギターではなく、ロックミュージシャンが使用することでおなじみの、エレクトリック・ギター、いわゆるエレキギターである。え?


「え?」

「一曲弾いて。曲選は任せる」


 え?


「え、待、えっ? わ、重っ」


 北川くんの手が離される。すると、それが予想外の重量感を持っていることを全身で知ることになったわたしの膝が、がくんと揺れた。あっけにとられる。生まれて初めて触るそれは、普段アコギに慣れているわたしからすれば、まったく別の楽器に思えた。なんてったって、重い。世のギタリストはみんなこんな重いものを肩からぶらさげて一時間も二時間も立ったまま演奏したりしているのか(できる気がしない)。

 しかし重いのはあたりまえだ。ボディが完全空洞になったアコースティックギターとは違って、エレキギターは中身がぜんぶ詰まっているソリッド・ボディ、いわば木のかたまりなのだから。

 それにしても、


「え、なんかボディちっちゃくない? 薄っす……え、何この……」差し出されたピックも受け取り、試しに弦を弾いてみる。音がぜんぜん出なくて、まるで小学生が図工の時間に工作した手作りギターみたいなに、ぺらぺらなのだった。

「ボリュームゼロなんだから音が出るわけないじゃん。ほら」


 ペンペンと弦をはじいていると、横に立っていた北川くんがボディについたつまみのひとつをぐるんと回した。途端に、


 ぎゅうわああああん


「ぎゃっ」


 スタジオ内に轟音が鳴り響き、わたしはギターもピックもほっぽりだして両耳を押さえた。それは獣の慟哭にも、怒りの雄叫びにもきこえた。ピックが床に転がる。ストラップを肩に掛けていたため、ギターを落とすような失態をおこさなかっただけ、及第点がほしかった。耳元にはまだピンポン球くらいの余韻がぼんやりと浮かんでいる。ぼうぜんとしてしまう。

 和也先輩はこちらを指さしゲラゲラ笑っている。和樹先輩……堀尾様は相変わらずの無表情だった。


「お、音でかすぎない!? 近所迷惑だよ」やっと気をとりなおす。

「ここ防音。それに、ライブではもっとでかい音出すよ。音量はこれでよし。マイクもセットしたから、これでやってみて」


 わたしはためしにマイクヘッドに向かって声をだしてみた。そして文句を言う。


「ちょ、こんなんじゃ、マイクもっと音大きくしなきゃギターの音で歌聴こえないと思う」

「これ以上は大きくできない。ハウリングするから」


 そう言って北川くんは、スタンドにはまったマイクの音量を上げて見せ、ヘッドの部分をバンと叩いた。キィィィンと、耳障りな音が鳴り響く。また悲鳴をあげてしまう。「ね?」ねって何?


「だからボーカルは肺活量が重要になってくる。実際はここにもう一台のギターとリズム隊、ベースとドラムが合わさるんだから、下手したらボーカルの声が打ち消されてまったく聴こえないってこともあり得るよ」

「えーっ、そんなの困るじゃん……」

「だから、テスト。朝日ちゃんは今までストリートで歌ってたから、マイク効率よく使えないんじゃない? そんなの困るのはこっちも一緒だよ」


 あまりの言い分である。何それ。わたしは面白くなくなって、じっと北川くんの顔を見た。ここ数日で、彼への印象は180度も変わった。きっと彼実際は女の子にモテないなと思うことで、すこしだけ溜飲を下げるが、むかつくことにはかわらない。


「……10分ちょうだい」


 影のようなもやのような黒く実態のないものが、腹のうちに沸き起こり、じわじわ体じゅうに充満してゆく。

 アッと言わせてやりたい。心底仰天して、参りました、我々はあなたのことがほんとうに必要なのですと言わせてやりたい。


「そんなに待てない」

「じゃあ五分でいいから、ひとりにさせて。五分経ったら入ってきてくれていいよ。そしたらやるから」

「ちょ、北川、お前アコギとエレキは別の楽器だつって言ってたじゃん。朝日ちゃん初めて触るんだろ? 無茶振りすぎるって」和也先輩がここでやっと、わたしのフォローに回る。でも、もう遅かった。

「できないの? できるよね? それくらい」


 冷めた目だった。わたしは唇を噛んだ。


 ――アキラの妹だろう、お前。こんなこともできないのか?

 ――これくらいできますよね。あの子の妹なんだもの。


「……できる」


 だってわたしには、これしかない。

 だってわたしは、“あの子の妹”なんかじゃない。


 やっと何か、見つけられたんだ。アキちゃんにも負けないこと。

 もう誰にも比べられたくない。わたしは胸を張って、こう言うのだ。

 わたしは、“わたし”だ。







「お前らムキになりすぎ。結成してすぐこれって、絶対えすぐダメになるパターンじゃん」

「まだ結成じゃねーよ、和也くん。これはオーディションなんだから。結果がダメなら、なしだよ。不採用」


 彼女のスタンバイを待つことになった三人は、今しがたロビーに出てきたところだった。リーダーとしての責務というよりは単純に幼馴染をたしなめるつもりで開口一番、北川くんに掛けた言葉になんら効果がなかったことを知り、和也くんは深々と溜息をついて、ゆるゆる首をふった。

 どっかりとソファに座り込む北川くんの様子を眺め、和也くんは、こいつの音楽バカ真面目加減にはときどきついていけなくなると考えていた。普段の外面のよさも、ひとたび音楽が絡めばつるりと卵の殻のごとく、剥がれてしまう。彼の周囲にはつねにたくさんの女の子たちがいるが、そんな本質を知ってか知らないでか、真剣にアタックしてくるツワモノはいないことを、和也くんは嬉しような憐れなような、とにかく複雑な心持ちで見守っているのだった。一方、北川くんの隣に腰を降ろした和樹くんは、ひとり我関せずといった風体で、制服のスラックスの後ろポケットに突っ込まれていたむきだしの文庫本を取り出し、続きを読み始めた。うちの奴らの勝手なこと。呆れを通り越して、むしろ微笑ましい。和也くんは彼らのことが嫌いではなかった。

 ギターと名はつけど、エレキとアコースティックでは、構造から音の出しかたから、全てが似て非なるものである。

 同じ六弦の楽器だから、同じ弦を押さえれば同じ音が鳴るかもしれない。だが木の胴をくり抜き、はじいた弦の音を響かせ増強して鳴らすアコースティックギターと違い、エレキギターははじいた弦の音を信号化してスピーカーから音を流す。中身が詰まっているために、小ぶりでも重厚感はあるが(先程、生まれて初めてエレキギターの重さを体験したらしい朝日の様子を思い出し、和也くんは笑みをこぼした。ずいぶん重かったのだろう、目がまんまるになっていた)、ネック部分は比較的細身で、アコースティックギターに比べれば難易度の高いセーハと呼ばれるコードも押さえやすいだろう。しかし。


 ソファに体を投げ出した姿勢でじっとしている北川くんは、考えていた。

 しかし、エレキギターにはアコースティックギター特有の繊細さがないから、表現のしかたが鍵だと。

 彼女の持ち味は、アコースティックギターならではの音の多彩さだった。目を閉じれば、北川くんにはいつでも彼女の鳴らす音を脳内で再生することができた。クラシカルなギター一台による、バンドミュージックの再現。素晴らしい技術だが、音の要かなめとはいえバンドミュージックを構成する彩いろどりの一部にしかすぎないエレキギターには、その表現力は必要にならない。言い方は悪いがシンプルに表せば、ただ 背景の音でいいのだ。それを、今日初めてエレキギターに触れたばかりの朝日に理解できるかどうか。


「やけに静かだね」


 自販機で缶入りのコーラを買ってきた和也くんが言う。プルタブを引きながら。


「目の前だからなんかしらの音が聴こえても不思議じゃないけど、あの子、ギター弾いてないよね?」


 たしかに。彼女がいるスタジオは、三人が待つロビーから一番近い、ほとんど目の前と言っていいほどの距離にある。いくら防音室とはいえ、音を鳴らせば、何か弾いているなとわかるくらいには音が聴こえてくるはずだった。しかし、彼らの耳には、彼らがでてすぐにいくつかのコードが鳴っただけ、マイクをテストするような声が聴こえただけだった。

 諦めたのか? まさか。

 さすがに、難題を押しつけたかと北川くんが不安を感じ始めるころ、携帯のアラートが鳴り響いた。五分が経った。

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