6-2
「きれいでしょ?」
「……すごい」
すごい、すごい、すごい。
ばかみたいに、何度でも繰り返した。繰り返すたび、すこしずつ気持ちが高ぶって、声がおおきく、高くなってゆく。最後には、ほとんど叫んでいた。
「すごい、すごくきれい!」
わたしの反応に、谷さんは満足そうに空を見上げて大きな声で笑った。
「朝ちゃんはきっと喜ぶと思った。一回連れてきてあげようって、前から思ってたんだよね」
嬉しい。すごい。
また、圧倒的なうつくしさに自然と目が吸い寄せられる。ため息がこぼれる。いつまでも見つめていられると思った。実際に、目が離せなかった。
「座ろ。もっと近くで見れるよ」
谷さんが歩きだしたので、わたしもそれにつづく。まだ、手は握られたままだった。
海と向かい合うように、藤棚の下のベンチに並んで座った。やっと手が離れた。急に外気に触れた手は、すぐに人から与えられたぬくもりを失い、つめたさとすこしの淋しさを感じた。わたしは肩からギターケースをおろし、膝にのせた。
潮気をはらんだ強い風が吹く。顔をなでるそれのつめたさにわたしは身震いをして、となりの薄着の人を心配した。半袖半パンすがたの谷さんは秋風のつめたさなど気にもとめないふうで、ごく爽やかに全身でそれを受けとめていた。短い髪が、心持ち後方へ撫でつけられているようにみえる。海のそばというのは、風が強い。
「こないだカラオケのとき、歌うめーって思ったけど、ギター弾く人だったんだね。北川くんがすげー褒めてた。めちゃくちゃうまいって。きいたら惚れるって」
「おおげさな!」恥かしくって、おおきな声がでる。「わたしなんか全然。北川くんのがよっぽどすごかったです、今日」
「せっかくの機会だったのに、朝ちゃんが逃げたって北川くんしょんぼりしてたけど、何があったの?」
わたしは、ギターケースの留め金をカチャカチャいじった。
「……ぜんぜんよくわかんないんですけど、ケンカを売られたので買ったら、倍返しにされた感じです」
「何それ?」
「おととい、バンドに誘われて」
「おとといって、あのあと?」
あのあと? 記憶をたどり寄せるのに、数秒ほどを要した。ヨルの不快そうに歪んだ顔、灼熱の更衣室で死体となったこと、わたしの頭を撫でた谷さんのあたたかい手。
「あ、そうです、そうだ。ヨルと別れた日」
忘れていた。この世の終わりみたいにわんわん泣いたくせに、そのていどの涙だったのか。笑ってしまった。
「更衣室に朝ちゃん寝てたの、おれ一瞬死体かと思ってめっちゃビビったんだけど」大真面目な顔で谷さんは言った。
「ホントにはんぶん屍でしたよ」それは、ほんとうだ。
おとといの夜の顛末を話す。自分の音楽観を無理に押しつけられたことから口論になり、彼のどこか人を見下す態度にムッとしてすごいところ見せてやろうとイキったら、圧倒的に差をつけられて負かされてしまったということについて。わたしのギターがすごいとか好きだとか言うけれど、北川くんのほうがよっぽど上手かった。ひどい話だ。ただでさえナーバスなのに、ほんとうに死にたくなったらどうしてくれるんだ。グチグチ言うわたしの隣で、谷さんは首をかしげていた。
「北川くんは、朝ちゃんがなんで途中で逃げたのかわかんないって言ってたよ」
「ええ?」そんなバカな話があるだろうか。
「自分たちのバンドの音聴いたら絶対好きになってくれると思ったのにって」
「あ、」顔が引き攣るのがわかった。声が半分裏返る。「あんなことされたら普通嫌いになりますよっ」
わたしは語気を強くしてさらに詳細を説明した。どんな目に遭わされたのかを。おとといかっこつけて弾いた曲を、完璧なバンド演奏で演やりかえされたのだと。戦意も自信も喪失してしかるべきだと。
谷さんはますます首の傾斜を急にした。
「おれ音楽あんま詳しくないからさー、北川くんの言ってるはんぶんもよくわかんなかったんだけど、朝ちゃんの弾ける曲をさ、バンドでやったらすごい! ってビックリして、で、バンドやりたい! ってなるんじゃないかって。北川くんが言いたかったのはそういうことなんじゃないのかなあ」
――今やった曲、バンド演奏で歌ってみたくない? ベース、ドラム、エレキギターと一緒に。
わたしは絶句した。
「とにかく必死だったみたいよ。朝ちゃんと別れてソッコー他のメンバーあつめて打ち合わせして、場所借りて」
「だ、だからって、」
あんなのケンカ売られたとしか思わないじゃん!
「北川くん、落ち込んでたよー。まちがったのかなーって。おれバカだからーって」
ああそうか。わたしは目を閉じて、うなずいた。やっと合点がいった。
あの人、バカなんだ。
「怒らせるつもりはなかったみたいよ? 許してあげなよ」
「……一度話し合ってみます」
そうしなよ。谷さんは嬉しそうに言った。「いい子じゃん。おれは北川くん好きだなー」
わたしは笑って、谷さんがそう言うなら好きになれるかもなんてゲンキンなことを考えていた。いったん立ちあがり、ベンチの上にケースを置いてギターを取りだす。ストラップを肩に掛ける。ケースは谷さんが自分の膝の上にと置いてくれたため、わたしはお礼を言って再び着席する。足を組んでボディを固定する。
「リクエストとか、ありますか?」
「うわ、なんかプロっぽい。その発言」
ふふふと笑みがもれる。愉しい。軽くチューニングをする。弦に指を置き、思い切りダウンストロークした。愉快になったわたしは何かを考えて、その曲を選んだわけではなかった。ただ、思いつくままの曲を弾いていた。コードは単純だが、16分音符のリズムなので意外に早い。
四つのコードの繰り返しを数回したところで、ハッとわれにかえる。……なんで、この曲?
隣の谷さんが「すげえ」とおおきな声をだした。
「すごいね今の! 誰の曲?」
その顔がほんとうに「すごい!」と言っていて、わたしは真っ赤になってしまう。
「ニルヴァーナです」
「ニルヴァーナ? 外国の人?」
「アメリカの。90年代に流行った人たちで」
もう一度、イントロを演奏してみる。それから、シンプルな単音のリフ。このあと、カートの歌がはじまる。のだけど、ここまでしかできない。あとは思いだすのに時間がかかりそうだ。
「すげえ! 朝ちゃんめっちゃ上手いじゃん! あの、途中でチャカチャカって言うの、どうやってんの?」
「チャカチャカ?」
そこで谷さんが、架空のギターを抱え、「ダーダダンっ」口で演奏をはじめた。「で、ここ。チャカチャカってか、チャチャっみたいなとこ」
「ああ」わたしは実際のギターを抱えなおし、谷さんの言った部分を弾いてみる。
「それそれ!チャッチャッみたいな」
「これは、こう、」ネックを握る左手の指をひらひらさせてから、「コードを弾いたあと、」単一のコードを鳴らし、「弦を押さえていた指を浮かせて軽く触れてるくらいにしてやるんです。このときに、右手で強めに弦をはじくと、」やってみせる。ピックで6本の弦すべてはじく。カカカカっと、すれる音がする。「……音が鳴らないんです」
もう一度最初から、くだんの箇所を演奏してみる。ブラッシングのところで、やはり谷さんは感心したようにおおおと唸った。
「カッコいーね。なんて人だっけ?」
「ニルヴァーナです」
「なんて曲?」
「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」
スメルズ……と、言って、谷さんは言葉を止めた。一回じゃ覚えられないよなあと思う。わたしもそうだった。
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