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「や、もうホントに」こちらへ手をずいと突きだし、大真面目な顔になって、北川くんは言った。「誤解しないでね。オレ、本気だから。本気で……やべ、はずいね、こういうの」そう言って、一人で勝手に赤面している(それを受け、伝染したみたいにますます赤くなるわたしだった)。「……本気で、ホント、同じ学校でしかも同じクラスで、オレ幸せすぎて死んでしまうかと思ったもん! これは運命以外の何もんでもないよ! だから絶対に朝日ちゃ……あ、ゴメン、今更だけど。だから、杉村さんをバンドに誘おうって思ったんだ。なかなか誘えないまま夏休み入っちゃったけど」で、夏休みも終わっちゃったけど。


 すこしずつ、商店街のぼり坂全力ダッシュの余韻も落ち着いてきたが、いまだ頭はへんなままだ。心も取り乱したままで、両手の人差し指をにょきにょきと天に向かって二本重ねたら、忍者みたいにドロンとこの場から消えたりできないだろうかなど、およそ正気じゃないことばかり脳裏をよぎる。おそらく、体温を計ったら40度なんかゆうに超えているはずだ。だってこんなにくらくらしている。


「オレももう五年くらいギター弾いてんだけど、杉村さんのことは真剣に尊敬してるんだよね。アコギ一本であんなにカッコいい音、フツー出せないよ。初めて聴いたときはトリハダ立った! あと歌! オレ頭あんまよくないからうまいこと言えないけど、杉村さんの歌には、人の心を動かす何かがあるよ。オレなんか逆立ちしても叶わない。ホントに、尊敬してる」


 格闘ゲームのたぐいていうところの“ピヨった”状態のわたしなんかほったらかしにして、北川くんはひとり言葉をまくしたてる。わたしはそれの半分も理解できずにいる。


「だからバンド、ホンっとうにお願いします。一緒にやろう」ね、と言って首をかしげた。あいかわらず顔が近い。どうして汗ぐっしょりなのに、いい匂いがするんだろう(そんなところばっかり意識は向くのだ)。


 だめだとわたしは内心声を荒げる。落ち着け、わたし。とりあえず、冷静になれ。内心でもう一人のわたしがかしこまりましたと首をたてに振る。ええ、ええ、わかりました、と……現状を、とりあえず整理してみる。

 バンドに誘われる→なぜか実力の差を見せつけられる→ライブハウスから逃げる→追いかけられる→捕まる→ふたりとも汗まみれ→息のあがった北川くんが謎の色気でもってわたしの手を自分のそれで包み込む→顔を覗きこまれ「好き(わたしの歌とギターが)」と言われる→ふたたびバンドに誘われる→イマココ

 つまり、まだ手は重ねられたままだし、顔も近い。それに、ここは夕方の商店街のど真ん中なのだった。

 落ち着けるわけがなかった。


「と、とりあえず離れて、ください」


 わたしは一歩あとじさり、手をふりはらおうとする。

 が、


「ヤだ。離したら逃げるもん。バンドするって言うまで今日は離さないよ」


 ずいっとまた一歩北川くんは近づいてきて、せっかくあけた距離はあっさり詰められてしまう。


「や、やだよっ、離してよ!」無理に誘わないって言ってたのに! 話が違うではないか!


 さっきから、行き交う人々の目線がすごく痛いのだ。ヒソヒソ言われてたり、若いお母さんに連れられた保育園児に指をさされたり。


「ヤだってなんなの。ね、なんで嫌がんの? オレらの演奏ダメだった? カッコよくなかった?」

「そういうことじゃなくてっ」

「じゃあどういうこと? あのあとまだ何曲も用意してたんだ。嫌とか言うなら、全部聴いてから言ってほしい。そしたら杉村さんは絶対オレらのこと気に入るって自信があったのに」


 かんべんしてください。思考回路はショート寸前です。

 半分べそをかいているわたしに向かって無慈悲にも早口でまくしたてる北川くんのうしろ側の建物から、ぞろぞろと何人かの男の人たちが出てくるのが見えた。あ、ここって、こないだのカラオケ屋さん……と思ったとき、そのうちのひとりと目が合った。向こうもこちらに気がついた。笑って片手をあげて、それから北川くんに気がつき、笑って片手をあげたまま、オヤ? という表情になった。


「たっ」一筋の光。わたしは思わず声をあげていた。谷さん!

「たっ?」目の前の北川くんが訝しげに目を細める。「たって?」かか顔近いっ!

「たっ、――たすけてっ」


 北川くんが「はっ?」とひときわ高い声を出すのと、カラオケ屋の入口にいた谷さんたち――とバイト先の見た目ものものしい諸先輩たち――が表情を変えてこちらへずんずん近づいてくるのは同時だった。うしろを振り向いた北川くんは、わたしの両手からぱっと自分のそれを離すと、ハンズアップの姿勢のまま固まり、すぐさま先輩たちに囲まれた。


「おうおう兄ちゃん。この子が誰の後輩だと思って手えだしてんだこの野郎」

「おうこら兄ちゃん。この子が誰の妹分だと知って手えだしてんだこの野郎」

「おうおうなんだその赤髪は。よく似合ってんじゃねえか男前だなこの野郎」

「ちょっと顔貸せよこの野郎。任意同行だこの野郎」


 これさいわい! わたしはその場を駆けだした。北川くんは「す、杉村さあん」とかわいそうな声をだしていたが、まあ、見た目はアレでもいい人たちだもの、大丈夫だろう。

 手を合わせ、走りながらうしろを向き、拝む。

「すみませんっ! この埋め合わせはかならず!」どんどん遠ざかってゆく人のかたまりのなかで、谷さんはほがらかにおう、と手をあげ、振ってくれた。







「おうこら兄ちゃんおめー、今日はタダで帰れると思うなよ」

「すみませんお姉さん、フリータイム5人でお願いします。え、途中で夜間の値段に? 全然構わないっす。はい、お願いします」

「おいこら兄ちゃん、おめー何飲むんだこの野郎」

「コーラかこの野郎。やっぱコカコーラが好きかこの野郎」

「え、や、ハイ、こ、コーラでっ」

「やっぱ髪が赤いからコカコーラかこの野郎! いいじゃねえかこの野郎!」


 突如謎のヤンキー四人組に囲まれた北川くんは、そのまま彼らが出てきたと思しきカラオケ屋に連れこまれてしまった。いちばんガタイのいい男に肩をガッチリと組まれ、逃げようにも逃げられない。

 男たちはカウンターでソフトドリンク飲み放題・歌い放題の手続きをすると、仲間ひとりを残して先に部屋へ向かった。まだ状況を飲み込めない北川くんを伴って。

 個室へ連れ込んで、そこでボコられるのかもしれない。そう考えて北川くんは青ざめた。彼らが朝日とどういった関係にあるのかさっぱり見当もつかないが(後輩? 妹分?)、とにもかくにも朝日は憐れな北川くんひとりを置いて去ってしまった(ひどい、ひどすぎる)。

 あとのひとりは全員分のドリンクをトレイに乗せてやってきた。そして尋問が始まった。

 北川くんの隣には、先ほどまで彼の肩を拘束していたガタイのよい男、その反対隣に、今ドリンクを運んできた男が座る。座れと促され、抵抗できるはずもなく青い顔で北川くんは腰を降ろした。


「おいこら兄ちゃん」


 ドリンクを持ってきた男が、北川くんの肩に腕を乗せ、顔を近づける。赤茶っぽい坊主頭で、反対隣の男ほどではないが細身の体には均等にほどよく筋肉がついている。そしてコワモテ。そんな男が至近距離で凄んでいるのだ。恐ろしくないはずがなかった。


「は、はい」スラムダンクの人に似てるな、この人。

「おめーがシンヤくんか?」

「は?」


 スラムダンクの人は、ゆっくりと、言葉を区切って言いなおす。低くて凄みのある声だが、乱暴ではない。


「おめーが、シンヤくんか?」


 シンヤ?

 北川くんの脳裏には、いつだって朝日の隣でこちらを見下すみたいに睨みをきかせていた、いけすかない目つきの悪い男がちらついた。

 松田真夜?


「な」北川くんは言葉に詰まった。唇が震えた。怒りで。「なっ、は、ちがっ、なんでオレが松田くんなんかと一緒にされなきゃ」

「あ、そうなの?」男の表情が途端に柔和なものになる。「違うんならいーんだ、別に」

「え」口から息と一緒に言葉が漏れる。「いいんすか?」

「うん。違うならいーんだ」スラムダンクの人は北川くんから離れ、くつろいだようすでソファーに座りなおし、前を向いた。


 北川くんはやっぱり状況を飲み込めない。


「とりあえず飲めよ兄ちゃん、で、歌え」

「そうだ歌えこの野郎」「飲めこの野郎」


 見当はずれにも思える野次がたくさん飛んでくるのに北川くんは戸惑い困って、でも喉が渇いていたのでグラスのコーラを一気に飲み干した。舌の付け根がびりびりと痺れて、大変うまかった。

 しかし、北川くんはそこで重大なことに気づいたのだった。


「おう兄ちゃん、おめー名前なんつーの」

「は、はあ、北川です」

「おう北川くんかこの野郎、歌えや。とりあえず歌っとけや」スラムダンクの人と反対隣の男が北川くんの脇腹にぐりぐりマイクを押しつけてくる。

「や、あの、でも、」

「おいこら北川くん、おめーグラス空いてんじゃねーかこの野郎。おかわりはコーラでいいんかこの野郎」

「あ、はい、あざっす」

「曲入れろよこの野郎。今時のイケメンは何歌うんだこの野郎」

「え、でもオレ財布ライブハウスに置いてきちゃって……」

「んなこと気にすんなや!」


 テレビ画面にいちばん近い男――この中ではいちばん背が高く、整った顔つきのハンサムな男――が声を荒げた。北川くんは盛大にビクついた。


「金の心配なんかしてんじゃねーこの野郎。んなもん黙っててめーはゴチになってりゃーいんだよ」

「え?」奢ってくれるんですか?

「そうだろがこの野郎。さっき言っただろうがよ、タダで帰れると思うなってよお」タダで、っていうのはむしろご馳走になるって意味なのか?

「とりあえずコーラ頼んどいてやっから歌えや北川くん」


 す、すんません。あざす。やはり状況を飲み込めない北川くんだったが、とりあえず一曲目を入力した。


「何入れたんだこの野郎」

「れ、レッチリっす」

「は? てっちり?」



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