4-3


「そうだよ。こんな狭い国の音楽だけしか聴かないのって、すげーもったいないことだと思う。「音楽好きです」っていう人のさ、日本の音楽しか聴かないの。あれどういうことなんだろ。J-ポップしか聴かないで音楽好きなんかよく名乗れるねって思うね、オレは」


 わたしは肩をすくめて彼の熱弁を聴いていた。


「日本のロックバンドのうち、世界中の人が知っているようなギタリストがどれくらいいると思う? 何も日本の音楽がダメっつーワケじゃないんだけど、音楽をするならちゃんとロックがどんな歴史を歩んできたのかくらい知っててほしい。せめてローリングストーン誌が選ぶ100人の偉大なアーティストくらいは知っておくべきだよ。杉村さんはさ」


 矛先がこちらに向いた。


「は、はい」

「何人くらい知ってる? 尊敬するギタリストは? アーティストは? この先どんな音楽をやっていきたいの?」

「え……」

「大事なことだよ」北川くんの表情は真剣そのものだった。

「別に……好きだと思ったものしか弾かないし、そんなの考えたことなかった」100人の偉大なアーティスト?


 北川くんはあからさまにため息をついた。自分の眉間に、だんだんシワが寄ってゆくのがわかった。なんなのだろう。


「ちゃんと考えなきゃダメだよ。そんなんじゃ……」

「なんなの」


 わたしは立ちあがった。北川くんはおおきな目をまるくしてビクッと反応した。


「なんで北川くんにそんなこと言われなきゃいけないの? わたしは別に音楽で生きていこうなんか考えてないし、ただ好きなときに好きな曲が弾けたらそれでいいのっ」


 そこでようやく彼は何かを誤ったことに気づいたようだった。たとえば、料理のレシピの手順とか、目的地までのルートとか。そんなふうな顔をした。バツのわるそうな。


「や……ごめん……怒らせるつもりはなかった」困ったように短い赤髪をガシガシと掻く。「てっきりオレは」と言いかけて、「や、んー」また口をつぐんだ。


「杉村さん、音楽で食ってく気ないの?」

「ないよ」何を言っているんだろう、このひとは。

「全然ないの?」

「ない」しつこい。わたしは語気を強くした。「ぜんぜんない」

「でもさ、大勢のひとの前で歌いたいとかさ、もっとたくさんの人に聴いてもらいたいとか、でっかいステージに立ちたいとか」


 今度はこちらがため息をつく番だった。


「だから、ないよ。だったらそもそも、もっと人が多いところで歌う」

「でもさ、それって、ステージに立ったことがないから言えるんだと思うよ」

「そんなことっ」

「ないとか、どうして言えるの? だってないでしょ? ステージに立ったらさ、世界が変わるよ。オレはさ、杉村さんは音楽で生きていくことができる人だと思ってる」


 わたしは言葉につまった。北川くんはまっすぐ、わたしの目を見ていた。目を逸らしてしまう。直視などできなかった。恥ずかしくなって、でも、その“恥ずかしい”という感情がどこからくるのかもわからなかった。だから、とほうもなく不安になった。


「杉村さんは、人に聴かせたいと思ってるよ。聴いてほしいって、聴いてもらえたらうれしいって。そうでしょ?」

「そんなの、どうして北川くんにわかるの」


 からだからちからが抜けて、再びベンチに腰をかける。語尾がちいさくなる。否定する気力もなくなる。


「もう帰って」


 どっとくたびれてしまった。これ以上このひとと言葉のやりとりをするのがこわかった。強引に、自分のまったく意図しない場所まで連れていかれそうな気がした。違う。わたしはそんなんじゃない。そんなところを目指す権利もない。


「じゃあ、なんでギターを弾くの? ギターやってて、人に聴かすためじゃないなんて言わせないよ。自分のため? そんなの嘘でしょ?」

「もうやめて! いいから。帰って」


 どうして? そんなの言えるわけがない。めぐちゃんにも、ヨルにすら言えないことだ。それをどうして北川くんなんかに言えるんだろう。


「じゃあさ、なんか弾いてよ。好きな曲。なんでもいいよ」


 どうしてそうなった。

 わたしは数秒間息を止めて、どう対応するのが得策かを考えた。できるだけそっけない言いかたを努めたのに、声の震えは隠せなかった。


「……弾いたら」わたしは言った。「消えてくれますか?」渾身のちからで目の前の不躾なひとを睨んだのに、その当人はへらへらしている。


「そんな怒んないでよー。満足したら帰るよ」

「約束ですよ」


 わたしは、ベンチの上に立ちあがった。失礼なたったひとりの観客を見おろす。

 ギターを抱えなおし、ピックを握る。

 それから息を吸いこみ、右手を振りあげ、ちからづよく振りおろす。そうして最初の一音が吐きだされた。スロートーンの、重いサウンド。

 京都出身ロックバンドが四枚目に出したシングルで、当初はハードコア演歌(?)を目指したそうなのだけれど、どちらかといえばロックバラードだろう。淡々と歌う素朴な彼の声が大好きで、でも高音から始まるこの曲は、声がかすれ途切れはずれ、やや拙いような歌いかたが、すてきだった。それを原曲から1キーあげて弾き、歌う。

 ギターを弾くのは、好きだ。だけど表現するために、ましてや自分のメッセージを伝えたくて弾いているわけでも、歌っているわけでもない。戦争反対とか世界中に愛をとか、メッセージ性のある歌はかっこいいが、あくまでも人の意思であって自分の意思ではない。「どれだけの血が流されれば戦争はなくなるのだろう」。そう歌ったディランはすてきだ。だけど、わたしはそれを自分の言葉にするつもりはない。

 気持ちよくギターが弾けて、気持ちよく歌がうたえたらそれでいい。背中の重荷も、足に嵌められた愚鈍な重い枷も、そのときだけは、存在を忘れることができる。


 最後の一音を弾いたのち、怒り任せに叩くようにして弦を抑え、ミュートする。ブツンとオーディオの電源を切るみたいに、曲を終わらせる。久しぶりに高い声をだしたものだから、すっかり肩で息をしていた。


「……やっべえ。ここでくるり弾く?」

「約束です、帰って」

「満足したらって言ったよ、オレ」

「満足でしょ?」北川くんは地べたに座りこんでいるため、見くだすようなかたちになる。

「すっげー自信だね。技術があるのは知ってるよ。ね、もう一曲なんか弾いて」

「それを聞き入れる筋合いはわたしにないんだけど」

「お願い! 約束する! ね、」

「……。」


 なんなんだこの人は!

 わたしはなかばやけくそになって、乱暴に弦を上下にストロークする。さっきまで聴いていたCDから。この曲のヒットで、彼女たちは「和製ロックバンド」として有名になった。ボーカルの女の子みたいなクセのある、こぶしのきいたすてきな声が出ないのが残念だ。

 演歌ふうに、声に強弱をつける。感情があふれだす。琴のように繊細に、エレキギターの太い音を再現するよう派手にかき鳴らす。一曲終わって顔をあげると、遠くの円柱にいた高校生カップルがこちらを見ていた。声がおおきすぎた。

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