4-2







 帰宅ラッシュのピークを過ぎた駅前は、閑散としていた。ロータリーには車の一台もなく、ときどき裏の道路を通り過ぎるエンジン音が聞こえるほかは、しずかなものだった。

 高架下、円周がベンチになっているおおきなコンクリート柱のひとつのそばへ、自転車を停める。ベンチの下にケースを置くと、自分はベンチへ腰掛け、ギターを抱えた。風が吹きいい夜だが、遠くの円柱に高校生らしいカップルの姿があるほかは、人の姿はみえなかった。それでよかった。

 かんたんにチューニングしなおし、まずは指ならしもかねて、ビートルズを弾く。ヘイ・ジュード、ヒア・カムズ・ザ・サン。たのしくなってきた。どんどん弾く。ボブ・ディラン、エリック・クラプトン。


「杉村さん」


 声をかけられたのは、6曲めを弾き終わったころだった。ジャン・レノの、あの名作映画にも使われたスティングの曲。そこで、声をかけられた。まだ制服姿のままのそのひとは、わたしと視線を合わせるつもりなのか、目の前にしゃがみこんだ。


「さっきぶり。大丈夫だった? あのあと」


 わたしはあいまいに笑った。「はい、うん。大丈夫」

 北川くんは安心したように表情をゆるめた。


「仲直りできた?」

「うん、まあ」嘘をついてしまった。それはよかった、と北川くんはニッコリとする。なんてチャーミングなほほえみだろう。

「今の曲、『レオン』だよね。カッコいーよね、ジャン・レノ」そう言って、北川くんはその場――地べたに?――腰をおろしてしまった。あぐらをかく。


 うん。と答えると、もう言葉がなかった。あの映画はヨルが借りてきたものだ。家族を麻薬取締局の悪いやつに皆殺しにされた12歳の少女は復讐を誓う、殺し屋のレオンの元で。銃を手に取りながらも無邪気なマチルダが愛らしくふたりの愛を応援したいが、待ちうけているのは悲しい結末。独りきりになってしまい学校に戻ったマチルダが、レオンの親友である観葉植物を校庭の隅に埋め「ここなら安心よ」と語るシーンに流れるこの曲のイントロがもう……ということは、いまおおきな声で熱弁すべきではない、と思い黙っていた。

 北川くんもとくに何かを話すでもなく、その場をあとにするでもなく、地べたに腰を降ろしたまま、有名なそのメロディーの口笛を吹いたりなどしている。次の曲へ行くにも行けないで、わたしはそれを黙って聴いていた。手持ち無沙汰。


「さっき来たとこ?」やっと北川くんが口を開いた。

「ううん」すこしホッとして、答えた。「もう30分くらいいるよ」

「そーなんだ」

「うん」あ、もう終わる、会話。何か続けなくては……「そう」


 終了。困った。


「杉村さんって」またしばらくののち、北川くんが会話を再開する。「どんな音楽聴くの?」


 どんなのでも、と言いかけて、思い直す。


「最近は邦楽ばっかり。ロックが多いかな」


 もとは姉の所有物だったCDラジカセは、いまではもうラジオが入らない。出先で耳にする他、新しい曲に触れる機会もずいぶん減った。今聴いているアーティストのほとんどは、ヨルが持ちこんだCDによるものだ。そのなかからよりごのむ。ヨルの趣味は雑多だ。それこそほんとうに、なんでも聴く。


「へー。何が好きなの?」

「うーん。今日はゆらゆら帝国とか聴いてたよ」

「マジ? よく知ってんね。オレ『ミーのカー』がすげー好き」

「わたし『3×3×3』が好き」

「わかる! 超名盤だよね! すげーな。そこ選ぶのかー。なんか弾ける?」


 わたしはちょっと考えて、『発光体』のあたまのほうを何小節かだけ弾いてみた。イントロの終わり、歌が始まる手前の、ジャッジャッジャッジャッというところが、かっこいい。こういう曲を、エレキギターで弾けたらとても気持ちがいいだろうなあと想像する。だが、想像だけでおなかいっぱいだった。


「すげー。さすがだね! どこが好きなの?」

「えっと……歌詞が、変なところ?」

「はは、たしかに。『3×3×3』なんかなんの歌なんだろーね」

「わかんない。デーモンが何者なのかもわかんない」


 北川くんはニッと爽やかに笑って、こちらへ手を伸ばした。


「貸して。オレ弾けるよ」

「え」


 急な展開に(だってヨル以外の男の子とこんなふうにコミュニケーションとったことなんかない)戸惑っていると、北川くんは眉毛を下げて苦く笑った。


「いいギターだもんね。人に触らせたくない?」

「や、そういうわけでは……」ん? いいギター?

「じゃ、一回弾かせてよ。ね、お願い!」


 どうしてわたしのギターのことを? という疑問は口にだされるまえに北川くんの言葉と顔の前で手をあわせてペコペコする、その必死な姿勢によって立ち消えになってしまった。

 わたしは肩のストラップをはずして、北川くんへとギターをさしだした。北川くんはうれしそうに――飛びあがらんばかりで、ほんとうにうれしそうだった――受け取って、しばらくためつすがめつ、わたしのギターをニコニコして眺めていた。

 その様子につい微笑んでしまう。このひとはほんとうに楽器や音楽が好きなんだろうな、と思う。


「アコギも弾けるの?」

「ん、普段はエレキばっかだけど。曲つくるときはアコギ触る」

 わたしは目を見張った。「え、作曲もするの!?」すごい。

「将来は音楽で飯食ってくつもりだから」


 へえ。心底感心してしまう。おおきな夢だなあ。ちゃんと将来とか、考えているんだなあ。

 北川くんはピックを使わず、爪弾きでイントロを演奏しはじめた。ふだん、他のひとが演奏するところなど見ないので、ひじょうに新鮮だ。細い体と思っても、こうやって自分の持ち物が抱えられると、体格の違いが一目瞭然となる。まくられた制服から見える腕が意外とたくましい。ごつごつとしたおおきな手のひら(弦を押さえる手が余裕そうでうらやましい)、長い指。


「デーモンはたいがい犬のふりをして近所の子供達を見張っているんだ……」


 イントロのあと、坂本慎太郎の語りで曲が進行してゆく。わざと声を低くして、真似をしているのが可笑しい。わたしは笑いながら聴いていた。


「うまいね、北川くん」


 最後までまるまる一曲を弾き終わった北川くんから、ギターが手元にもどってくる。ふたたびストラップを肩にかけ、ギターを抱えた。


「今男三人でバンドやってんだー」

「ボーカルなんだね」

「ま、今は……」そこで歯切れ悪く、北川くんはモゴモゴと言った。「ホントはギターに専念したいんだけど」


 ふーんとわたしは言って、いたずらに弦をはじく。

 また、沈黙。


「杉村さんって」それまで黙ってコンクリートの一点を睨んでなにやら思案しているふうの北川くんがパッと顔をあげた。「洋楽は聴かないの?」


「洋楽」苦笑いになってしまう。「いまは、うん」

「なんで?」

「んー。洋楽だけじゃないけど、わたし最近の人ってぜんぜん知らないよ」

「洋楽は聴いたほうがいいよ!」

「いまは邦楽聴いてるほうがたのしいんだよね、歌詞をじっくり聴くのもたのしいし」すぐ歌詞を覚えられるし。

「いやいや、わかってないよ。本場の音をちゃんと聴かないと。ギターも歌も上達はしないと思う」

「そんなものなのかな」


 急に真顔になった北川くんがこわくなって、わたしはすこし、距離をとる。なんだか火がついてしまったような彼は、それまでの歯切れの悪さなんか、どこかにうっちゃってしまったらしかった。

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