4.楽器屋さんの男の子の話と、北川くんのお誘い
4-1
中学生になったお祝いに、ギターはもらった。そのときはすでに離婚して離れて暮らすようになっていた、父に。
嬉しくて、すぐにヨルを招集し、楽器屋さんを探した。頭をつきつけて、いかにもぶあついタウンページをめくって。タウンページで実際に何かを調べるというのは、はじめてのことだった。でかい道路が通っていても一本逸れれば住宅街しかないような田舎の町なので正直期待はしていなかったのだけれど、わりと近くにあるものだ。ホリオ楽器というお店だった。
電車で二駅ほどの距離――今わたしたちの通う高校の最寄り駅だ――を、お金のない中学生たちは片道20分、自転車を漕ぎつつ意気揚々目指した。ハードケースは硬くて重く、背負い慣れていないせいで、右に左に、気をぬくとすぐにフラフラ、体を持っていかれそうになった。その都度ヨルが「代わりに持つ」と名乗りを上げてくれたけれど、わたしのギターだ。かたくなに譲らなかった。
ホリオ楽器は、壁全体が黄色く塗られた個人の楽器屋さんで、店内には何台かのエレクトーンや壁につるされたバイオリン、そしてギターがところせましと並べ立てられていた。入口の正面にレジのカウンターがあり、見たところ同い年くらいの男の子がひとりいるだけだった。
――弦交換をしてほしいんですけど。
開いたときにカウンター側に中身がみえるようにして台の上へケースを置き、留め金をパチンパチンとはずしながら、わたしは言った。とても高揚していた。
小柄な、女の子みたいにきれいな顔をした子だった。しかし彼の態度は店番にあるまじきもので、何をそんなに気に入らないのか底抜けの不機嫌さでもって、第一声に「爪」と、それだけ言ったのだった。
――え?
――左の爪ありえない。ギター弾くヤツの長さじゃない。
わたしは思わず手を顔の前へ持ってきて、まじまじと爪の先を眺めた。
――でもこれ、ギリギリまで切ってて、これ以上短くできないんです。
爪の裏の肉が指先のてっぺんより一ミリほどはみでているため、ギリギリまで短くしても、手のひらがわからみるとたしかに長くみえる。が、これ以上は切れないのだ。最近しらべてわかったのだけど、この肉はハイポニウムという名前らしい。これ、むりに爪切りで切ってしまうと血がでるし、何より痛い。ばい菌も入るし、いいことなどひとつもないのだ。
証拠を見せるみたいに、彼の目の前に持ってゆく。男の子はツンとそっぽを向いて見ようともしなかった。
――大体、弦自分で替えられねーってなんだよ。お前これまでずっと人に替えてもらってたわけ?
――や、わたし、今日はじめてギターもらって……古いものだからまず弦を張り替えなきゃいけないって言われたんですけど、ごめんなさい。
――初心者なんだよ。悪いか。張り替えてくれっつってんだから、さっさとやれよ。
男の子の、その不遜きわまりない態度にわたしはこれが楽器入門の洗礼かと、ひたすら恐縮にしていたのだけれど、ヨルはあからさまに苛立った。こちらもひじょうに尖った物言いで応戦する。男の子はカウンターの向こうにあるパイプ椅子に腰かけたままジロリと目だけでヨルを見上げ、鼻から息を吐いた。ようやく立ちあがる。
――……何ゲージのヤツにする?
――え?
――初心者だし、お前女だし力ないだろ。初めはエクストラライトの超細せーヤツから始めたら? 女だし。
そ、そういうものですか。じゃあそれでお願いしますと頭を下げ、やっとわたしはケースのフタを開いた。男の子は品定めするようにギターに目線をやり、
――はっ!?
目を見開いた。
それからバッと顔をボディのギリギリのところまで寄せて、サウンドホールの中を凝視し、かと思うとギターを持ち上げ――それはとても慎重で丁寧な扱いかたにみえた――あらゆるパーツをチェックしだした。
どうしたんだろう? 困ってヨルを見上げると(このときわたしたちの身長は、すでにちゃくちゃくと差をつけられつつあった)、ヨルも怒った顔のまま、こちらを見おろしていた。
――ヤマハのLSってお前! これすっげー高いんだぞ!
――あ、そうなんですか。
――知らねーで持ってんの!? 信じられねー。宝の持ち腐れだな。
またも不躾な物言いに、ヨルの気配がどんどん険しくなる。わたしはまったくどうも感じやしないのだけれど、正直これ以上ヨルの怒りを募らせるのがこわく、ヒヤヒヤしていた。
そのとき、男の子の頭上にゲンコツが降った。いてっ。高い声を出して、彼の姿はしばしわたしたちの視界から消えてしまう。しゃがみこんで、カウンター裏に隠れてしまったのだった。
――ごめんなさいね。口の利き方知らないクソガキで。
鉄槌をくだしたのは、ひょろょろと線の細い、髭もじゃのおじさんだった。エプロンの胸のところに、「店長 堀尾」というバッジをつけて、わたしとヨルとを交互に見やり、ニコニコとしている。もしかしたら、男の子のお父さんかもしれない。彼は痛そうに顔をゆがめ、ゲンコツの見舞われた箇所をさすりさすりしていたけれど、何も言い返しはしなかった。その攻撃や一見厳しげな言葉の端には、いかにも親しみや愛情がこめられているふうに見えたからもしれない。いいなあと思った。
――君、凄いね、このギターは。とてもいいものだよ。
――父にもらって。父は、友だちに譲ってもらったって言ってました。
いやあ、ギターって一概に言っても良し悪しがわからなかったから、詳しい奴に訊こうと思ってね。
あとから訊ねたところによると、父は学生時代の友人から譲り受けたものだと言った。若いころからギターが好きで何本もコレクションしている人で、相談に行くと「お前の娘なら」と、これを渡してくれたそうだ。楽器なのだから、飾って愛でるよりも弾かれて本望だと(プレイのほうはからっきしなのだとか)。
――そうか、うん、比較的ボディが小ぶりだからね、女の子でも弾きやすいんじゃないかな。
大事にしなさいね。弦はあんまり細いとね、切れやすいから、ライトかミディアムくらいにしておいたほうがいいよ。切れるとね、怪我しやすいからね。
そう言ってパッパッと話を進め、ついでに入門するにあたって必要なあれこれを選んでくれ、すすめてもらうままにわたしはそれらも購入することにした。
――これからどこか教室にでも通うのかな?
お会計は引き取りのときでいいよと言ったのち、堀尾さんは訊ねた。
――いえ、とくに。
そういえば、ギターをもらってすでにいっぱしのギター弾きのつもりでいたけれど、一人で練習しても上達しないものなのだろうか? 急にわたしは不安になった。
――だったらうちに練習に来ない? 最近うちの息子たちも楽器を始めてね。君は、中学生かな? みんな同じくらいの子たちだし、初心者だからすぐに打ち解けられると思うよ。
堀尾さんは憮然とする男の子の頭の上にポンと手のひらを置いた。初心者の方でしたか。
――結構です。
と、答えたのは、わたしではなくヨルだった。
――教えてくれる人近所にいるので。
そんな人いますっけ? とわたしはおそるおそるヨルを見上げた。やっぱりまだこわい顔をしている。
堀尾さんは、あらそうか残念だと笑って、「上にスタジオもあるから、いつでも弾きにおいでね」と言ってくれた。
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