3-3


「すごいね。めちゃくちゃ仲良しじゃん」

「そうなんです。びっくりしますよ」

「うらましいけどねー。でも共同経営なら余計結婚してくれたら楽じゃない?」

「うーん。どうなんでしょうか」


 でもこれでもう、わたしたちの縁は切れてしまったも同然だし、まあこのご時世、親の決めた相手の結婚なんて、いくらふたりが仲良しだからってありえないのじゃないだろうか。わたしは、いやだ。ヨルだって、いやがるだろう。


「ちょっと落ち着いたみたいだね」

「谷さんのおかげですよ」ほんとうに、そう思っている。どうもありがとうございました。わたしはふかぶか頭をさげる。

「話ならさ、いつでも聞いたげるからさ。遠慮しないで」谷さんは笑って、また頭を撫でてくれた。「そうだ、連絡先教えてよ」

「え、いいんですか?」

「おれが頼んでるんだから」


 わたしは制服のスカートからケータイを取りだした。嬉しすぎて、指の先がビリビリするようだった。


「人に喋ったらちょっとは楽になっただろ? 全部抱えこんだままでいると、押しつぶされちゃうよ。だからおれは朝ちゃんのこと、甘やかしたげる。お兄さんに甘えなさい。一歳しか変わんないけど」


 おなかの下あたりから、よくわからないあついかたまりが、喉のところにまでブワッと押しあがってきた。嬉しいのになんだか息苦しくて、泣きそうになってしまった。

 また目に涙をためるわたしを見て、谷さんは苦笑する。


「今日はさ、もう家に帰りなよ」

「え、や、それは」

「朝ちゃんここに来てから全然休んでないじゃん。送って帰りたいけど、またすぐしたらおれ戻らなきゃだし。店長に言っといたげる」

「でも、今日から制服着れて」

「あんま無理したら、へたばっちゃうぞ。制服なんかこの先いくらでも着れるんだから。お兄さんの言うことはちゃんと聞きなさい」

「……はい」


 いい子。そう言って、顔をくしゃくしゃにし、谷さんは笑った。







 ニルヴァーナ、オアシス、クラッシュ、グリーン・デイ。

 ラジオで情報を仕入れ、洋楽ロックのCDを集めるのがアキちゃんの趣味だった。

 暁、と書いてアキラと読む。母がアキちゃんを身ごもったとき、生まれてくるまで男の子だと聞かされていたらしく、名前の候補はすべて男の子のものばかりだったという。生まれてきた子の性別が女の子だと判明したとき、両親は大変驚いただろう。候補の中でもいちばん中性的なものをえらんだら、アキラだったらしい。

 いろんなところで、ことあるごとに「男みたいな名前」とバカにされてきただろうに、アキちゃんは気にもとめなかった。むしろ、長い髪をバッサリ切って年中ジーパンを履いたりなど、あえて男らしい装いをしていたぐらいだった。

 さっぱりとして、かっこいいひとだった。明るく快活で、そして、男の子みたいな恰好でいても、アキちゃんはずっと女の子らしかった。

 運動もできて勉強もできて、絵に描いたような優等生だった。妹のわたしも両親も親戚一同も、アキちゃんのことが誇らしく、大好きだった。

 同年代の子たちがテレビのアイドルなんかに熱をあげている中、英語の歌、それもちょっとワルい感じで男くさい音楽を聴いている自分――ぜんぶひとに教えてもらったのだけれど――が大人っぽくて好きだった。中学生になったら、わたしもアキちゃんみたいになるのだと思っていた。

 音楽に詳しいアキちゃんは、つねに「ギターが弾けるようになりたい」と言っていたけれど、部活のテニスや塾で忙しく、部活がない日はだいたい友だちや恋人と会っていたので、結局始めずじまいだった。


 アキちゃんがいなくなって、アキちゃんのおしえてくれた音楽は聴かなくなった。そのかわり、わたしはギターをはじめた。







 少し身軽になって家に着く。何も解決はしていないのだけれど、人に話すと心が楽になるんだということを知ることができた。

 谷さんにはすべて話してもいいような気がする。今は無理だけれど、そのうち喋れる日が来ればいい。

 そのときはめぐちゃんにも、すべて話せるだろう。


 寝室を覗くも、母のすがたはなかった。今日は休むのかと思っていたけれど、出勤したらしい。リビングへ向かう。炊飯器にごはんがあったので、冷蔵庫から卵とバターとにんにくチューブを取りだし、ガーリックバターライスをつくり、目玉焼きをのせたものを昼食にした。ジュースが飲みたかったけれどなかったので、牛乳をグラスになみなみと注ぎ、立て続けに二杯飲んだ。そしたらもうすることがなくなって、自分の部屋に戻る。

 CDラックから一枚えらび、コンポにセットする。男の人三人組の、サイケロックというか、なんだか変な音楽。うるさいファズギターもくせになる。頭がゆらゆらしそうで、くせになる。

 以前は洋楽を聴いていることがかっこいいことだと思っていた。邦楽なんか海外の真似ばかりでちっともイケてない、と。でも、そうではなかった。国内にもいい音楽はちゃんとある。それほど多くはないかもしれないけれど。

 マンガを数冊抱えて、ベッドに寝そべる。しばらくはパラパラページをめくっていたが、じきに閉じてしまった。音楽に集中する。

 あおむけになって、目をつむる。音のひとつぶひとつぶを、ひろいあつめてゆく。心地がよかった。体がふわふわと重力を失って、まるで水面をたゆたっているような不思議な気分になる。音が遠くなる。いつの間にか眠っていた。




 目がさめたら、もう陽は沈んだあとだった。真っ暗な部屋。空気がひんやりとする。半袖の制服から出た腕に触れるとびっくりするくらい、つめたくなっていた。

 たくさん眠ったせいで、頭がぼうっとした。家中がシンとしていて、心細くなる。今何時だろう。

 電気をつけて壁の時計を見あげると、もう20時だった。六時間近くも眠ってしまった計算になる。お風呂に入ろうと思う。


 一時間かけてゆっくり湯船につかった。浴室から出てくると、おなかはすかないかわりに、喉がひどく渇いていた。ジュースが飲みたかったけれど、冷蔵庫にはなかった。冷蔵庫のドアを開いてから、昼間もおなじことを考えていたことを、そのときに思いだす。母がリキュールを割るのにストックしていたトニックウォーターをみつけたので、一本もらう。甘くて、炭酸が効いていて、ほんのりレモンの味がする。ジュースとまあ、似たようなものだ。

 部屋に戻り、ディスクを変える。女の子ふたりと男の人ひとりの3ピース邦楽ロックバンド。ボーカルの女の子の声がかっこいいのだ。演歌歌手さんのような、こぶしのきいた声。そんな彼女らの最新アルバムだった。歌詞カードを取りだし、缶のままトニックウォーターをすすり、読む。アルコールは入っていないはずだが体がポカポカとして、いい気分になってきた。むしょうにギターが弾きたくなった。ずっと弾いてなかった禁断症状みたいに。

 一度は着た部屋着を脱ぎ、頭からパーカーをかぶって細身のパンツを履く。濡れたままの髪をゴムで上のほうにまとめる。仕上げに、めぐちゃんからもらった化粧水を少しだけつけてギターケースをかつぎ、部屋をでた。



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