2-2
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「あ、杉村さん今日かわいーっ!」
「めぐちゃん……岸さんがしてくれたの」
「いーなあ、私もして貰いたい」
「ホントだあ、かわいー!」
席につくなり、クラスの女の子たちに取り囲まれる。
めぐちゃんとはクラスが違う。わたしは四組で、彼女は一組。遠距離恋愛のようなものだ。だけど、おんなじ学校に通えるだけで嬉しい。
「杉村さんせっかく似合うのに。毎日してこればいいのにー」
「不器用だもん。自分じゃできないよ」
「そんなむずかしくないよー別に」
「あの、なんか、まぶたのキワキワのところに線引いたりとか、あんなのぜったいできないし、まつげをカールするやつ……あれもこわい」
「ツケマにしたらいーじゃん」
「ツケマ?」
「違うよシオリ、ツケマのときもビューラーはするんだよ」
「えー、私したことなかったー」
「なじまないっしょ? 軽くカールさせとかないと」
「そういうもん?」
「そー、そー」
目の前で、繰りひろげられる高度な会話についていけない。わたしはただ、ニコニコに徹する。
「毎日おしゃれだと、彼氏も喜ぶっしょ?」
ニコニコのまま、固まる。
「松田くんの喜んでる姿想像できないー!」
「いつも無表情だからね」かすれた声で、それだけ言う。
「ねえねえ、松田くんってどんなことで喜ぶの?」
「私一回だけ笑ってるとこ見たことあるよ! 鼻血出そうだった! すッごいイケメン!」
ニコニコのまま、わたしは今座ってるこの椅子の下の板がパカンと開いて、落ちていけたらと真剣に思った。「脱落!」とか「失格!」とかになりたかった。
救いのチャイムが鳴って、みんな散り散りに各自の席へと戻ってゆく。押し殺した息を吐きだした。これから、さっきみたいなことはいつでも起こるのだろう。キリキリと、胃が痛んだ。転校しようか。切実に思うのだった。
始業式は、一限目にとりおこなわれた。
校長による冗長的な話があり、新任の先生の紹介があり、県大会でベスト4に残った柔道部の表彰式があった。
それらの光景はすべて、目でしっかり見ていたはずなのに、あとには何にも残らなかった。柔道部キャプテンが表彰状をうやうやしく賜り、全校生徒がいっせいに拍手をした。体育館全体に響きわたる音のそのおおきさに、やっとわれにかえった。あわててみんなに合わせて手をたたく。
拍手がすっかりやむのを待って、教頭先生が締めくくりの言葉を述べ、解散を言いわたした。クラス、学年ごとに分かれて体育館を出てゆく。クラスの女の子たちが、新しく赴任してきた先生たちのことをあれこれ言っているのを横で笑いながら聞きつつ、体育館をあとにする。
「アサ」
入り口をでてすぐ、今もっとも聞きたくない声がわたしを呼び、すっと体がつめたくなった。
入口脇の水飲み場にもたれるようにして立っていたそのひとは、わたしのすがたを見つけるなり体を起こし、大股でこちらへと向かってくる。その場に立ちすくんでしまう。
逃げなければ、と思うのだけど、わたしの足はわたしの脳の言うことを無視し、とるべき行動をとってくれない。地面に釘で打ちつけられたみたいにして、ばかみたいにつっ立っているほかなかった。
近くにいた子たちは気をきかせた風に、「先に行ってるね」とわたしを置いていってしまった。
「何してんの。俺お前ん家の下で十分待って、で、チャイム鳴らしたら千代さんがもう行ったって言うし。二学期初日から遅刻しかけたっつの。お前のせいで」
周りには、まだ他の学年の人たちも、立ちどまってそこいらで談笑したりしている。賑やかなはずなのに、わたしの耳にはほとんど何も聞こえない。そのひとの声しか、聞こえない。
ヨルは不機嫌そうに、こちらを見おろしている。
「大体お前なんなんだよ、この夏休み中無視しやがって。メールも返さねーし電話繋がんねーし。居留守なんだかどうだか知んねーけど、いつ行っても留守だし」
「ヨルには、もう関係ないよ」
こわくて、今すぐ逸らしたいのに、わたしの目はずっと、そのひとの目を見たままだった。ここで逃げてもしょうがない。覚悟を決めて、わたしは言う。声が震えていた。
ヨルは、は? という風に、眉をしかめた。
「なんだよそれ。どういう意味だよ」
「言ったじゃん。もうわたしたち――」
あいかわらず周囲の音が遠い。けれど音は聞こえなくても、視線を感じることはできる。
ヨルは目だつひとだし、わたしたちのことは、たくさんのひとたちが知っている。
「なんだよ」
「……ここじゃやだ。またあとで話しよう」
「お前また逃げるだろ。今言えよ、言いたいことは」
言えない。見られている気配はどんどん色濃く、つよくなっている。
「言っとくけど、俺は別れたつもりないから」興奮してきたのか、ヨルの声がだんだんおおきくなる。
「ヨル、お願い」反して、わたしの声はどんどんちいさくなってゆく。
「なあ、お前何をそんなにまだ怒ってんの? こないだのことなら謝ったじゃん」
「ここじゃ無理……」顔があつい。
「言えよ。なんで別れるとか言うの」
「ねえ、ホントにもう」お願い。やめて。
「別れたいならワケ言って。ちゃんと、今、ここで」お願い、もう、やめて。
ヨルが、わたしに一歩近づく。足はやっぱりうごかない。
おおきな手のひらがこちらへ伸びてき、顔に触れた。
とたんに、我慢していたものが頬をつうっと伝った。
もう、やだ。
そのとき、急に周囲の音が濁流のように一気に耳に入りこんできた。ざわざわ、ひそひそ、わいわい、がやがや、
みんながこちらを見ている。わたしたちのことを、見ている。わたしたちのことを、話している。わたしたちのことを、
「な、バッ……何も泣くことないだろっ」
とうとう、ヨルから目を逸らした。視線を落とす。ぼたぼたと、おおつぶの涙がコンクリートに模様をつくった。ヨルの声があわてている。
ざわざわや、ひそひそや、わいわいや、がやがやが、どんどん耳におおきく響いてくる。音の洪水。笑い声も聞こえる。
そのとき、うしろから、ぬっと腕が伸びてきたかと思うと、首のあたりにまわされる。あたたかい。その温度に心底ホッとしてしまう。
「はいここまで。あたしの大事なアサを泣かさないでくれる?」
「岸には関係ない。俺ら今大事な話してんの。消えてくれる?」
「消えるのはあんたよ。話すことなんか何もないっつの」
「俺はあるんだよ!」いらいらとヨル。
「しつこい男ね。アサはあんたとはもう別れたっつってんだから、もう終わってんの。別れた女にいつまでも付きまとうなダサい」めぐちゃんの低い声には迫力がある。
「ダサい?」ヨルの声がはっきりと怒りをあらわした。「だから俺はなんでそうなんのかを聞きたいって」
「場所を考えなって言ってんの。これ以上アサを見世物みせもんにしたらブッとばすよ」
そこで、ようやくヨルは自分の置かれる環境に気づいたようだった。歯切れがわるくなる。
「とにかく……俺は別れたつもりなんかない。放課後また連絡するから」
「……今日は無理」
「は?なんでだよ」
「バイト、あるから」
「バイトぉ!? お前が?」
めぐちゃんが勝ち誇ったみたいに、「そんなことも知らなかったわけ?」と笑った。負けずぎらいのヨルはぶすりとしている。
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