ただいま

息子は死んだ。

昨日、ビルの屋上から飛び降りたそうだ。

自殺だった。


息子はまだ21才だった。

大学の3回生だった。


遺影は成人式に撮ったものだ。

まさか、こんなものに使われるなんて。

屈託のない笑顔がそう言っているようだった。



-21年後-



すっかり暖かくなってきた春のある日。

うとうととつい昼寝をしてしまっていた。

チャイムが鳴り、寝惚け眼のまま玄関のドアを開けた。

「どちらさ・・・ま・・・」

眠気が吹き飛んだ。

死んだはずの息子が目の前に立っていた。

もしかしたら、まだ眠りの中にいるのかもしれない。



-21年前-



息子が自殺するなんて考えられなかった。

現場に遺書などの遺留品は残されていなかった。

それでも警察は現場の状況から、

「犯罪の可能性はほぼない」

「自殺と考えて間違いないでしょう」と告げた。

どうしても、自殺なんて有り得ないと思った。

息子の部屋に入ると、机の上に1枚のメモが置かれていた。

<すぐに戻ってくるから、ちょっと待ってて>

すぐに戻る?

自殺をしようとする人間が、そのようなメモを残したりするだろうか。

納得のいかないまま、無情にも時間だけが足早に過ぎ去っていった。



-21年後-



目の前に、息子と瓜二つの青年が立っている。

毎日のように見ている遺影と同じ顔、背広姿。

きっとこれは夢だ。

何かの間違いだ。

「あ、あのう・・・」

突っ立ったままの青年に声を掛けてみた。

「・・・ただいま」

「え・・・」

何度この時を願っただろうか。

何度夢に出てきただろうか。

息子が帰って来た・・・。

信じられない・・・。

でも信じたい・・・。

ずっと待っていたから・・・。

あまりに突然だったので、この青年しか見えていなかった。

斜め後ろに女性が頭を下げていた。

女性は頭をゆっくり上げ、緊張した面持ちで切り出した。

「・・・お久しぶりでございます」

「え・・・どこかでお会いに・・・」

「タケルさんの葬儀の時に・・・」

息子の名前に目の前の青年を慌てて見直した。



応接間に座った青年と女性。

腰を下ろすと、女性が丁寧に話し始めた。


私、田所サエと申します。

現在は○△□大学の方で准教授をしております。

タケルさんがお亡くなりになられた当時、△□○大学で働いておりました。

タケルさんと私は同じ大学の学生と講師でした。


返す言葉が出ない。

何と言っていいのか分からない。

ただ話を聞くことしかできなかった。

田所という女性は、ゆっくりと諭すように言葉を続けた。


タケルさんが亡くなられた時、

タケルさんと私は、交際をしていました。


突然の訪問、そして突然の告白、更に分からない青年の正体。

何と返事をしたか記憶にない。

言葉すら返してないのかもしれない。

声にならない声が、喉から漏れただけかもしれない。

ただ意識だけは女性に集中していた。


付き合い始めたのは、タケルさんが2回生の夏頃でした。

当時タケルさんは20歳、私が27でした。

学生と講師という立場上、2人の交際は公にはできませんでした。

しかし、時間が流れるに連れ、2人の絆は深まり、将来的なことも考えるようになっていきました。

私は、交際を周囲に知られても構いませんでした。

しかし、タケルさんは私の立場を案じ、大学卒業までは隠そうと言ってくれました。

タケルさんは本当に優しい人でした。


女性の目には光るものがあった。

息子はこの女性と交際をしていた・・・。

結婚を考えていた・・・。


タケルさんが3回生になってすぐの頃です。

年に1度実施させる、大学内の健康診断がありました。

そこで要検査となりました。

後日、タケルさんは病院に行きました。

精密検査を受けた結果、ある病名を医師から告げられました。

“若年性アルツハイマー”

医師は病名を告げる際に、先にご家族に説明をと仰ったそうですが、タケルさんは自分で聞きたいと言ったそうです。

アルツハイマーは痴呆症状などが一般的ですが、若年性の場合、進行が速いだけでなくあらゆる能力が失われていき、最後には呼吸することもできなくなり、死に至ります。


息子が病気・・・。

俯いた女性の顔からはぽたぽたと涙がこぼれていた。

少し間が空き、女性は呼吸を整えた。


彼はショックを隠しきれませんでした。

真面目な彼が、講義を数日欠席しました。

最初は聞いても話してくれませんでした。

問い詰めるとやっと打ち明けてくれました。

彼も私も一晩中泣きました。

それでも涙は止まりませんでした。

病気の進行には個人差があるそうですが、昨日できていたことが今日できなくなる恐怖に彼は耐えられないと言いました。

いずれ入院して、誰が誰かも分からなくなり、そのまま死を迎えるなんて考えられないと。

私は彼に結婚しないかと言いました。

私は彼と他人のままだなんて考えたくありませんでした。

彼が本当に死んでしまうなんて信じたくありませんでした。

2人で考えました。

どうしたらいいのか。

涙の止まらない私に彼は“大丈夫”と微笑んでくれました。

彼の方が何倍も何十倍も怖かったはずなのに・・・。

その時、私は思いました。

彼の子どもが欲しい。

彼と私の子どもが欲しいと。


俯いていた顔を青年に向けると、青年の頬にも涙が伝っていた。


彼は反対しました。

しかし、私は譲りませんでした。

答えが出るまでには時間が掛かりました。

彼は私に条件を出しました。

親にはこれ以上、迷惑を掛けられない。

1人で産んで育てる覚悟があるのならと。

私に迷いはありませんでした。

しかし、彼の条件はもう1つありました。

自分と同い年になったら親に会わせて欲しいと。

・・・そして今日、お伺いした次第です。


「じゃあこの子はタケルの・・・」

「息子です」




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