月への誘い 佐之原卓人 二

 バイトの話がまとまったところで、美月さんが声をかけてきた。


「卓ちゃん、もう帰る?」

「えーと、どっしよっかな」

「今日はお客さんとして、ゆっくりしていったら?」


 オレは、あさみちゃんの方を見た。あさみちゃんはオレの視線に気がついて、なにか用ってな感じでオレを見返している。うーん。やっぱり不思議だ。


 美月さんがオレの視線に行き先に気がついたのか、ふっと笑ってあさみちゃんに声をかけた。


「あさみちゃん、なにかカクテルを作ってあげて」


 慌ててそれを止める。


「あ! それはいいっす! いらないです!」


 大声をあげたオレに、美月さんがびっくりしてる。


「どうして?」

「オレは酒が全然飲めないンです。体質で。奈良漬で酔うほどじゃないけど、すっごく弱いンですよ。親父もなんですけど」

「あら、それはびっくり。結構飲めそうな感じなのに」


 オレは思わず苦笑いしちゃう。そんな風に見えるンかなあ。


「だから、こういう飲み屋系のところはホントは苦手なんすよ。酔っぱらいの気持ちも分かんねーし」

「ふーん」


 美月さんは、じゃあって感じでオレを手招きしてカウンターの中に呼び込んだ。


「卓ちゃん、冷蔵庫の中のもので何か作ってみて。別に試すわけじゃないけど、わたしたちに夕飯ごちそうしてくれる?」


 お。いきなり実技試験すか。緊張するなあ。


「じゃあ、ちょっと食材見せてください」


 冷蔵庫を開ける。魚介類が多いね。親父、感謝するぜ。魚を扱えるのはこーいう場合すごく助かる。一応、聞いとこうか。


「なんでもいいすか? 好き嫌いとかは?」

「私はなんでも大丈夫よ。あさみちゃんは?」

「だい じょうぶ です」

「ご飯は炊けてます?」

「出来合いのおかず買うつもりだったから、ご飯だけはたくさんあるわ。炊きたてよ」


 おっけー、ね。じゃあ、いくか。


 手頃な型のアジが三尾あったので、それを三枚に下ろす。中骨と頭、尾は網に乗せて直火であぶる。身の方はゼイゴと小骨を取ったら、一口大に切り分ける。ボウルに酒と醤油を混ぜ入れて、身を浸しておく。


 網に乗せたのがいい感じに焼けて、香ばしくなってきた。先に中骨と尾を網から下ろして、頭だけほぐして追加で火を入れる。加熱が甘いと生臭くなっからな。


 鍋に昆布と水、酒少々を入れて、弱火で暖める。昆布が伸びて開いたら取り出して、さっき網で焼いたアラをまとめて入れて、火を強くする。沸いたら火を細めてアクを掬う。しょうがをひとかけ入れて、と。よし。


 小カブがあったよな。茎と玉に分けて、玉は皮を剥いて四等分して、厚めの銀杏切り。茎も洗って三、四センチに切る。葉は今回は外す。でも、後でなんかに使おう。切り分けたカブをボウルに入れて、ざざっと塩を回して軽く揉む。やり過ぎると歯応えがなくなるから、慎重に。


 どれ。ぽりっ。んー、おっけー。


 砂糖と酒、隠し味でちょっぴり醤油を振って、柚子を絞ってかけ回す。柚子の皮を削いで、細かく刻んで一緒によく混ぜる。んー、いい香りだ。あとは少し冷蔵庫で馴染ませよう。よし。箸休め、出っ来。


 汁は? どれ。よしよし。もういいかな。キッチンペーパーで濾して、アラを外す。鍋に戻して、薄口醤油とみりんで味を整えて、弱く火を入れて、と。よし。


 さあ、メインだ。


 まず掛けダレを作ろう。醤油とみりんと砂糖、それに市販のめんつゆ。混ぜて、煮立てて、かなり濃く、甘めに調整っと。小ネギはどっさり刻んでおく。針しょうがを用意して、と。お、忘れずに三つ葉も結んどこう。あと、手鞠麩があったな。これも用意。


 フライパンに油をたっぷり入れて、バーナーオン。下味つけておいたアジにすりゴマをまぶしてから、片栗粉を付けて、からっと揚げる。火が強すぎると焦げるから、慎重に。


 ご飯を小丼に盛る。少し早めに入れておかないと、炊きたては水っぽくなるからな。揚がったアジをご飯の上に乗せて、針ショウガを散らし、刻みネギをたっぷり乗せて、すぐにタレを掛け回す。じゅーっていう音がいいんだよねー。んー。


 椀に汁を入れて、手鞠麩と三つ葉を放す。カブの浅漬けを小鉢に盛る。


 うりゃ。完成。


「えっと、丼の方は好みで七味を振ってください」


 美月さんは、ほーっという感じでオレの手さばきを見てた。


「うわあ。さすが名人の子はただ者じゃないわね」


 オレはくすぐったい。


「親父もおふくろも家に帰ったら台所には立たないんで、自然に鍛えられちまったんですよ。食いたいものは自分で作るしかないもんで」

「そうなの? スパルタなのね」

「いや、放任っすよ。親父は余計なことは言わないです。聞けば教えてくれるってー感じかなあ。あ、冷めると美味しくないから、どうぞ」


 三人でカウンターに並んで、むぐむぐとご飯を食べる。


 店はもう開いてるから、今お客さんが来たら奇妙な光景に見えるだろうなあと思ったり、思わなかったり。


「どうすか?」

「んまあ、すごいわね。おいしいわあ。私、もう引退するから、卓ちゃんこの店やって」

「美月さん、なーにをおとぼけ言ってんすかあ」


 あさみちゃんの方を見ると。カブの浅漬けが気に入ったみたいじゃ。空になった自分の小鉢を、恨めしそーに睨んでる。


「あさみちゃん、漬け物まだいっぱいありますよ?」

「あ、ほしぃ」


 てんこ盛り、大サービス。それを嬉しそうに、ぽりっぽりっぽりっと食べ続けてる。ふいーっ。オレも腹が膨れたぃ。


 食べ終わって空になった丼を見下ろしていた美月さんが、オレにぽつりと謝った。


「卓ちゃん、こんな腕がいいのに薄給でごめんね」

「いや、オレの腕じゃまともなもんは作れねーから、分相応ですよ」

「そうなの?」


 慰めるような笑顔を浮かべて。美月さんは奇妙なことを言った。


「月の住人はね。月の美しさを知らないのよ」


 オレは、この時から。この半月という店、そして美月さんの持つ世界に塗り込まれていく。


 そんな……予感がした。


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