昇月 三

 はあ。えーっとぉ……。


 わたし、卓ちゃんに告白しちゃったのよね。で、おっけー出ちゃったのよね。しかも、雰囲気はもうプロポーズよね。ご両親へのご挨拶も済んじゃったのよね。ふう。なんだろ。いっきなりジェットコースターに乗ったみたいだ。


 卓ちゃんのお父さん。卓ちゃんが憧れるのがよーく分かる。頑固なんだろうなと思うけど、背中がすっごく大きい。もっともっといろんな想いを乗せられそう。

 卓ちゃんのお母さん。静かな人。優しそうな人。でも、想いがすごく強そうな人。ちょっと美月さんと印象が重なる。


 卓ちゃん。わたしね、すっごく楽しい。これからわたしが、どう変わっていくかを考えるのが。卓ちゃんもそうでしょ? だから。


「あさみちゃーん?」


 あ、卓ちゃんが呼んでる。


◇ ◇ ◇


 居間のダイニングテーブルには、卓ちゃんが作った料理が並んでいた。


「うちは、俺やかかあがメシを作ることはないから、これがいつものスタイルだ。まあ、一般家庭とは違ってるけど勘弁してくれ」


 名店の板長さんもその奥さんも、家でご飯を作らない。卓ちゃんには聞いてたけど、わたしはすごい不思議だったんだ。どうして?


「あの。なぜお父さんお母さんは、家では料理されないんですか?」


 わたしのストレートな突っ込みに、お父さんが苦笑している。うう、気の利かないところはこれから直さないとなー。


「そうか。卓にも俺の事情は説明してなかったからな。卓、おめえもどうしてか知らねえだろ?」

「うん。オレは、親父が店以外に家でもメシを作るのが、面倒臭いからだと思ってたんだけど」


 お父さんは頭を掻きながら、照れくさそうに真相をばらした。


「俺は不器用でな。仕込みから料理になるまで、えらく時間がかかるんだ。ぱぱっと作れねえんだよ。店なら開店までの時間から逆算できっけど、家じゃそういう芸当はできねえからな」


 ひえええっ! びっくり仰天! 型破りもいいとこ。

 お父さんが、卓ちゃんの方を見た。


「卓、おめえにゃ言ってなかったが、俺は下働きの時に、先輩に何度止めっちまえと言われたかわからねえ。さっさっと賄いが作れんかったんだよ。だから、早く自分の店を持ちたかった。要領が良かろうが悪かろうが、うめえもんを客に食わしたいってえところには、関係がねえからな」

「そっか……」

「でも俺の腕前じゃ、短時間に手際よくたくさんのお客さんに料理を出せねえんだ。だから予約しか受けらんねえのさ。卓には、俺が客を選ぶように見えたかもしれねえな」


 卓ちゃんは、初めてお父さんの事情が分かったみたいだ。目をまん丸にして驚いてる。お父さんは、今度はお母さんの方を見てにやにや笑った。


「かかあはな。料理自体が全くダメなんだよ」


 うそお!?


「米は研げねえ。卵を割りゃあぐちゃぐちゃ。野菜の皮剥きゃ中身がなくなる。肉、魚には全く触れねえ。まあ、かかあはいいとこの出だからな。自分で料理するなんてこたあ、なかったんだろ」


 な、なんつーか……。


「でも、嫁ぐとなりゃあ話は別だ。年頃になって慌てたのさ。こりゃあ大変だって。それで、料理のできるオトコを逃がすもんかって、俺の店に通い詰めてたんだ。俺は、強引に口説き落とされちまったんだよ」


 お母さんが楽しそうに笑ってる。


「ね? 親子して同じ運命になったわねって。さっき父さんと大笑いしてたとこよ」


 そっかあ。わたしは全く料理ができないわけじゃないけど、じゃあやってみろって言われたら固まるな。きっと。うん。


「なあ、あさみさん。卓の料理はどんな味がするんだ? 俺らはずっとこいつのメシを食い続けてきたから、それは分かんねえんだ」


 わたしはすぐに答えた。


「卓ちゃんの料理はあったかいんです。食べると笑顔になれる。夕食の時、その日の出来事をおしゃべりするのを手伝ってくれる料理。たぶん、それは味じゃないと思います。卓ちゃんが料理する時に込めるココロ。わたしはそう思ってます」


 卓ちゃんが照れた。オレのはそんなんじゃねーよって感じで。お父さんは、笑いながら卓ちゃんを持ち上げた。


「おい、卓。背伸びすんなよ。料理にゃ完成形もなければ、最高傑作もねえ。食ったらなくなるもんに理想なんて探すな。うまけりゃそれでいいんだ。そしてな。おめえの料理はうめえ。こんなにいっぱいおめえの料理に惚れこむやつがいるんだから、間違いねえ」


 そう言って、自分とわたしとお母さんを指差した。みんなに絶賛された卓ちゃんは、真っ赤になってる。すっごい恥ずかしそう。あはは。


「さあ、せっかく卓が腕を振るってくれたんだ。冷めねえうちに食おう」


◇ ◇ ◇


 それからすぐ。卓ちゃんは大学をすっぱりやめて、家の近くの料亭に板前修行に出た。我流もいいけど、やっぱり基礎を教わりたいって。勉強は嫌いだって言ってたのに、これは勉強じゃないって思ってるみたい。ふふっ。


 わたしは、卓ちゃんのお父さんのお店で働いてる。お父さんもお母さんも、わたしには何も注文をつけない。言葉遣いも、立ち居振る舞いもテキトーでいいって。


 でも、ただ一つ。お父さんにはっきり言われたこと。


 お客さんの目を見なさい。お客さんの言葉を汲みなさい。お客さんの仕草を量りなさい。お酒と料理を楽しみに来ているお客さんが、本心で何を求めているかを真剣に探りなさい。お客さんと真正面から向き合うのが、客商売ってものなんだよって。


 それは……美月さんに出されたままだった宿題の答え。ずっとはすに構えてたわたしが、半月に居る時にはとうとう出来なかったこと。お父さんは、わたしの欠点を的確に見抜いていた。やっぱり大きい人だなあ。


◇ ◇ ◇


 わたしの生活は安定した。卓ちゃんの家がわたしの家になって、お給料を貰えるようになって、昼の時間が自分のものになった。それよりなにより。卓ちゃんが、そして卓ちゃんのご両親が、わたしの心の支えになってくれた。


 最初のうち、卓ちゃんには遠慮があった。わたしを呼び捨てにはしなかった。半月で一緒に仕事してた時以上に、わたしを遠巻きにした。でも。わたしは卓ちゃんに強引に近づいた。中途半端な距離は作りたくなかったから。もうお互いの心の陰陽は分かってるんだもの。だから。

 卓ちゃんも、それは理解してくれた。そして少し時間はかかったけど、真剣にわたしを受け入れてくれた。わたしたちは自然に一つになっていった。


 お父さんは、わたしたちにずばっと言った。


「どうせ二人で人生作るンなら、さっさとやれ。世間の型にはまんな。まあ、どたばたしてるうちに馴染んでくっからよ」


 お母さんも、ぐいっと背中を押してくれた。


「楽しいわよ。お互いに飽きてる暇なんかないわ」


 さすが、経験者。不器用な板前と深窓のお嬢様の組み合わせなら、想像を絶するやり取りがあったんじゃないかなー。わたしはとっても気が楽になった。そして、すぐに佐之原あさみになった。


 みんな、わたしに言ってくれる。寄りかかるのを恥じることはないって。それが家族なんだからって。わたしは泣きたいくらい幸せだ。


 それから……夢。勉強したい。高卒認定試験はクリアした。


 卓ちゃんには変わってるって言われたけど、変わってなんかいないよ。だって、わたしはさわちゃんのことを偉そうに言えないんだもの。両親と死に別れてからのわたしは、どこもかしこも穴だらけになっちゃってる。ココロも学力も……両方とも。それを、きちんと埋めたいの。自分の力で。自分が納得できるまで。


 そしてわたしは、覚えたこと教わったことをちゃんと使いたい。


 卓ちゃんの仕事を手伝うには何が要るか? 卓ちゃんの料理を気持ちよく食べてもらうために、わたしは何ができるか? 経営、食材やお酒の知識、食文化、そして人のココロ……わたしが学びたいこと、学ばなければならないことはいっぱいある。ただ知識欲を満たすだけじゃない。学んだことを、わたしと卓ちゃんの人生に活かすんだ。二人で並んで歩いていくために。


 まず、卓ちゃんが通っていた大学に行きたい。大学はゴールじゃないから、先々どこまで行けるかはわたしの努力次第だ。


 卓ちゃんは応援してくれる。卓ちゃんも学んでいる。


 よし! 離陸テイクオフだ!


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