昇月 二
美月さんが……逝った。
オレは、突然大切なものを失った。でも、時はオレたちをこれっぽっちも待ってくれねー。誰かの死は、生きているオレたちを容赦なく急き立てる。両親を亡くしたあさみちゃんは、ものすごくしんどかっただろうなと、改めて思う。
一夜明けて。朝早くから半月に来てくれた迫田さんが御堂さんに連絡して、すぐに葬式の手配をした。御堂さんは、美月さんが急死したって聞いて絶句したらしい。昨日はいつも通りだったじゃないかって。うん、オレたちもそう思ってたんだよ。まだ信じられねーんだよ。でも……美月さんはもういねーんだ。
時照寺で質素な葬式が行われた。迫田さん、御堂さんと、オレとあさみちゃん。四人だけで。平服で。淡々と。
僧衣姿の御堂さんの行き場のない問いが、ぽつりと畳にこぼれた。
「月に、帰れたかな」
迫田さんが、首を振りながらそれに答える。
「美月さんに帰れるところはないです。でも、月になったでしょう。俺たちをいつでも見られる月に。俺たちがいつでも見上げられる月に」
俯いた御堂さんが、寂しそうに微笑んだ。
遺影のない、位牌だけの祭壇。美月さんは、これまで誰かの写真を撮ったり、誰かに撮られたりってことがなかったンだろう。人と触れ合う飲み屋っていう商売なのに、それは寂しいよなあと。オレは……でっかい溜息をついた。
荼毘と骨上げを済ませたオレたちは、その先は手続きを含めて御堂さんと迫田さんに任せることにした。逝っちまった美月さんには、オレたちはもう何にもできねーんだ。それよか、あさみちゃんの身の振り方を急いで考えないとさ。職だけならともかく、住むとこがもうねーんだから。
寺から戻って、半月の居間にあさみちゃんと上がった。
「これから。どうすんの?」
あさみちゃんの返事はない。ずっと俯いたまんまだ。そらあ……ショックで何も考えられねーよなあ。でも、オレらはこれからも生きてかないとなんねーんだ。オレには帰るところがあるけど、あさみちゃんにはない。迫田さんの帰る帰れねえの話は、ぶっちゃけシャレになんねーんだよ。
どう見たって、今のあさみちゃんには自分の身の振り方をすぐに考える余裕なんかねーだろう。オレには、どうしてもあさみちゃんを放り出すことは出来んかった。
「しばらく、ウチに来る?」
聞いてみたら、あっさり、うんと頷いた。でも、あさみちゃんの返事の後ろにどんな感情があるのか、オレには全く分からなかった。まあ、しゃあねえや。寝るところがあって、メシが食えて、明日の心配をしないで済むのがまず先だ。
迫田さんと店の後片付けをした後で、あさみちゃんの荷物を迫田さんの車に載せてもらって、オレん家に連れていった。
「卓ちゃんもあさみちゃんも、気を落とさないようにな。それと卓ちゃん、しばらくあさみちゃんを頼むな。何か困ったことがあったら、いつでも俺に相談してくれ」
迫田さんは、心配そうにオレたちの方を振り返りながら帰っていった。迫田さんは本当にオトナだ。オレたちが自分のことだけで手一杯の時に、ちゃんと気遣ってフォローしてくれる。オレもこれから見習わねーとな。
「あさみちゃん、入って」
玄関先で俯いていたあさみちゃんに声をかける。オレにくっ付いて、とぼとぼと家に入ってきたけど……。うーん、こらあ相当ダメージが大きそうだなー。こんなところを親父に見られたら、何言われっか分かんねーな。でも、オレが板さんのバイトをしていた店の子だ。事情を話せば、親父もおふくろもとやかく言わねーだろ。
親父の店は定休日で、今日は親父もおふくろも家にいるもんだと思っていたら、買い物があるからちょっと家を空けるって書き置きがあった。ちぇっ、間がわりぃなあ。
「あさみちゃん、座ってよ」
突っ立ったままリビングを見回してたあさみちゃんに声をかけたら、はっとしたようにソファーに腰を下ろした。
茶ぁでも煎れるか。オレがキッチンに行こうとしたら、あさみちゃんの声がこつんと背中に当たった。
「ねえ、卓ちゃん」
「なに?」
「わたしね。したいことがあるの」
「えっ!?」
オレはものすごく驚いた。てっきり、美月さんのことでまだ泣き言があるんかなあと思ってたからさ。あさみちゃんが、真剣な表情でオレの顔をじっと見つめる。
「卓ちゃんはさ。大学にいるけど、それを全部無駄にしてでも、料理の道に進むことにしたんでしょ?」
「そうだなー」
「わたしにもね。夢があるの」
あさみちゃんが、きらきらした笑顔を振りまいた。これまでの顔つきと全然違う。どきっとする。こんなの不意打ちだよー。
「わたしは両親が死んだあと、中学までしか行かせてもらえなかった。だから勉強したいの。勉強に飢えてるの。卓ちゃん、それって変だと思う?」
「うーん。オレは勉強嫌いだから、変わってるなーとは思うけど。でも、あさみちゃんがしたいって思うことは、あさみちゃんにはちゃんと意味があるンだよ。それでいーんでねーの?」
「うん。卓ちゃんなら、きっとそう言ってくれると思った。ふふっ」
あさみちゃんが、嬉しそうに笑った。
ちょうどその時。親父とおふくろが買い物から戻ってきた。案の定、あさみちゃんを見てびっくりしてたから、変な誤解をされないうちに急いで事情説明する。
「オレのバイト先の半月で働いてた伊東さん。オーナーの長戸さんが、昨晩急に亡くなったんだ。伊東さんは住み込みだったから、住むところも職もいきなり無くなっちまった。だから、あとのことが決まるまでうちに居てもらってもいいだろ?」
親父が、ふーんという感じであさみちゃんを見てる。立ち上がったあさみちゃんが、深く頭を下げて挨拶した。
「伊東あさみといいます。突然ご迷惑をかけてすみません」
親父が、心配顔でそれに答えた。
「いや。困った時はお互い様だ。突然のことで、いろいろ大変でしょう。しばらくはうちでのんびりして、心と体をきちんと休めなさい。娘の部屋が空いてっから、遠慮なく使ってくれりゃいい」
そして、いきなりとんでもねーことを言い出した。
「伊東さん。落ち着いたらだけど、よければしばらくうちの店で働いてみないかい?」
あさみちゃんは、親父の予想外の申し出に目を白黒させてる。
「あの……いいんですか? なかきたは名店だと聞いてます。わたしのようながさつな人間にお手伝いが務まるんでしょうか」
親父はそれを聞いて、からっと笑い飛ばした。
「はっはっはあ、うちはそんな格式のある店じゃねえよ。フツーの小料理屋だ。客は酒を飲みながら料理を食い散らかす。気持ちよく食い散らかしてもらう手伝いが出来れば、それでいいんだ」
親父が、ひょいっとオレの顔を見た。なんだぁ?
「まあ、前の店とは仕事も雰囲気も違うかもしれんけど、将来息子と店をやるんだったら、客あしらいも経験しといた方がいいだろう?」
あさみちゃんもオレも、呆気にとられた。バカ親父ぃー! いっきなり何を言い出すんじゃい!
「お、お、おやじぃ! オレたちは全然そういう関係じゃねーよっ!」
「じゃ、どういう関係だ?」
改めて親父にそう突きつけられると、即答出来んかった。黙り込んだオレを尻目に、あさみちゃんが心底嬉しそうに口を開いた。
「お父さん。わたしは、卓ちゃんが好きです」
えええっ? なんだってぇ!?
「ただ、今までそれを卓ちゃんに伝えてませんでした。わたしはいろんな悩みを抱え込んでいて、それが邪魔してたから。でも。半月で卓ちゃんが作ってくれた料理はもう最高でした。わたしは心まで卓ちゃんに料理されたんです。悩みや過去まですっかり消えてしまうくらい」
「……」
「それで……もし卓ちゃんが料理を仕事にするのなら、わたしはずっと付いていきたいんです。わたしも手伝いたいんです。わたしは卓ちゃんが」
まっすぐオレの目を見て、頬を染めて。
「卓ちゃんが、好きだから」
だめだぁ。これでオレは、あさみちゃんに一生頭が上がんねー。尻に敷かれるなー。そう思いながらも、オレは頬が緩みっぱなしだった。
親父がにやにやしながらオレをど突いた。
「卓。告白は男の側がするもんだ。おめえはそれが出来なかったんだから、せめて返事くれえはきちんとせえよ」
ちっくしょー、こっぱずかしー。でも、ここでやらなきゃ男がすたる! 美月さんにも申し訳ない。
「あさみちゃん!」
「はい」
「オレも、あさみちゃんが好きです」
見る見る、あさみちゃんの目が涙で塞がった。し、しまった。へまやったかなーと思ったけど、あさみちゃんは力いっぱい首を縦に振った。
「ありがとう、卓ちゃん。わたしね。これでやっと美月さんに一つ嬉しい報告が出来る。わたしにも愛する人が、愛してるって言える人が出来たよって。一緒に生きていく人が出来たよって」
あさみちゃんは床にきちんと正座するなり、両手をついてオレに深々と頭を下げた。
「幾久しく、よろしくお願いいたします」
なぜか分かんないけど。オレにはその姿が……美月さんとダブって見えた。
ずっと黙って突っ立っていたおふくろは、あさみちゃんの側に歩み寄ると、ゆっくり屈んで肩を抱いた。驚いて顔を上げたあさみちゃんを、おふくろが笑顔で諭した。
「あさみさん。卓人は優しい子です。きっとあなたを幸せにしてくれると思います。だから、苦労を一人で背負いこまないようにね」
あさみちゃんは、次々溢れる涙を手の甲で拭いながら大きく頷いた。
「はい」
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