昇月 四

 美月さんが逝って、一年が過ぎた。その一年は、ものすごく長いようにも、あっという間だったようにも思える。ぶつくさ言いながらダイガクに通っていた時には何も感じなかった時間の流れをしっかり感じ取れるようになって。オレはそいつに押し流されたくなかった。


 顔を上げさえすれば、そこにはいつでも月がかかってる。変わらずにオレを見下ろしている月が。オレは……その月に恥じないようずっと精進してきたつもりだ。そして美月さんとの約束を、もうすぐ果たせそうだ。


「でも。一人では……出来んかったなー」


 あん時は切羽詰まってたから、美月さんに店ぇやるって言い切ったけどよ。現実はそんなに甘くねーわ。


 あさみがオレの隣にいること。店ぇやるには、どうしてもそれが必要だった。不器用だっていう親父のことなんかとやかく言えやしねー。オレだって、まともに出来んのは料理だけなンだからよ。

 ゼニカネのことだけじゃねー。目も、手も、ココロの余裕も、何もかも。オレの足んねーところは、あさみが支えてくれる。オレの全てを安心して預けられるあさみがいるから、オレは料理に専念出来るンだ。だからオレは今、二人で歩くってことの重みをずっしり思い知らされてる。


 オレは、あさみと二人で決めた店名をチラシの裏に書いて、じっと眺める。美月さんは……喜んでくれっかなあ。


「よう、卓」


 リビングに入ってきた親父が、持っていた封筒をオレに手渡した。


「なに、これ?」

「店に来てたンだよ。おめえ宛てだ」

「はあ?」


 なんでここに送んねーんだ?


 差出人は誰かなと思ったら、迫田さんだった。ああ、そうか。ここの住所は、迫田さんには分かんねーか。でも、なんで手紙なんだろ?


 封を切って、中の紙っぺらを引っ張り出す。


『卓ちゃん、元気か? 電話しようと思ったけど、電話嫌いの卓ちゃんは携帯の電源を切ってるかもしれないと思って手紙にした。今度、さわちゃんとぐっちぃが結婚するそうだ。半月つながりで、お祝いの会をしようと考えてる。ちょっと頼みたいことがあるので、電話をくれるか?』


 おい、これだけかよ。なんのための手紙じゃ。ったく。ちゃんと要件書いてよ、迫田さん。


「もう、夜遅くなってるから電話しても大丈夫かな?」


 オレは携帯を取り出して電源を入れ、迫田さんの携帯の番号を検索した。


「もしもし、迫田さんですか? 佐之原です」

「あー、卓ちゃん、久しぶり。元気だったかい?」

「おかげさまで」

「大学出て、どっか就職したのかい?」

「いえ、大学はやめました。今は見習いの板さんをやってます。もうすぐ、そこの店も辞めますけど」

「へえ。それは知らんかった。思い切ったねえ。また、別の店で働くのかい?」

「いえ、もう自分の店を持ちます。親父が、習うより慣れろだって言うもんで」

「そっか。ちゃんと美月さんとの約束を守ってるんだ」

「いいや、約束だからじゃないすよ。これはオレの選んだ道だから。ね」

「なるほど。開店したら必ず教えてくれよ。ごちそうになりに行くからね」

「ありがとうございます。励みになります」

「ところでさ、あさみちゃんの連絡先って分かる?」

「ああ」


 オレは迫田さんの反応を思い浮かべて。ちょっと悪戯っぽく答えた。


「家内ですかぁ? 居ますよぉ。すぐそばにぃ」


 おーおー、絶句してる絶句してる。たーのしー。


「おーい、あさみぃ!」

「なーに? 卓ちゃん?」


 風呂出てから、パジャマ姿でなにやらパソコンをいじってたあさみが、ほよっという感じでこっちを見た。


「迫田さんが電話に出てる。ちょっと挨拶してよ」


 あさみに携帯を渡す。


「あの、ご無沙汰してます。迫田さんですか? あさみですー」

「い、いつの間に……」

「えと。美月さんのお葬式のあとに、プロポーズしました」

「ええっ? あさみちゃんがあ!?」

「そうです。で、おっけーもらって、卓ちゃんの家に住んでます」

「うっひゃあ。そいつは……。で、あさみちゃんは今何してるの? 専業主婦?」

「いえ、なかきたで働いてます。もうすぐ辞めますけど」

「と、言うことは」

「そう。卓ちゃんと店を始めるから」

「うわあ。すごいね」

「まだ勉強しなきゃならないことがいっぱいあるから、大学にも行ってます。卓ちゃんが行ってたとこ」

「やるなあ。完全に吹っ切れたって感じだね」

「いいえ」


 あさみは、ちょっと寂しそうな顔になった。


「これからです。美月さんに向き合わなきゃならないのは。ほんの一年で、わたしの心の中の月が消えることはないです」

「そうか……。あ、今、卓ちゃんには言ったんだけどね。今度、さわちゃんとぐっちぃが結婚するんだ。半月つながりで、お祝いをしようと思ってね。どう?」

「乗ります乗ります。いろんな話が聞けそうですね」

「ふっふっふ。もちろんそれが目的さ」


 あさみが、迫田さんたらーと言って呆れてる。全く、迫田さんの人食ったところは全然変わってねーな。


「あ、卓ちゃんと替わってくれる?」


 あさみから携帯を受け取った。


「お願いってのは、料理のことさ。卓ちゃんに任せたいんだ」

「いいっすよ。でも、どこでやるんすか?」

「時照寺でやろうと考えてる」

「御堂さんも参加されるんすか?」


 迫田さんの声が、突然途切れた。


「御堂さんは亡くなったよ」

「えっ!?」


 ふっ、と小さく息を放る音がした。


「まるで、美月さんを一人で行かせるのは忍びないとでも言うかのように。すぐ後を追うようにして」

「……」

「御堂さんは若い頃に奥さんに先立たれて、あのトシまでずっと独りだったから寂しかったのさ。やっと半月に居場所ができて、本当に嬉しかったんだろ。九得は口が悪いからああいう言い方をしたけど、御堂さんにとって半月は家だったんだ」


 そうか……知らなかった。


「気落ちが酷かったから、ちょっと慰めようと思ってさ。罰当たりかなとは思ったんだけど、美月さんの葬式の翌日に酒を持って寺に行ったんだ。そうしたら、本堂で美月さんの位牌を前にして、袈裟を着て読経しているそのままの姿で……亡くなってたんだ」


 ……言葉が出ねー。


「御堂さんには跡継ぎがいないから、俺になにかあれば頼むわと言われてた。で、寺の管理だけはこれまで続けてたんだけど、今度後任の坊さんが来ることが決まったんでね」

「そっすか……」

「半月の宴には、御堂さんの想いも最後にちょっとは乗せてあげた方がいいかなと思ってさ。まあ寺で宴会だなんてそれこそ罰当たりかなとは思うけど、それはそれと言う事で」


 迫田さんも、本当に情の深い人だな。


「分かりました」


 そして、迫田さんが念を押すようにオレをいじった。


「なあ、卓ちゃん。湿っぽいのはなしだぜ。なんと言っても結婚の祝いの席だ。ついでに卓ちゃんたちもツマミにさせてもらうから、そのつもりでな」


 ついでに? やれやれ。どっちがいじられるか分かったもんじゃねーな。ま、いっか。めでたい席だし。オレは日時と予算を確かめてから電話を切った。


 御堂さんが亡くなった話をあさみにしたら、すごく寂しそうな顔をした。オレも無性に寂しい。御堂さんは、何を持って美月さんのもとへ行ったんだろう? 月には行けたんだろうか?


 リビングのカーテンを開けて、あさみと二人で月を探した。傾いた三日月が、オレらにうっすら笑顔を向けていた。


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