告別 三

 そうして。わたしは目を瞑った。

 わたしは。わたしは。わたしは……。わたしは、美月さんに何が贈れるだろう?


 伯父の家での幽閉生活から助け出してくれた。卓ちゃんと引き合わせてくれた。鍵の意味を考えさせてくれた。自分に刃を向けるな、と心配してくれた。わたしは美月さんにもらってばかりだ。わたしの残りの一生を、美月さんへの感謝で埋め尽くしたっていい。でも、感謝以外に贈れるものが、見せられるものがない。


 迫田さんは想い出を贈った。ぐっちぃは夢を贈った。卓ちゃんは希望を贈った。さわちゃんは決意を贈った。わたしは。わたしは。わたしは……。


 もう。頭の中が悲しさでいっぱいだった。


 贈れるものなんてない! 見送りたくない! 別れたくない! ねえ。どうして? どうして、みんなそんなに簡単に諦めてしまうの? どうして、失うことをそんなに簡単に受け入れてしまうの? どうしてーっ!?


 鍵が……外れた。

 ずっとわたしの心を縛り付けていた鍵が、轟音とともにばらばらに吹き飛んだ。


 わたしは美月さんの膝の上に倒れかかって、声を限りに叫んだ。


「いかっ、いかないでぇ!! ひぐっ! い、いかないでよおぅ!!」


「おかっ、おかあさん! おかあさあん! おとうさあん!」

 

「どうしてわたしを置いてってしまったの? どうしてわたしを独りにするの? どうしてっ? どうしてよおっ!!」


「悲しいよおおお! 寂しいよおおお! 行かないでよおおお! 置いてかないでよおお!」


「わああああん! わああああん! わあああああん!」


 わたしは。暗い夜道に一人置き去りにされた小さな子供のように泣きわめき続けた。どこまで泣いても涙が止まらなかった。


 本当は。さよさんは、侍に切り殺された方が幸せだったんだろう。でも、生き残ってしまった。自分を幸せにしようと尽くしてくれた人たちの、全ての犠牲の上に。


 それは……わたしも全く同じだった。お母さんもお父さんも、わたしを深く愛して、案じて、幸せにしようとして。わたしの犠牲になった。


 一緒に逝きたかった。わたしひとりで取り残されたくなかった。ありがとうと伝えたかった。愛していると伝えたかった。でも、それはもう……叶わないことだった。


 伝えたい言葉の、感情の、想いの行き場がない。


 だから。わたしも美月さんも、それを長い長い手紙にして、畳んで、懐にずっとしまってきたんだ。誰にも読んでもらえないと知りながら……。


 月。


 それは鏡。


 わたしには美月さんが。美月さんにはわたしが映る。手紙を携えて、無言で立ち尽くす様が。月の鏡には、残酷なほど真実が映っていたんだ。


 だから、わたしはその手紙を開こう。読もう。破ろう。そして言おう。


 ねえ、美月さん、いいえ、さよさん。もういいじゃない。わたしたちは伝えたわ。ありがとうって。ごめんなさいって。愛してますって。


 わたしは鏡を割った。


 さよさんが九得の前で出せなかった感情を、わたしが代わりにぶつけるように。わたしはずっと泣きじゃくり続けた。


 わたしが贈りたかったもの。


 解放。


 わたしは。わたしの心は本当に解き放たれた。過去のくびきから。しがらみから。だから、美月さん。あなたももう自由になってください。


 それがわたしの贈れる、ただ一つのものです。


◇ ◇ ◇


 日付が変わった。涙は涸れた。


 美月さんは、無言のままじっと座り続けていたけれど、ぽつりと呟いた。


「そろそろお別れね。九得が彼岸に行ったわ。私はどこへ行くのかしら。みんなに会えなくなるのが本当に寂しい。でも……」


 ふっと笑みを浮かべて。


「私に会いたくなったら、月を見て。月は中天に在って、あまねく照らす。誰もが月を見ることが出来る。私も月を見上げることにしましょう。私がどこへ行っても。私が何であっても」


 それから……少しだけ首を動かして迫田さんの方を向いた。


「ねえ、迫田さん。うちの店の名前がなぜ半月かって、聞かれましたよね」

「そうだったね」


 いつもしていたように。美月さんがゆっくり顔を上げて目を細めた。そして……見上げた月に問いかけるようにささやいた。


「月の裏側が見えないことは、みんな知ってます。誰も疑わないし、見ようとする人もいないわ」


「でもね。半月は、暗い方もこっちを向いてるのよ。私たちはそれを見ても、見えないふりをしている。本当は見えているのに」


「それがなぜ暗いのか、分からないから。そこに何が隠されているのか、分からないから。満たされていくのか、奪われていくのか、分からなくて不安だから」


「私たちは、みんな半月。半分は見せているけれど、残り半分は自分自身にも分からないの……」


 そう言い終わると。そっと目を閉ざした。


 わたしは恐る恐る声を掛けた。


「美月……さん?」


 返事は……なかった。


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