呪縛 三
それから何日かして。いつもより早く、三時過ぎくらいに卓ちゃんが店に来た。美月さんは買い物に行ってたから、わたしが一人で留守番をしてたんだ。卓ちゃんは、ショッパーに何か重そうなものを入れて持ってた。
「ちわ。美月さんは?」
「かい もの。たく ちゃん それ なに?」
卓ちゃんはショッパーから、使い込まれた感じのノートパソコンを取り出した。
「これね。友達から借りようと思ったら、いらねーからオマエにやるって。でもオレはパソコン苦手だから、あさみちゃんにあげるよ。使って」
うっひょー! それは、すっごく嬉しいっ!
伯父の家ではなんにも買ってもらえなかったから、最低限の衣類以外に自分の財産らしいものはない。わたしには知識欲はあっても物欲がなかったから、それでもほとんど不自由しなかったんだけど。でも、道具としてベンリなものが身近にあるのは本当に嬉しい。
卓ちゃんは、わたしが嬉しそうにしてるのを見て、へへって感じで喜んでる。
「うごかして みて いい?」
「もちろん。あさみちゃんのもんだから」
じゃ、早速。電源スイッチ、ぽちっとな。ふうん。見かけによらず機械そのものはまだ新しいみたい。二年落ちくらいかな? OSも最新だし。
何かテキストエディターが入ってないかなー。あ、フリーのが入ってる。インストールされてるソフトは最低限だけど、とりあえず文章が打てて表示できればいいから、これで充分。あとは、ネットにつなげられる環境を先々考えよっと。
卓ちゃんは、わたしがパソコンを手慣れた感じで扱っているのにびっくりしたみたいだ。
「あさみちゃんは、どこでパソコンの操作を覚えたん?」
「としょ かん」
お、驚いてる、驚いてる。おもしろーい。
さて。エディターを立ち上げて。表示する文字のフォントを太めの字体に変えて、ポイントを大きくする。これで、筆談がすっごく楽になる。
『卓ちゃん、そこからこの字の大きさでよく見える?』
わたしが画面を指差すと、卓ちゃんがそれを見て頷いた。
『卓ちゃん、パソコンありがとね。本当にうれしい』
卓ちゃんも嬉しそうだ。
『わたしね。早く話せないから、無口で頭が弱いって思われることが多いの。でも、そうじゃないんだって、一々口で説明なんかしてられない。だから、自分の事情は誰にも話してこなかったの』
卓ちゃんが、ちょっと首を傾げる。
「事情?」
「そう」
わたしはまたキーボードを叩く。
『わたしの会話障害は、生まれつきじゃないの。わたしは小さい頃、すっごいおしゃべりだったらしい』
卓ちゃんが、信じられんという表情でわたしを見てる。
『よくお笑いタレントさんにいるでしょ。ずーっとしゃべり続ける人。あれと同じ。朝起きてから夜寝るまで、とにかくずっとしゃべり倒してたらしいの』
「うわ」
『それで、お母さんが参っちゃったの。家事をしてる間中つきまとって、休む暇もなくずっと話しかけてたらしい。お母さん、ノイローゼみたいになっちゃってね。お父さんが、わたしとお母さんを心配して、精神科に連れてった。それが不幸の始まり』
「不幸?」
「そう ふこう」
わたしは、大きな溜息をつく。
『わたしを診てくれたお医者さんは、全く心配ないって言ったらしい。女の子は言語能力の発達が早いから、おしゃべりになるのは珍しくないって。そのうち自己表現、自己主張しっぱなしじゃなくて、会話するコツを自然に覚えるから大丈夫だって』
「うん」
『お父さんはそれで安心したらしいんだけど、参ってたお母さんがそれに納得しなかった。なんとかしてもらわないと、我慢できないって。イライラして怒鳴りつけたり、つい手を上げたりしてしまうかもって、先生に泣きついたの』
「……」
『お医者さんは困ってしまった。それで、催眠療法の権威の先生を、お父さんに紹介したらしいの。お母さんが落ち着くまで、娘さんのおしゃべりを一時的に封印してもらいなさいって。お父さんは紹介状を持って、わたしを連れてそのお医者さんのところに行った』
卓ちゃんにはぴんと来ないんだろう。首を傾げてる。
「催眠療法……かあ」
「う ん」
続けよう。
『わたしは四歳くらいだったらしいんだけど、その時のことはなぜかすっごくよく覚えてる』
わたしは、一度タイピングの手を止めた。その先生の顔は、今でも鮮明に思い出せるんだ。
『白髪の小柄で優しそうなお爺さんが、にこにこ笑いながらわたしを見た。そして、白衣のポケットから銀色の大きなコインを出して、わたしに見せた』
「コイン……かあ」
「う ん」
わたしの指は、再びリズミカルに動き出す。
『お嬢ちゃん。ほれ、きれいだろ? 手に取って見るかい? 先生が、そう言ってコインをわたしに差し出した。わたしは、吸い寄せられるようにそれを受け取ったの。コインには、見たことの無い不思議な模様がついてた』
わたしがコインを見た時と同じ目で、卓ちゃんがディスプレイを凝視してる。
『わたしがそれにうっとり夢中になっている間に、お爺ちゃんがわたしの頭に手を置いて、言った。あさみちゃん。これは魔法のコインなんだよ。もうあなたは、ゆっくりゆっくりとしかしゃべれない』
「あ。じゃあ……」
『そう。はっと気がついたら、言葉がすんなり出なくなっていたの。何か言いたくても、とぎれとぎれにゆっくりしか話せない。混乱してるわたしをよそに、先生がお父さんに説明したんだって』
「うん」
『子供の順応性はとても高いので、二、三週間で今の状態に慣れるでしょう。そうしたら鍵を外して様子を見ますので、また来院してください。そう言ったらしい』
「……」
『お母さんは落ち着いた。お父さんはほっとしたと思う。わたしもすぐに慣れた。ここまでは何の問題もなかった』
わたしはキーボードを叩く手を止めて、卓ちゃんを見た。卓ちゃんは無言で、わたしではなく画面の文字列をじっと見つめている。それに少しがっかりして、再びキーボードを叩く。
『でもね。次にお父さんがわたしを連れてその病院に行った時、病院は診療日なのに閉まってた。お父さんが呼び出しベルを押したら、やつれた感じのお婆さんが出てきて、済まなそうに言ったんだって』
ふう……。
『すみません。主人が先週急死してしまったんです』
「げえっ!」
卓ちゃんが絶句してる。
『お父さんは慌てた。お婆さんに事情を話して食い下がったけど、医者でないお婆さんには何も分からなかったみたい。他に催眠療法のできるお医者さんのところも回ったけど、鍵がないとどうにもならないって言われたらしいの』
卓ちゃんが慌てて画面から目を離して、わたしに聞いた。
「鍵って?」
わたしは画面の方で答える。
『催眠術に使ったコイン』
「おんなじようなものじゃダメなん?」
『わたしがそれをすごくよく覚えてるみたいで、同じような色や形のもので試してもダメだったの。最初の先生が使ったコイン、そのものじゃないと。しかも、それがあっても施術者じゃないと外せないかもって言われて。すっごく暗示が深くかかったらしいの』
「うわ……」
『お父さんが、コインの手がかりを探してもう一度あの病院に行った時には、もう病院そのものがなくなってた。鍵は、永遠に無くなってしまったの』
卓ちゃんは、パソコンの画面に釘付けになってる。わたしは、ふっと一つ息を漏らした。
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