呪縛 二

 まあ、誰にだって運、不運はあるよな。ついてない時はしょうがねー。でも、それが貧乏神みたいにぺったり付いて回ったらしょうがないじゃ済まねーんだ。そう、オレの場合、徹底的に電話に祟られてんだよね。


 オレの親父とおふくろは小料理屋をやってて、自宅と店は別だったから、オレは鍵っ子だったんだ。姉貴がいたけど、オレとは年が離れてて、もう家を出てた。小さい時から自分のことは自分でって仕込まれてたから、鍵っ子でも不自由はなかった。電話のことさえなきゃね。


 親からのいろんな連絡は電話で来るんだけど、その肝心の連絡ができねーくらい、とにかく間違い電話やイタ電ばっかりかかってくるんだよ。どれもこれも、まともじゃねーやつばっかさ。


 サラ金の取り立てだろ、エロおやじのあえぎ声だろ、しつっこい勧誘だろ、アナタハカミヲシンジマスカだろ、警察に出頭しろ、なんてーのまであったぜ。


 下手すりゃ五分に一回だ。いくら留守電にしてあるったって、結局は聞かなきゃなんねーんだ。それも、オレが家にいる時だけだよ。オレが電話をチェックしなくなったもんだから、親父にどやされたけど、留守電聞かせたら黙っちまった。そりゃそうだろーさ。子供には絶対聞かせられないようなもんまで、ばっちり入ってんだから。


 親父も頭に来て何度か電話番号を変えたんだけど、結局同じなんだ。最初のうちはなんにもなくてほっとするんだけど、一ヶ月もしねーうちにクソ電話がかかり始めて、あとはイタ電のゴミ箱になっちまう。うんざりだぜ。ったく。

 一番ひどかったんは、命の電話の間違いがどわーっとかかってきた時。さすがにあの時は電話のコードを引きちぎったもんな。笑うなって。毎日、死ぬ死ぬってあの世からの声で言われてみろや。包丁持って振り回したくなるぜ。ほんとに!


 だからさ。オレは電話がでぇ嫌えなんだよ。でも、皮肉なことに電話がねーと困る生活環境だから、どうしても電話から離れられねーんだ。高校に入ったら、ケチな親父も携帯買ってくれたよ。これなら、登録した番号以外は拒否できるから。

 でもなんでか知らん、オレの携帯は何回設定してもそれが外れっちまう。ショップに持ち込んで見てもらったら、確かにその場では設定できる。だけど持ち帰ったら元に戻っちまうんだよ。もちろん、携帯の番号も何度か変えてる。めんどくせーから変えたくないんだけど、しゃあないもん。


 自衛? もちろんしてたさ。間違い電話の応対をしたくねーから、いつもは電源を切ってたんだ。自分から連絡する必要がある時だけ電源を入れて、こっちからかける。用が済んだら、電源を落とす。発信専用さ。不便だけど、しばらくはそれでなんとかやってたんだ。でも……。


 ケンジたちのバンドの雑用が入ってからは、ギグの問い合わせや、会場との打ち合わせの電話にオレが出なきゃならなくなった。今持ってる携帯は、ケンジたちの事務所から持たされてるヤツなんだ。バイト代ってのは、その通話料金さ。オレの個人用にも使っていいって。

 でも、さっきも言ったけど、オレは電話は嫌いなんだ。自分の用で使うことなんかめったにない。割に合わねーよ。かかってくる電話の九割以上は間違いなんだもん。でも、今の携帯は単純なかけ間違いが多くて、そんなにしんどくなかった。


 それがね。先月くらいから、知らん女からしつっこく、変な電話がかかってくるようになったんだ。どうも別れた元カレの電話と、間違えてたらしい。その男が相当ひでー奴だったみたいで、自分の携帯じゃなくて、二股かけてた女の携帯でそいつにかけてたらしーんだ。んで、その女はオレが元カレをかばって、隠してるんじゃないかって疑ったみたいで、どんなに間違いだって言っても信じてくんねーんだよ。


 もー、これがしつっこいのなんの。こっちは社用で番号も変えられなきゃ、電源落とすこともできねーから、かかってきた番号見て即切りするっきゃない。続くとね。本当にいらいらすんだよ。あったまきたから、一度いい加減にしろって怒鳴ったら、そっからもっと酷くなった。間違いじゃなくて、わざとかけてくるようになった。イタ電の標的になっちまったんだ。


 それもなぜか半月にいる時。しかもさわちゃんがいる時に、圧倒的に多いんだ。だから、お客さんの迷惑にならんように、外で応対してたんだけどね。まさか、ね。さわちゃんが、あの女だとは……思わなかったんだ。


◇ ◇ ◇


 卓ちゃんは、どよーんと落ち込んでしまった。わたしは、なんとコメントしたらいいもんか分かんないよ。うー。


 でも卓ちゃんは、頭をがしがしっと掻いて立ち上がると、ぱかっと笑った。


「ま。ものは考えようだよな。これでもう、さわちゃんからイタ電来ることはねーってことだもんな。ついでに飲んで荒れるのも、直してくれりゃいいんだけどなー」


 き、切り替え、早っ!


 そっか。卓ちゃんは愚痴って言ってたけど、たぶんそうじゃないね。卓ちゃんの被ってきた不運。それは、卓ちゃんには何の非もない。だけど、その恨みつらみを誰かに言ったところで、卓ちゃんの負う荷の重さが軽くなるわけじゃない。聞かされる方がしんどいだけだ。

 だから。卓ちゃんは優しいから。自分が傷つくだけで済むから。今まで、それをずっとしまい込んできたんだろう。さっきの話しぶりもきっと角を丸めてあるんだと思う。本当はもっともっとどろどろしてるに違いない。理不尽なジンクスの不平不満を誰かにぶつけるよりも、どうやってそれを重荷に感じないようにするか。卓ちゃんにはそっちの方が大事だったんだ。


 しゃあない。テキトー。卓ちゃんの口癖。それは卓ちゃんの諦めじゃなくって、もっと大きな自分を作って、その中に不運を飲み込むこと。自分を大きくすることで、不運を小さくする。笑い飛ばす。卓ちゃんの愚痴は自分のことじゃなくって、さわちゃんのことだ。それを心配してのことだ。だからこそ、自分のことにはすぐにリセットがかけられる。そうか……。


 すごいなあ。料理の腕だけでなくて、ぶっきらぼうな姿の奥の、ココロの大きさとおおらかさに引き込まれてしまう。


 わたしに、ないもの。小さくなってしまった、卑屈になってしまった、皮肉屋になってしまった、わたしに……ないもの。それが欲しい。自分を変えたい。どうしても変わりたい。だから……。


「ねえ たく ちゃん」

「ん?」

「たく ちゃん のーと ぱそこん もってる?」

「んー、借りればあるかな。オレはパソコン苦手なんだ」

「じゃあ かりて くれる?」

「なんに使うの?」

「たく ちゃん と はなし したい」

「なんでそれにパソコン?」

「くちで はなし すると じゅうばい じかん かかる から」

「そっか。じゃあ今度ダチから借りてくるよ」

「おね がい」


◇ ◇ ◇


 卓ちゃんが引けてすぐに、わたしは店を閉めた。うまくしゃべれないわたし一人じゃ、お客さんの対応が出来ないもの。


 そのあと零時近くになってやっと帰ってきた美月さんが、店に入るなりわたしに聞いた。


「卓ちゃんは、ずっと怒ってた?」

「いいえ さわ ちゃんを しんぱい して ました」


 美月さんは、ほっとしたように微笑んだ。


「さすが、卓ちゃんね。狂気で曲がらない。折れない。くすまない」


 すうっと斜め上を指差した美月さんが、薄目を開けて誰にとはなく呟いた。


「月は。中天に在って、あまねく照らす。でも、月自身はそれを知らない」


 それから、小さな溜息をついた。


「ふう……私が、あと三百歳若ければねえ」


 なに、それ? わたしがぷっと吹き出すと、珍しくすねた。


「マジメに言ってるのにぃ」


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