呪縛 一
わたしは慌てて卓ちゃんに駆け寄り、袖を引っ張って引き止めた。
「おいてか ないで。おね がい」
卓ちゃんはちょっと驚いたような顔をして、それから渋々いつもの場所に戻った。そして、美月さんとなにか話をし始めた。わたしは……ほっとする。荒れてるさわちゃんを押し付けられるのは辛い。本当に困っちゃうもん。
さわちゃんは、わたしの前で携帯の画面をまだ楽しそうに見つめてたけど、だんだん不機嫌な顔に変わってきた。
「なんで出ないのよ。ばあか」
さわちゃんは携帯をぱちんっと乱暴に畳むと、それをバッグに放り込んで違う携帯を引っ張り出した。うわ、二つも持ってるの? なんのために? 理由はすぐに分かった。
「へっ。着信拒否したってダメだよーだ。あんたが番号変えられないのは知ってんだから」
げーっ。なんてしつっこい性格。しらふの時には絶対に想像が付かない、このべったべたの粘着質。いくらオトコの当たりが悪いからって。こりゃまともな人でも逃げ出すわ。分かってんの? さわちゃん? いつも電話でバイバイされるってぼやいてたけどさ。それって、ジンクスなんかじゃないよ。しつっこいさわちゃんがウザいからだよ。あーあ。
さわちゃんは、また悪魔のような笑みを口元に浮かべながら誰かを呼び出ししてる。あれ? 卓ちゃんが尻ポケットの携帯を抜いた。そして……。
「もしもし?」
さわちゃんは、美月さんたちに背を向けるようにして体を丸めた。そしてぼそぼそと小声で、でもとげとげしく話し始めた。
「けけっ。あんたも運がないわね。あたしみたいなクズにまとわりつかれてさ。でも一緒に沈没してよ。どうせ、あんたもロクなやつじゃないんだし」
イタ電か。絡まれてる人もかわいそうに。そう思った次の瞬間、卓ちゃんが、店内が壊れるんじゃないかってくらいの大声で怒鳴った。
「ええ加減にしろやあ、ぼけえっ!なあにが運がないじゃあ! 沈没じゃあ! ぶっ殺してやるから、出てこいやあっ! このクソおんながあっ!」
わたしは、こんなに粗野な卓ちゃんを初めて見た。美月さんも、さわちゃんもだろう。一番びっくりしたのは、さわちゃんだったみたいだ。さっきまでのぐでんぐでんの状態から、一気に酔いが醒めたのか顔色が真っ青になった。怒鳴った卓ちゃんもさわちゃんの変わりように驚いて、携帯を握りしめて固まったままのさわちゃんを見てる。
さわちゃんは卓ちゃんと目が合うと、後ずさって、手にしていた携帯を床に落とした。がちゃっ。液晶ガラスが割れ、じゃりっぱちぱちっと音がしてストラップのガラスビーズが外れ、床中に散らばった。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ああ、どうしよう。こんなことって。なんでなの? あああ、こんなはずじゃなかったのに。どうしよう。どうしよう。ごめんなさい。ごめんなさいー」
うろたえて取り乱しているさわちゃんのところに、美月さんが走り寄って小声で耳打ちした。
「さわちゃん、あなた今日はもう帰りなさい。タクシー呼んであげるから。ほら、サンダル履いて。わたしのコートを羽織っていったらいいわ。ね。そうして?」
美月さんは卓ちゃんに、わたしがさわちゃんを送ってくからそれまで店をお願いと言い残し、すぐにさわちゃんを抱えるようにして外に出ていった。そして……店内は息苦しいくらい静かになった。
卓ちゃんが、はーっと大きな溜息をついて俯いた。背中が寂しい。そして、わたしに向かって元気のない声で謝った。
「あさみちゃん、わりぃ。大声で驚かしちまって。イタ電はオレにはよくあることなんだけど、ちょっと今日は我慢できなくってね。でも、まさかアレがさわちゃんだとは知らんかったんだ。ほんとに」
そしてもう一度、体中の空気が出てしまうんじゃないかってくらい、大きな溜息をついた。
「あさみちゃん。ごめん。ちょっと愚痴っていい? オレは、愚痴こぼすのはぐっちぃみたいで嫌なんだけど、今日はぐっちぃの気持ちが分かるような気がする」
卓ちゃんはもともと無口な上に、自分のことを話したがらない。でも、今日のことは本当に堪えたんだろう。いつもの卓ちゃんと違うことにびっくりしたけど、わたしはうんうんと頷いた。
「ありがとう」
卓ちゃんは寂しそうな笑顔を見せると、つかえつかえこぼし始めた。すごく変な話なんだけど、と前置きして。とても不思議な話を。わたしに。
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