徳島出来島オデッセイ
光田寿
第1話
徳島出来島オデッセイ
光田寿
きみは指を動かす。徳島県徳島市出気島本町の外れにある三ツ合橋。君の足元は確かにそこについている。橋上に交差点を持ち、橋のたもとが三つある全国的にも珍しい橋であると聞いたのは、きみが引っ越してきた時、近所のおじさんが教えてくれたものだからだ。
そう、かつてこの場所にきみは住んでいた。釣り好きの友人がこの場所はひそかなスポット、と教えてくれたのもここである。温かい風がここち良い。きみは肌にあたるその風を感じながら、
「懐かしいな……」
ふと声に出してしまった。この橋を渡るとき、歩道を自転車で通る人間が多すぎた。きみが一度自転車で車道を渡っていた時の事だ。危うく、佐古方面から来る車とぶつかりかけた事がある。そんな思い出も全てが懐かしく思えた。
三ツ合橋を出来島本町の方に向かって移動させる。ネジ工場に車工場と中小企業が立ち並ぶ地区が見えてきた。上を見上げると、きみが当時驚いた、車工場の看板がある。車のオブジェが工場の屋根に乗っている。宣伝にしては気が利いている。
隣を振り返ると、コーヒー専門の店があった。
「いつの間にできたんだろう」
きみは当時を思い返す。ここは当時、コンビニだったはずだ。近所に住んでいた時、よく利用させてもらった。挽きたてのコーヒーの香りはきみが苦手としている。どこか焦げ臭い香りに火事を連想させるからだ。
きみは思い出の場所へと進む。彼女と別れたあの場所へと。ふと横を見ると
きみは一瞬だけさだまさしの書いた小説を思い出す。
近所のアパートやマンションには洗濯物が干してある。駐車場には、紺色の日産マーチが止まっていた。徳島では車が無くては生きていけないと言っていた友人の顔も思い浮かんだ。ペーパードライバーのきみは徳島市内を運転できなかった。
そんなきみの目の前で、すれ違う人々の顔にはまるでモザイクがかかったようにボヤけている。自分が涙ぐんでいるのか、あるいはただの幻想か。
全ての時間が止まってみえる。まるであの時のように。
――出来島公園が見えてきた。
* *
「ごめんなさい」
「どういう……意味ですか」
きみは最後まで彼女に敬語を話す癖を止めなかった。照れくさかったからだ。
「ごめんなさい……」
壊れたレコードのように彼女はきみに繰り返す。夕方の出来島公園。北側にはハローワークが見えていた。徳島に住んでいる彼女のために本気で移住を決意していたきみは何度もあそこに通ったことを覚えている。排他的な場所だった。
「私ね、東京の研修で……そこで……好きな人ができたがよ」
きみはここでも冷静さを取り繕う。何も言葉は返さなかった、いや、返せなかった。
「その人がめっちゃいい人で……お酒の力もあったんだと思う。でも……ごめんなさい」
「それはただの浮気ですか? それとも本気ですか……」
「……」
彼女が黙り込んだ時点で、本心は分かった。前者ならまだきみにも救いの余地はあったが、これでは駄目だ。約二年間つづいた交際。大学時代、下戸のきみと酒豪の彼女は周囲にもお似合いだと言われていた。
――終わりだな。
きみは何も言わず、公園を去った。
* *
きみは今その公園で立ち尽くしている。相変わらず周囲を見ると、ハローワークの建物、ハンバーガーショップの看板、四国ガスの巨大なタンクなどが見える。
と、そこできみは、「止めよう。こんな旅」
と、グーグルマップを閉じた。パソコン上の画面内で、過去の場所を思い巡らせているのをきみは良しとしない。
暖房の温かい風がきみの頬にはまだ当たっている。机の上の挽きたてコーヒーを飲み干す。
きみは二年前の五月にカーソルを合わせ動かしてみた。まだ草木が憂いういしく、彼女と付き合っていたあの頃がまざまざと蘇ってくる。
「止めよう……こんな事」
<了>
徳島出来島オデッセイ 光田寿 @mitsuda
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