第134話 『ソウシ無双』

 

『ソレ』はとても安らかな静寂を場に齎した。

 レイネハルドの姫は涙を滴らせながら、地面に寝そべり横顔を焼き付ける。


 喉を灼かれて声を出せない。カラカラに涸れたと思っていた瞳から、まだ水分が出るのかと自ら驚く程に衰弱させられていた。


(頑張って。私の勇者様……)

 もう大丈夫だろうと思い、彼女は張り詰めていた意識を閉じる。


「おやすみレイン。僕が起こすまで良い夢を見ててね」

 らしからぬ物言いと自信に満ちた気配から、レインは安堵に包まれて微笑みを浮かべていたのだ。


 __________


 魔王フールゼスは困惑に眉を顰めている。

(何が起こった? 『爆砕炎陣フレアサークル』は確かに発動した筈だ。ならば炎柱は何処へ消えた?)


 ほんの数秒前、血溜まりに倒れた勇者とそれを庇う姫の物語は終演を迎えた様に映った。

 フールゼスはそれでも『聖剣アルフィリア』が主人を庇い存命した後に、より強力な負の感情を秘めた『復讐者リベンジャー』へと変貌する姿が見たかったのだ。


 その際、隠された力を暴走させてやろうという目論見を立てていた。

 だが、霧散した炎柱の中央に立って青白の燐光を纏った勇者の瞳は、先程までより明らかに澄んでおり、どこか達観している。


「どの様な力を使ったのかは知らないが、随分と遅い目覚めだったな勇者よ」

「そうでもないさ魔王。レインはまだ生きてるしね。そっちこそどうしたの? 随分と表情に余裕が無いよ?」

 軽口を交わした後にフールゼスがハッキリと理解したのは、ソウシの口調と佇まいから『怯え』が取り除かれている事実。

 己を見つめる瞳の深奥に感じ取れた弱々しさが消え失せている。


(成る程。どうやら一皮剥けた様だな)

 魔王は意図せずに口元を歪めていた。ーー好敵手。今こそそう呼ぶに相応しいと本能が感じ取っているのだ。


「見せてみろ勇者よ! 『聖剣アルフィリア』に認められし貴様の力を!」

「……後悔しても知らないからね?」

 そっと囁かれた一言の後に、勇者の姿は変貌した。青白い聖剣の輝きを喰らい尽くそうとする程の禍々しい闇が肉体を包み、その勢いは徐々に増し続ける。


 黒髪は腰下まで伸びて銀髪のメッシュに変わった。閉じていた瞼を開くと、左眼は銀眼を輝かせる。

「アルフィリア。『闇夜一世オワラセルセカイ』発動」

「〜〜〜〜〜〜ァッ⁉︎」

 次の瞬間、魔王が思わず呻く程の圧倒的なプレッシャーが放たれた。召喚魔獣は本能的恐怖からその場で石像の様に固まり、ガリコやライオネルクイーンは自然と頭を垂れる。

 黒いオーラに混じって割れた石片が舞い、空気の振動から伝わる威圧が場を支配した。


「アルフィリア、行けそうかい?」

『問題無いよ。驚く程に力が安定してる。これならご主人の封印に削いでいた力を解放出来そうだよ』

「正直思っている以上に時間が無いかも。意識が引っ張られてるのが分かる。父さんはやっぱり凄いな」

『あれ? 父親だって認めるのかい? あんなに反抗してたのに』

「……照れ隠しだよ。また会いたいなぁ」

 ソウシはどこか哀しげに微笑みながら宙に浮かび上がると、こちらを睨みつけている魔王を無視して映し出された王国マグルの状況を把握した。


「方向は……あっちで良いかな? フォローよろしくね」

『任せて!』

 勇者が『聖剣』を握っていない左手を翳す姿を見て、魔王は怒りに打ち震えている。一体何をするつもりなのか微塵も理解出来なかったからだ。


 一つだけハッキリとしているのは、不用意に仕掛ける事が出来ない程に強大な力を発している事のみ。


「行け。あの魔獣どもを喰らえ」

「ーー何を馬鹿なっ⁉︎」

 まるで命令するかの様に小さく呟かれた一言を魔王は聴き逃さなかった。ソウシの左手から伸びた黒い闇は凄まじい速度でグングン伸びると、周囲の者からは大地と空を割る境界線の様に映る。


 戯言と魔王が嘲笑に伏せなかったのは、自らが魔術で映し出した災厄指定魔獣カークリノーラスの頭部が今、まさに喰われたからだ。


(あり得ぬ⁉︎ これだけの距離をどうやって⁉︎ 転移? いや違う。あんな真似は我にも不可能だ。魔術的要素で無いのであれば、一体何なのだ⁉︎)

 フールゼスはワナワナと身体が震える事に気付いた。怒りもある。だが、それ以上に恐怖を抱いているのを認めざるを得なかった。

 証拠として腰元の『魔剣カンパノラ』が、同様に怯えていると伝播したからだ。


 グラフキーパーが召喚した数千の魔獣は争うことも、抵抗する事も厭わずに闇に呑み込まれていった。

 場の静寂を裂く様に、黒銀の勇者は魔王を見下ろして問い掛ける。


「何を驚いてるの? 見たかったんでしょ? その為に色んな人を殺して、僕の大切な人を奪って、今も尚苦しめ続けたんだよね?」

「…………」

「今なら分かる。僕は君の事が怖かったんじゃないよ。戦う事自体が怖くて仕方がなかった。この力を使いたくないって、本能に応えてアルフィリアが抑え込んでいたんだ」

「ーーるな」

 屈辱と呼ぶべき視線を受け、魔王はカンパノラに選ばれる前の魔力が高いだけであった脆弱な自らの姿を思い起こした。

 血縁から見下され、蔑まれ続ける日々。噛み締めた血の味。膨らみ続けた憎悪。


「調子に乗るなあああああああああああっ!! もう終わりだ! 『消滅の雷ヴァニッシュメント・レイ』!!」

 フールゼスの咆哮と共に、再び上空で雷光を纏った黒球が発生する。先程までより遥かに大きく膨らみ続けていた。

 魔王は何倍もの魔力を注ぎ込む。これで自らが演出した演目は、しっかりと悲劇で幕を降ろして終幕を迎えるのだ。


 ーーそう、思い込んでいた。


「またそれ? アルフィリア、君の力を貸して貰うよ」

『ビビっても知らないぞ〜〜!』

「大丈夫。握った掌から充分に伝わってるからね」

『……心穏やかに、ただ大切な者を守る為に振るってくれないかな? 恐怖や憎しみは僕の力を削ぐんだ』

「うん。応えてくれ相棒」

『任せて! 勇者と聖剣が本気を出して負ける筈ないんだ!!』

 勇者の瞳に意志の炎が燈る。呼応する様にアルフィリアは共鳴音を鳴らし、刃から青光を放って周囲を光輝で照らした。


 ーーヒュンッ! ヒュンヒュンッ!!


 スキルを発動させる訳でも無い。爆発的なオーラを発した奥義でも無い。ただの一閃。それに続いて繰り出した連続斬りは上空の黒球を一瞬で散らした。


 ーーギキィンッ!


 一瞬で迫った勇者の一撃。間一髪で『魔剣カンパノラ』を抜き、刃を交差した瞬間に魔王の頬へ一筋の汗が滴る。


「き、貴様!」

「表情から余裕が抜け落ちてるよ」

 驚愕に目を見開いた直後、魔王の顔面は勇者の左拳に振り抜かれた。鼻を潰されて怯んだと同時に聖剣の柄を肋に叩き込まれ、肋骨を数本へし折られる。

 勢い良く地面に叩きつけられた反動で身体が跳ね上がると、太腿を聖剣の刃に貫かれ、闇雲に振り回した魔剣は右蹴りで弾き飛ばされた。


 魔術を唱えようとしても喉を一本貫手で潰され、振り上げた右拳は肘から上を両断される。殺そうと思えばいつでも殺せるという、勇者の誇示を含めた打撃と斬撃の数々に成すすべも無く打ちのめされた。


「があああああああああああああああっ⁉︎」

 魔王は絶叫を上げると同時に意識が掠れる。自らを見下ろす勇者の瞳は氷の様な冷酷さを宿しており、何を考えているのか思考が一切読めなかった。


「これで少しは大人しくしてくれるかな。あの巨獣は邪魔だ」

 勇者から放たれた闇が有無を言わさずにティタンを消失させ、誰もが言葉を発さない静寂が訪れる。


「終わったか。もう二度と僕の前に現れないでくれ」

 発せられた宣告。だが、瀕死の状態の魔王は自分を見下ろし、どこか憐れんだ瞳を向ける存在が許せなかった。

 使いたく無かった選択。最後の切り札。王としての誇りと矜恃に支えられた自分の崩壊を認める訳にはいかない。


「生命を啜り、死へ導く悍ましき神よ。我が肉体へ降りろ『死神プルート』!!」

「……やっぱりこうなるか」

 ソウシの視線の先には、紫紺の輝きを放ちながら神に身体を譲り渡した『神の子ナンバーズチャイルド』の姿があった。


 __________


 同時刻、王国マグルでは聖騎士長が傷だらけの姿で地面に伏していた。


「一体何を考えてるのよセリビア⁉︎」

「お姉様! 気を確かに!」

「……漸く待ち望んだ瞬間が訪れたのだ。邪魔をする愚か者は排除するさ」

 ガイナスを庇う様に展開していたのは、テレスとアルティナの二人。背後にはヒナが控え、メルクオーネが守っていた。


 ガイナスの呼び掛けに答えてソウシの元に転移する為に集まった乙女達の前には、十枚の美しい羽根を広げ、天使の輪を頭上に浮かべるセリビアの変貌した姿があったのだ。


 金色の髪を揺らしながら、発せられる口調と声色はまるで知らぬ他人の『ソレ』だった。


「さぁ、始めようか!」

 天使セリビアは嬉しそうに口元を邪悪に歪めて嗤う。ソウシの覚醒。フールゼスの神降ろし。異世界から魂を導き、何年も、何十年も前から準備した駒は全て揃った。


 悪神デリビヌスに選ばれた『神の子ナンバーズチャイルド』である、セリビアの暴走が始まる。


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