第133話 絶望と敗北の先に 6

 

「……もう、駄目かなぁ」

 七本目の炎柱が空へと昇り、『爆砕炎陣フレアサークル』が齎らす結界内の温度は高まり続けていた。

 肌を焦がす程の熱気が体力と水分を奪い、レインは脱水症状を起こしている。


 直接的な炎を氷魔術で防いでも、それを更に上回る勢いで襲い掛かる魔王の魔力に絶望しかけていた。

 出来る事は横に倒れている愛しい勇者へ回復魔術を掛け続ける事だけ。


「それでもソウシと一緒に逝けるなら、あの子よりは幸せなのかなぁ」


 __________


 同時刻、王国マグルは緊迫した状況下を必死で生き延びていた。グラフキーパーは無数の魔獣を召喚し続け、カークリノーラスに破壊された城門を目指して進軍する。


 軍の統率を聖騎士長であるガイナスが指揮し、ギルド側の統率をテンカが受け持つ事で二体の災厄指定魔獣に戦いを挑んだのだが、戦況は芳しくなかった。


 軍を展開して四方から攻めようにも、初手から城門を破られてしまった事で魔獣を分散する事も出来ず、また、民の避難が終えるまでの防戦を強いられたからだ。


「魔術部隊は死霊に向けて炎魔術を集中させて下さい! 槍隊は盾兵の背後でゴブリンとオークを突け! 弓兵は背後に控えるメイジを狙って矢を放て!」

「ほらほら、災厄指定魔獣の素材なんて手に入れれば一生遊んで暮らせるわよ? 気合いを入れなさい! 冒険者の底力を見せるのよ!」

 ガイナスとテンカは兵と仲間を鼓舞し続けるが、グラフキーパーが無尽蔵に召喚する魔獣を見て、徐々に皆の脳裏に絶望が襲う。


「いつになったら終わるんだよ」

「また増えた……もうだめだ」

「最後に田舎に帰っておけば良かったなぁ」

「こんな所で死んでたまるかよ!!」

 抱く感情はその者達が生に縋り付こうとする強さで違う。それでも希望は抱けなかったのだ。


(こんな時に勇者様が居てくれれば……)

 どうしてもそう考えてしまった。かつて魔族の仲間だと蔑んだ存在。疎ましいと見下していた少年の姿を思い浮かべる。


「立ちなさい! 大切な者の為に下を向くな! 勇者は今も強大な敵と戦っている! 我々が出来るのはソウシが戻って来た時に、帰る場所を守る事だけです!!」

 ガイナスは魔剣白薔薇の白刃を掲げ、自ら先陣を切って魔獣の群へ向かった。鞭の形態に刃を変化させると、力任せに横薙ぎする。


「これだけ数がいれば、必要なのは小細工ではなく力のみ!」

『幻術も発動するよ! 片っ端から斬って!』

「頼もしいですよ相棒シロバラ!」

『うん!! 絶対に死なないでね。ご主人様!』

 一刀の元に数十の魔獣を両断し、まるで演舞を踊るようにしなやかに魔剣の煌めきを奔らせる男の姿は、鬼神の如き威圧を放っていた。


 赤に染まった金髪、美丈夫とは判らぬ程に鮮血に濡れた姿を見て、兵士達は徐々に大地に足踏みを始める。


 ーードンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!!


 戦前に本来するべきであろう心の準備が急襲によってなされていなかったのだ。湧き上がる。心音が高鳴る。敵と戦え。守るべき大切な人の為に。武勲をあげる為に戦え。


 自然と武器を握る力が強くなる。眼前で繰り広げられている大将ガイナスの戦いを見る視線が、『観客』から『兵士』へと切り替わる。


「「「「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」」」」」」」」」

 兵士達の準備は整った。絶叫に近い雄叫びを咆哮しながら次々と魔獣へ向かっていく。滾る思いを全て敵へ向けて振り下ろすのだ。


 仲間がどれだけやられようと、自らの命が散ろうとも関係が無い。何の為に日頃苦しい訓練を耐えて来たのか。全てはこの時の為、国の存続の危機を守る為に我々がいるのだ。


 ただの一兵卒にもドラマはある。最前線で今倒れた貴族の男は、昨日槍隊の隊長に就任したばかりでガイナスを招き、宴を開いて結婚の報告をあげた。


 横目で絶命する部下の想いを全て受け止めて、聖騎士長は剣を振るう。振るう。振るい続ける。

 それに呼応して兵士達は魔獣に立ち向かい続けた。


 冒険者達は只管に大物を狙う。カークリノーラスの喉を様々な武器が狙い、協定を結んだパーティー同士魔術を撃ち放った。


「死ねええええええええええっ!!」

「こいつを倒せば俺達も英雄だぜえええ!!」

「不用意に突っ込むな! 周囲に展開しろ!」

 だが、血の気の流行る者達と、慎重な姿勢を崩さぬ者達で徐々に戦い方に軋轢が生まれる。中間で指示をしていたテンカはその様子にいち早く気付くと、修正する為に自らが先陣を切る他無い状況へ追い込まれていた。


(何とかしないと……ここから崩れるわね)

 冒険者であるが故の欲。そして自由。命の方が重いと判断した者達は勝手に逃走を始める始末。


 ーーそれ程に、カークリノーラスが強過ぎた。


 尻尾を振るえばブチブチと音を立てて胴体を引き千切られ、咆哮すれば身体が萎縮して数秒動けなくなる。

 まるで自分が餌になったかのような感覚を覚える程に仲間達は頭から喰われ続けた。


 爪は相棒とも呼べる武器を容易く破砕し、手足を捥ぎ取る。四方を囲んでも身体を一回転されただけで散らされる始末。


「無理だ……」

「こんな化け物相手にどうしろって言うんだよ〜〜!!」

「逃げるしかねぇ!!」

 既に敗北したかのような悲壮感が漂い始める中、テンカはスキルを発動して災厄指定魔獣の攻撃を逸らし、酸素を奪いHPを削り続けていた。

 だが、見えない大気を操る姿は他の者達からは視認出来ず、気付かれずにいたのだ。


(こんな時は、もっと派手なスキルが良かったと悔やむわね)

 焦りながらも自らの仕事を疎かにする事はない。常にそうやって勝利を得て来たSSランク冒険者である矜持が崩れる事は微塵も無かった。


 ーーワオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!


 カークリノーラスの咆哮と共に放たれた閃光は、一瞬で低ランク冒険者を焼いた。この瞬間、テンカは自らの敗北を悟った。

 自然と今も魔獣を召喚し続けるグラフキーパーに視線を向け、立ち向かっているガイナスを見る。


「最高に格好いいじゃない。こっちは駄目だったわ。ごめんなさいね」

 テンカは限界を迎え、意識を失う寸前だった。自分が倒れればこの戦況は瓦解するであると理解していた事から、申し訳無さに眉を顰める。


 ーーバクンッ!!


「へっ⁉︎」

 地面に倒れた直後、自らを喰らおうとしていたカークリノーラスの頭部が消失した。黒い闇。暗い闇。黒。黒い何かだ。

 理解出来ない状況にテンカが呆然としていると、その闇はそのまま頭部だけではなく災厄指定魔獣の胴体を喰らい尽くす。


「な、何⁉︎ これは何なのよ⁉︎」

 見ているだけで自分の身体すら吸い込まれてしまいそうな深淵に、テンカは生まれてこの方抱いた事の無い恐怖を味わった。


 ーー逃げ出したい。土下座してでも助かりたい。


「た、助けて……」

 自然と溢れる涙。死神の鎌に喉元を突きつけられている感覚。


(あぁ、私はやっぱり今日死ぬのね)

 瞼を閉じて祈りを捧げる乙女の様に両手を組んだ後、闇が一斉にテンカへと迫った。


「あれ?」

 スルリとテンカの肉体を避け、無数の黒手は背後に伸びていく。始まりは小さなゴブリンナイトが銅の剣を兵士の首元へ突き刺そうとした瞬間だった。


 ーーギイイイイイイイイイイッ⁉︎


 ゴブリンナイトが剣を握っていた右手は肘から消失した。何が起こったのかと尻持ちを着いたままの兵士の視界には、黒い闇に呑み込まれていく魔獣の姿だけが映る。


「…………」

 兵士は状況を言葉にする事は出来なかった。闇が呑み込んだ。ただそれだけだ。


 ーーグギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア〜〜!!!!


 魔獣達の絶叫と痛哭が場に響く。反撃しようと噛み付けば顎から自らの肉体が喰われ、爪を突き出せば空気を斬る様に手応えなどない。


 ーー呑み込まれる。否、喰われる。


 マグルを襲った魔獣の大群は『闇』に喰われていくのだ。


「ソウシ……貴方はやっぱり凄いな。良い所を持っていかれてばかりだ」

 ガイナスはその様子を見つめながら、静かに微笑んでいた。かつて見た少年の変貌する姿。暴走では無く制御しているのが分かる。


「さて、これはセリビアさんと姫の出番ですかね……」

 この戦場はもう大丈夫だろうと判断するほどに、闇は短時間で魔獣を喰らい尽くした。

 この状況を起こしているのがソウシであると判断した聖騎士長は、元に戻す為の『鍵』を連れて行かなければと判断したのだ。


 全ては遅過ぎるのだと知らぬままに。

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