第130話 絶望と敗北の先に 3
「あれ?」
僕は何故だか不思議な夢を見ていた様な、ふわふわとした感覚が頭を過った。視界に広がるのはいつもの日常だ。
「にゃ? どうしたのソウシ?」
「えっ? い、いや何でもないよ……」
彼女が猫耳を動かしながら僕の顔を心配そうに覗き込む。そんなに心配しなくても大丈夫だって伝えたいんだけど、情けない所を沢山見られ過ぎていて今更無駄かなぁ。
「昼休み何だから屋上に行くにゃあ! 今日こそはソウシと二人きりでご飯を食べる為に、あたいには秘策があるのにゃ!」
彼女に手を引かれながら、僕は少し照れ臭そうに屋上へと続く階段を登る。こんな事を言いだす時は、きっと何か面白い事か、突飛な発想から悪知恵が働いたのだろう。
ーーバタンッ!!
屋上の扉を閉めると直様彼女は四方を見渡して、誰も居ないかを凄まじい速度で確認した。まるで残像の様だと僕が笑っていると、顔を真っ赤にしてこう言う。
「邪魔者を排除する為には大切な事なのにゃ! ソウシがあたいだけを見ててくれれば、こんな事にはならないにゃよ?」
「その割にはアルティナ先輩とかテレスを僕に差し向けて、ハーレムを作ろうとするじゃないか」
「……だって、そうしなきゃずっと一緒にいられないかもって、不安になったから……」
「えっ? 今なんて言ったの?」
小さく囁く様に漏れた呟きを、僕は聞き逃した。何故だか彼女は困った様に眉を顰めながらクシャッとした微笑みを向ける。
「僕は穏やかに暮らしていければ、本当にそれだけで幸せなんだけどなぁ」
「その横に私はいるのかな?」
「何言ってるのさ! ーーーーは大切な友達なんだから、ずっと一緒にいようよ!」
「友達……かぁ」
「どうしたの? なんか普段と口調も違うし、様子が変だよ? 何かあったの?」
今日の彼女はまるで別人の様な口調と雰囲気を醸し出しながら、哀しげに視線を落としている。僕は何か不機嫌にさせる事を言ってしまっただろうかと思いつつ、お姉ちゃんが作ってくれた弁当を広げた。
彼女が不機嫌な時は美味しいご飯に限る。頬を膨らましてご機嫌斜めな時は、いつもお弁当を広げるとキラキラとした瞳をして耳と尻尾を激しく動かすんだ。
「う、美味そうにゃ〜!」
ほら、すぐに元に戻った。僕は自身満々に両腕を組んでウンウンと頷く。お姉ちゃんが学院の食堂で働く様になって本当に良かった。
卵焼きを口に放り込んだ後、揚げた鶏肉が挟んであるサンドイッチを二人で頬張る。我が家秘伝のソースは健在だ。
最近では学院生達の行列が出来る程に人気なのだとテレスから聞いた時には、弟ながら驚いたものだ。
「美味しかったぁ〜!! 午後の授業はアイナ先生だったよね」
「そうにゃ! あたいの炎魔術が炸裂するにゃ〜!」
「僕は四系統の魔術が使えないから羨ましいなぁ。本当に偶にだけど、闇魔術で強化した炎で参加したくなるよ」
「Aクラスのみんなならきっと平気にゃ! みんなソウシが大好きにゃ〜」
猫耳を摺り寄せる彼女の頭を撫でながら、僕は自分でも分かるほどに和らげに微笑んだ。気持ちが癒される。
「まだ授業までは時間があるし、散歩でもしようか?」
「……うん。ちょっと着いて来て貰いたい所があるんだ」
「良いけど気分でも悪いの? 大丈夫?」
また彼女の雰囲気が変わった。どうしたのだろう。無言のまま彼女に手を引かれ、僕は歩き出した。
__________
「ここはどこ……?」
「いつも君が一人で泣いていた場所だよ。用具室の裏の庭、この木の隙間だったかな?」
「そろそろ目を開けて良い? さっきから、なんか別人に案内されてるみたいで落ち着かないよ」
口調も違うし、何故か触れられている掌の感触が違って不快だった。彼女はこんな風に僕の手を握らない。もっと柔らかく、痛くない様に添える様に握るんだ。
「もう良いよ。見てごらん?」
「ーーーーえっ⁉︎」
瞼を開くと、視界には満遍なく敷き詰められた青い花が咲いていた。花弁の先が五つに分かれており、重なりあってまるで絨毯の様に大地を彩っている。
僕がいつも泣いていた木からその先にだけ広がっていた。
「これは……一体どうしたの?」
「ここから先は、彼女の最後の言葉だと知れ。自らの生命の維持よりも、君に想いを残す為に死を選んだ我が愛しき娘……『
「き、聞きたくない!」
思わず漏れ出た言葉。何故か聞いちゃダメだって本能が告げた気がしたんだ。彼女の身体が一瞬眩く輝くと、胸をストンっと落ちる感覚を覚え、僕は漸く全てを理解した。
「……騙す様な真似をして、ごめんにゃさい」
「……良いよ。この花は?」
「コツコツと育てていたにゃ。きっとソウシが学院に帰る頃には満開にゃあ」
「じゃあ一緒に見れるよね? 楽しみだなぁ」
僕は逃げているんだろうな。それは分かってるけど、認めたくない。認められない。
「それは、もう無理にゃあ……ごめんね?」
「ーーーーッ⁉︎」
はっきりと告げられた。告げられてしまった。何より空を仰ぎながら涙を滴らせる彼女の困った顔が、嘘では無いのだと僕の心臓を叩く。
ーー叩く、叩く、叩く、お互いに望んですらいないのに、無慈悲に叩く。
怖くて彼女の目をまともに見られない。全ては僕の所為だ。もっと早くにこの戦争の事を知っていれば、こんな事にはならなかった。
僕が臆病で戦いを望まなかった所為で、逃げ続けた所為で、代わりに彼女を戦場へと行かせてしまったのだ。
ーー全ては僕の所為だ!!
「そんな顔をしないで? あたいが最後に見たいのは、そんなソウシの顔じゃないのにゃあ……」
「最後なん、て……言わないで……おね、がいだから……」
「……ごめんね」
あぁ、僕は本当にダメな男なのだろう。また、彼女にこんな困った顔をさせてしまうのだから。それでも、その僅かな抵抗ですらやめてしまったら、この時間は終わってしまうんじゃないだろうか。
「ねぇ、名前を呼んで欲しいのにゃ」
「……いやだ」
「ねぇ、いつもの様に耳を撫でて? 名前を呼んで?」
「……出来ないよ。まだ、もう少しだけ……お願いだから」
「もう、時間が無いのにゃ」
「〜〜〜〜〜〜⁉︎」
次の瞬間、彼女は掌を差し伸べると不思議な淡い光を放つ球体を僕の胸元に押し付けた。何も身体に変化は無いが、何処か安堵した様な表情を浮かべている様子を見て、不意に一体何だと首を傾げてしまう。
「『コレ』を渡すために、あたいはきっとソウシと出会ったのにゃ……」
ーープチンッ!
その彼女の台詞を聞いてしまった瞬間、僕は我慢していた想いが弾けた。
「何を言ってるんだよ……そんな、そんな訳無いだろ⁉︎ 何でこの時間の為に神力を使わなかったんだ⁉︎ 僕は君が生きてくれる方がよっぽど良かった!! 一体何を考えてるんだよ! 何で、何で僕に黙って勝手に戦場なんかに行ったんだ!!」
「……ごめんね」
ずっと彼女は申し訳なさそうに眉を顰めて微笑んでいる。少しは取り乱して泣き叫ぶくらいしても良いはずなのに。
何故だかそれが余計に納得出来なくて、僕は決壊した。
ーー叫んでやろうと思った。頬を叩く位してやろうと思った。身体を揺さぶって、困らせて、自分の想いを吐き出して、彼女を困らせて、駄々を捏ねて、この場に繋ぎ止めてやろうと思った。
「抱きしめて? もう、時間が無いのにゃ」
変わらずに困った顔をしながら望んだ彼女の願い。それが僕の全ての想いを打ち砕いて、粉砕して、ーー諦めさせると同時に項垂れさせた。
ゆっくりと近付いて、この最後の奇跡を両腕で愛しむ様に抱き寄せる。
温かい。ただ、温かいのだ。
「サーニア……ごめん」
「やっと、呼んでくれたのにゃあ。忘れられたのかって少し不安になったのにゃ」
「ごめん。僕は、僕は君を守れなかった……それに、みんなの事も守れない。僕は……魔王に負けた」
否定し続けた弱い想いを吐き出す様に、綴り漏らした。もう無理だと、戦えないと弱音を零す。
襲い掛かった初めての痛みが全身を貫き、血を滴らせ、勝てないと認識させたのだから。
「……ん。逃げちゃえば良いのにゃあ」
「えっ?」
「怖かったら逃げれば良いのにゃ。あたいの好きな人は優しい人。自分が傷付くより、傷付ける方が嫌いな人。無理に戦う必要なんて無い」
「でも、僕が戦わないと……大切な人を守れない」
「そろそろ時間にゃ……」
両腕を解き、一歩退いて僕を見つめるサーニアの瞳は先程までと違って力強かった。そして、最後の口づけを交わす。
どうしてなのか、僕はこの時に初めて人とキスをしたという実感が湧いたんだ。抵抗も無かった。
「ソウシ。あたいはずっと側にいるにゃ」
終わりにしなければならないのか。夢のような儚い時間は終わりを告げるのか。否定したくても、喉から先に言葉が出なかった。
無意識に差し出した手をサーニアが握る。
徐々に彼女の身体が光の粒と化して、天へと昇ろうとしていた。駄目だと分かっていても、僕は不自然な動きを見せるだけで、伝えたい事すら叫べずにいる。
ただ一つだけで良い。どうか神さま、僕に勇気をください。
「サーニア……愛してる!」
「ふふっ! 知ってるにゃあ!」
あぁ、綺麗だ。今まで見たどんな彼女の笑顔よりも、この瞬間に見せてくれた彼女の笑顔を美しいと思った。可愛いと思った。
「ソウシ……もう一度だけ言うにゃ。あたいはずっと側にいる。だから、自分の力を恐れないで受け入れて。それだけでソウシは、あたいの大好きな人は無敵にゃ!」
「……分かった」
不意に涙が頬を伝う。もう良いかな。最後くらい情けない顔を見せない様に我慢して来たけど、もう良いよね。
「サーニアああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」
「さよなら……」
呆気なくその言葉を最後に彼女は消失した。僕は真っ白な空間の中に残されて、一人膝を抱えて座り混んで泣き続けている。だってサーニアがいなくなってしまったら、もう何処にも行けない。動けない。
それに、僕はあいつに負けてしまったんだから。
__________
もう何時間、何十時間が経ったろう。何も考えられない。考えたく無い。彼女がいない世界を守る意味なんて無い。
ーードゴォッ!!
「ーーーーッ⁉︎」
不意に頬を殴られて吹き飛ばされる。地面を転がりながら一体何だと視線を向けた先には、銀髪を右手で靡かせながら、金色に煌めく双眸を向ける美しい女性が立っていた。
「おら、立てよバカ息子。夢の世界だか何だか知らねぇけど、好きな子にあそこまで言わせて動き出せねぇ情けない育ち方をした男に教育してやる」
「……他人の貴女には関係無いだろ」
何でだろう。全く知らない他人なのに、言葉の節々に棘を感じて凄く不愉快だ。女性にこんな感情を抱くのは生まれて初めてだと思う程に。
「大ありだね! 『
「煩い! お前に何が分かるんだよ! 僕はこれでも頑張ったんだ!」
「勝手に一人で完結してんじゃねぇ。良いからとっとと掛かって来な。俺達の『力』の使い方ってもんを少し教えてやるよ」
突然銀髪の女性の肉体を黒いオーラが包み込み、その容貌を変容させた。僕は何故か知っている。この現象を確かに知っている。
絶望に動き出せなかった僕の眼前には、黒髪、黒眼の漆黒の美しい女性が大きな翼を広げて、明らかな挑発していたんだ。
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