第103話 知らないと言う事は、それ即ちが罪である
「ふわぁ〜! あれ? ここ何処だろ?」
ソウシは寝起きでボヤけた視界が徐々にハッキリすると、見知らぬ高い天井や柔らかな羽毛のベッドに首を傾げた。
「あら? 今起こしに行こうと思ってたのに自分でちゃんと起きられたのね〜!」
「おはようお姉ちゃん。ここ何処?」
「いやいや、ソウシの新しい家でしょうが! それにしてもやっぱり勇者って凄いのねぇ……まさかあの泣き虫な弟が屋敷持ちの英雄になるなんて……お姉ちゃん……嬉しいけど寂しい」
「忘れてた……昨日の事はやっぱり現実なんだねぇ。今日からまたダンジョンかぁ。気が重い……」
「あぁ、その事なんだけど伝言があるわよ。不思議な袋だっけ? 折角だからその中に旅の必需品とかを揃えるから、街で買い物するんだって」
シャナリスの鞘の為とはいえ、気が重いとソウシは溜息を吐いた。セリビアは肩を竦めながらも、嬉しそうにその様子を見つめている。
「私は一緒には行けないけど、ずっと応援してるからね!」
弟はベッドから起き上がると両手を広げる姉の胸元に顔を埋め、その言葉に励まされた。ずっと昔から変わらぬ匂いと、柔らかな温もり。
ーーこれ以上ない寝起きだ。
「そう言えば、ピーチルさんとベルヒム君は?」
「あぁ、この屋敷は部屋も多いし広いからメイドや執事も一人一部屋自室を貰ってるわ。それもお給金の一部に含まれてるの。当分の間はメイド長をピーチルさんが務めるんだけど、次第に一緒に暮らす人も増えそうね〜?」
「ーー?」
「んふふっ! 今は秘密よ」
セリビアはニヤニヤと頬を緩めながら、弟の肩を軽く叩いて送り出した。不思議そうに首を傾げながら、ソウシは食堂に向かう。
「「おはようございます! ソウシ様!」」
「ふぇっ⁉︎」
屋敷の構造が分からず迷いながら食堂の扉を開けた直後、ピーチルとベルヒムが頭を下げて来た。
「お、おはよう! 二人共もっと普通に出来ないかなぁ?」
「雇い主である屋敷の主人に礼節を尽くすのは当然の事ですよ。ソウシ様はもう少し英雄として御自覚を持たれた方が宜しいかと、恐れながら進言させて頂きます」
「ピーチルさん、僕は村人になる夢を諦めて無いんだけど……」
「……叶うといいですね」
ソウシの言葉を聞いた途端に、ピーチルはまるで絶対に叶わない夢を語る人を憐れむかの様な冷淡な口調に変わった。視線が突き刺さる様に痛い。
「ソウシ君。おらの口調はどうしたら良いっすか? 如何様にも望みのままに変えられますよ?」
「一番楽な話し方で良いよ。ベルヒム君とは一緒に旅をするんだからさ」
「あぁ、その話ならお断りするっすよ!」
「〜〜〜〜ッ⁉︎」
「おらよりもずっと適任者がいたので、お譲りしたっす! ガイナス様にも既に了承は得てるっすよ!」
「……まさか」
勇者としての直感からか、ガイナスが容認する程の人物の心当たりは数人しかいなかった。その中から一番確率が高いのはテレスだと蒼褪めていたのだがーー
「……私が来た」
ーー予想は外れ、メルクが無表情のままに入り口に立っている。ソウシは安堵した勢いで、眼前の少女を抱き締めた。
「良かったあああああああああああああ〜〜! メルクオーネが一緒なら心強いよ!」
「ソウシ様の為なら、何でもするよ?」
頬を真っ赤に染めながらも抵抗しない翠髪のAランク冒険者である魔術師は、幸せそうに背後から手を添える。
「オッホン! イチャつくのは部屋の中だけにして下さいまし!」
「うわぁっ! ごめんメルクオーネ! つい……」
「……良い。寧ろまた希望する」
相変わらずソウシ以外の他人がいる前では無表情無口な少女は、身体の熱が冷めやらず、赤面しながら視線を泳がせていた。
朝食の後、二人はガイナスと合流する前に買い物を済ませようと商業地区へと向かう。実際ガイナスが彼女の同行を認めたのは、Aランク冒険者としての豊富知識が勇者を成長させると思ったからだ。
勇者は目立たぬ様に『透色のローブ』を羽織り、何故か自然と手を繋いだ状態で少女と大通りを歩いている中、不意に問い掛けられた。
「ソウシ様は、勇者ですが治癒魔術は使えないのですか?」
「うん……聖剣の知識の中にも自分や他人を回復させる類の魔術は無かったなぁ」
「それでは、回復薬を多めに買っておいた方が良いですね」
「確かにMP回復薬を持っていれば、無理矢理力押し出来た場面は多かったかも……」
妖精の巣穴での出来事が思い起こされ、MPを回復できればセイントフィールドで余計な戦闘を避けられたかも知れないと考える。
「でも、回復薬はとても高価ですからね。等級にもよりますが、上級回復薬は一本金貨十枚はするんですよ」
「そんなに高いの⁉︎」
「戦争の最中は最も値が高騰します。今はまだ安い方だと思いますけど……」
「でも、アルフィリアの知識の中にあった上級回復薬ってさ、良質の薬草から簡単に作れるじゃん!」
「えっ⁉︎」
焦りながら不意に告げられた事実に、メルクは動揺する。下位の冒険者が言うなら一笑に伏す所だが、ソウシが告げる事であるからには何か意味があるのだと感じ取ったのだ。
「あの……ダンジョンから戻ったら一度紹介したい人物がいるので、付き合って貰えませんか? ーー二人で!」
「良いよ? とりあえず今日はメルクオーネに旅の準備は任せるね。僕は素人だしなぁ……この前の冒険者研修もポーターとしてついていって巻き込まれただけだから、肝心な事は知らないんだ」
「任せて下さい!」
好きな人から頼られるという事実だけで少女は燃えていた。だが、そんな必要すらない程に行きつけの道具屋、武器屋、食材の調達まで完璧な程に経験値が高い。
「凄いねぇ〜! さっきの交渉とか見惚れるよ!」
「明らかにこちらの装備を見てぼったくろうとしてましたからね。値切りは勢いと相手の観察が大事ですよ。相手がもう嫌だと思ってからが勝負です!」
「僕は今までお姉ちゃんに買い物を任せてばっかだったから、このワンダーキーパーとベルトだけで目を回しそうになったけどね〜」
「失礼かもしれませんが、それはとても貴重なアイテムだと聞いてはいますが幾らくらいするのですか?」
「聞かない方が良いかもよ?」
恐る恐る忠告するソウシの表情を見て、メルクは生唾を飲んだ。だが、冒険者としての好奇心に耐え切れずに言葉を続ける。
「お願いします……」
「……金貨千六百枚……」
「ーーーーッ⁉︎」
「ほら、僕と同じ反応をしてくれて嬉しいよ……やっぱりそうなるよねぇ」
「それって、もしかしてSランクアイテム何ですか⁉︎」
「いや、詳しい事は分からないけど多分そう……かな?」
少女は瞳を輝かせながら、少年の腰元に視線を集中させる。単純に冒険者としての好奇心が呼び起こされてしまったのだ。
「これは僕以外には開けることも出来ないから、触っちゃダメだよ!」
「分かってますよ、所有者の登録がされているんでしょう? 聞いたことがありますしね。因みにソウシ様、お腹は減りませんか?」
旅の準備を進める内に、昼過ぎになっていた事からソウシはお腹を抑えてはにかむ。
「実は、ちょっと屋台の匂いにつられ掛けていたんだよ。よく気づいたね」
「いえ、私も丁度お腹が減ったなぁって……」
「メルクオーネは、クラスでもそんな顔をすれば良いのになぁ」
「まだソウシ様の前以外では恥ずかしいんですよ」
「せっかく可愛いのに……」
「ーーーーッ⁉︎」
何気なく呟かれた言葉が耳に入った直後、少女は赤面して俯いた。チラリと髪の隙間から覗くと、全く気にすらしていない恩人の横顔が映る。
(私だけに言ってくれたら良いのになぁ……)
「ねぇ、メルクオーネの行きつけの店とかあるのかなぁ?」
「……ありますよ〜〜だ!」
「どうかした? なんか顔が赤いけど?」
「な、何でも無いです!」
その後、高ランク冒険者が行きつけにしている店に入って昼食を摂った二人でだったがーー
(ピーチルさんのご飯の方が美味いなんて言ったら失礼かな……)
(どうしよう、朝に食べたメイドさんのご飯の方が絶対美味い……)
ーー互いに気を遣い合いながら、本音を言いだす事が出来ずにいた。
こうして、デート兼ダンジョン攻略の準備は終わる。
勇者がガイナスやメルクオーネが準備をしてくれたアイテムや道具の大事さを知るのは、もう少し先の出来事だった。
__________
『ゴクイスタルーー王城にて』
「よく来たな、確か……名はサーニアと申したか? 『戦神カイネルテス』に選ばれし『
「その名で呼ばれるのは好きじゃ無い。さっさと要件を言え、戦争を終わらせれば国に帰って良いんでしょう?」
サーニアはゴクイスタルの王ストレングに平伏しながらも、仄暗い尖った視線で睨みつける。そこに敬意や忠誠は皆無だった。
普段と違い口調を変えただけなのに、学院でのほのぼのとした雰囲気は無く、『依頼を受けた暗殺者』そのものだ。
ーーマグル王から転移魔石を渡され、告げられた条件は唯一つ。
__________
「勇者を守る為に、今この国で動けるのは神の子しかいないのだ。酷な事を言っていると理解しているが……どうか頼む」
「ソウシの為って言われたら、あたいが断れないのを知ってるの?」
「…………知っておる。調べたからな」
「……じゃあいいか。条件は一つだけ、決して余計な事をソウシに知らせるな。この約束を違えたその時は、契約の破棄とみなしてこの国に災厄を授ける」
「承知している。神の子との契約は、即ち降ろす神との契約に等しい。しかと受け止めよう」
ゆっくりと頷いた後、サーニアは転移魔石を発動させて同盟国であるゴクイスタルへと飛んだ。
__________
「よう! 暗殺者!」
「まさか勇者では無く、神の子であるお主がこの国に来るとはのう!」
気楽な声を発しながら、王の背後のカーテンより現れたのはザンシロウと翠蓮だった。サーニアは一瞬で背後に飛び退き、威嚇する。
「安心せい。お主が味方になるのであれば心強いわ」
「……俺様は納得してねぇぞ?」
「…………」
沈黙を貫くかの如く、猫の獣人が戦闘体制に入ろうとした直後ーー
「控えよ! 我が王の御前で他国の者が戦闘を始めれば、自国に迷惑を掛けると理解出来ぬのか!」
「〜〜〜〜ッ⁉︎」
翠蓮は手を翳してサーニアを制止した。放たれていた威圧を解いた後、説明を始める。
「此度の我等の敵は、魔族の大陸『ボロム』の五大国が内の一つ『レイネハルド』じゃ。王国マグルに助勢を求めたのと同じく彼方も他国へ支援を求めており、その相手が厄介極まりない」
「……どこ?」
「魔神を崇拝する大国、『ペネレンシア』じゃよ。そこにはお主達と同じ魔族側の神の子がおる」
猫の獣人の少女と、不死の悪魔と呼ばれた男は同時に口元を吊り上げる。『獲物を見つけた』と言わんばかりに嬉々とした表情を浮かべていた。
「そいつを殺せば、ーーソウシの所に帰って良いんでしょ?」
「カカッ! 俺様の相手だ、横取りすんじゃねぇよ暗殺者!」
「はぁ……お主らは本当に馬鹿ばかりじゃなぁ……」
鬼女は溜息を吐きながらも気付いていない。二人から放たれた覇気に吊られて、自らの口元も歪んでいるという事に。
戦争は既に始まっており、今この時からサーニアは死地に赴く。
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