【第5章 スラムから生まれた聖女】

プロローグ 「王国マグルの聖女』

 

「絶対、ここを抜け出してやるです!」

 私は塔の窓から布を結んだ簡易ロープを投げ出して、脱走を試みている。勢い良く吹き荒ぶ風に生唾を飲み込むと一度部屋へと戻り、眼下へ目を見張った。


「こ、怖いです。これは中々に怖いです」

 でもこのままじゃ、マジで聖女に仕立て上げられる。それだけは何としてもお断りしてやるのです。


「はぁ……何でこんな事になってるですか……」

 私は何としても戻らなきゃならないのです。みんなが待つスラムへ。


 __________


 その日、マグルに勇者誕生の時と同じく歓声と喝采が巻き起こった。とある少女の神託の結果は職業『聖女』。十五歳の成人の儀の際に承った結果に、呆然と佇む彼女の名はヒナ。


 ーー生まれはスラム。母は娼婦だ。


 貧困に飢え、今回の神託もより良い職につければ金に困らないとの周囲の助言から、無理矢理連れられたのだった。

 しかし、結果は己の想像を遥かに上回る程の現実。脂汗が流れ落ちる。何かの間違えだ、と。


 夢なら冷めてくれと襲い掛かるプレッシャーに押し潰されそうになっていた所へ、神官が肩を叩いて語りかけて来た。


「認めよ! 神官の儂が宣言しよう。お主は今日から『聖女』じゃ!」

「…………ふぇ⁉︎」

 あまりの驚愕から開いた口が塞がらずに、そのまま少女は城へと連れて行かれて王と謁見する。


「おおぉぉぉぉぉぉぉっ! 勇者に続いて聖女までが我が王国マグルに現れるとは、これぞ神の僥倖と呼べるであろう!」

「はぁ……」

「名前はヒナと言ったか? これからマグルの聖女として、迷える者を導いてくれ。頼んだぞ!」

「はぁ……」

「では、聖女の間へ案内せよ!」

「へっ?」

 その後、ヒナは城の塔へほぼ幽閉されるかの様に閉じ込められる。『聖女』を狙う不逞の輩は途轍もなく多いのだ。


 ーーある者は捕らえて実験の材料へ。

 ーーある者はその聖なる血を求めて命を狙う。

 ーーある者は売り捌けば、一生遊んで暮らせる金に眼が眩むのだ。


 マグル王は決して悪意がある訳では無く、保護のつもりだったのだが、説明を省き過ぎた。ヒナは不満と疑念に駆られ、脱走を開始する。


「私はみんなの所へ帰るのです!」

 勇気を振り絞って階下の窓へ見事飛び付いたヒナは、警備兵の隙をついて街中へ飛び出した。


 __________


『王国マグル、スラム地下下水道』


「なぁ〜聞いたか〜?」

「あぁ。あのヒナに『聖女』だと神託が降ったらしいな」

「売れば一体どれだけの金になると思うよ?」

「金貨千枚は下らないんじゃ無いかぁ?」

 下水道の分岐位置に配置された部屋の一室で、男達は蝋燭の火を灯し、密談を開始している。普段は大人しく冒険者稼業を行いつつも、その本業は人攫いだ。


 特殊なスキルを持った冒険者や、価値のありそうな職業の者を攫っては他国に売り捌くのを生業にして生きる闇の者達。


 ーーその毒牙が、ヒナへ迫ろうとしていた。


「俺達は『啜る隠者』だ。今回も美味しい密にあやかろうじゃ無いか〜!」

 灰色の髪。華奢な身体つきに見合わない程の大剣を背に背負い、青い双眸を輝かせてリーダー格の男は破顔う。

 筋肉を隆起させた屈強な男達は、何の不満も見せずに同意しながら頷いた。


「城から抜け出させる為の餌が必要だなぁ〜! まずは母親を攫え」

 その言葉と同時に、一斉に闇に蠢くもの達は行動を開始する。


 ヒナにとっての悪夢が、降りかかろうとしていた。


 __________


「はぁ、はぁ、はぁ!」

 城を抜け出して、懸命にスラムの母の元へと走る。このままじゃまた幽閉されると勘違いしていたヒナは、母と共に国を出ようと画策していたのだ。


 しかし、想像だにしない悲劇が突如、視界へ飛び込む。

「……えっ?」

 慣れ親しんだ古い家屋の扉を開けた途端に飛び込んだ光景はーー

 ーー愛しき母が攣らされ、既に事切れた姿だった。


「えっ……?」

 ヒナは暫くした後に漸く事態を把握し、自らの現状を理解する。

(私の……せいなのです。聖女になんてならなければ、お母さんは死ななくて済んだのです)

 瞳から涙を溢れさせ、震える身体を抑えつけながらふらふらと路地を歩き出した。


 そして、悪意は襲い掛かる。背中から羽交い締めにされて、口元を布で塞がれた直後、確信した。

(あぁ、やっぱり私の所為だったんだ……)

 母が死んだ事実と予測が合致した瞬間、瞳からは色が失われ、虚空を見つめる様に絶望がその身を支配する。

(……もういいや)


 自暴自棄になった、その直後の事。

「え〜っと、間違いとか誤解だったらごめんね? 『アポラ』!」

 暴漢達を一撃で弾き飛ばして壁に激突させると、瞬時に首元へ手刀を繰り出して気絶させる。オロオロと狼狽えながら、少年は少女へ話しかけた。


「無事かな? 女の子がこんな所に一人でいたら危ないよ。まぁ、実は僕も迷子なんだけどね」

「あうぅっ……助けて」

「うん。もう大丈夫だよ。安全な所まで守ってあげるね! 僕は逃げ足にだけは自信があるんだ〜」

 だが、差し出された手を握った直後、ヒナの身体に電流が迸る。


「貴方の名前を教えて欲しいのです」

「ん? 僕の名前はソウシだよ」

 聖女のスキルかわからないけど、この時、直感からビジョンが浮かんだのだ。


 ーー己の未来に待ち受ける運命と、少年が泣きながら聖剣を構える姿を。

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