エピローグ 私の名前は……

 

 目を覚ますと、私はドールセン学院長の腕の中にいました。それが嬉しくもあり、何処か悲しくなったのです。

 ーー少しだけ、期待してたんだろうな。


「……学院長。みんなは?」

「先に転移魔石で傷を負った者は、無事な者に付き添わせて送り届けたわい」

「……そっか」

 あぁ、駄目だ。どうしても笑顔になれない。きっと学院長にも心配かけた筈なのに。笑わなきゃいけないのに。お礼を言いたいのに。


「無理に笑おうとしなくて良いんじゃよメルク。これだけは聞かせておくれ? いつか儂は言ったな。お主の心を癒してくれるのは、想い合える仲間達だけじゃと。どうじゃ? 救われたかのう?」

「……うん。感謝してる」

 この人に出会えてなければ、きっと今の私はないんだ。本当に感謝してもしきれない位にお礼が言いたい。いつか、恩返しをしたいと心から思う。


「じゃあ、儂の役目は終りじゃな。これは学院に戻る為の転移魔石じゃ。お主はもう無事な者じゃろう? では傷を負った者を無事に送り届けておくれ」

 転移魔石を渡された直後、学院長はテレポートで消えた。一体どういう事だろう。


「んん〜! そんなに食べられないよセリビアお姉ちゃん〜! 駄目だってばぁ〜!」

「えっ⁉︎」

 聞き覚えのある声が聞こえて咄嗟に振り返ると、そこには木に凭れ掛かりながら眠る彼がいました。

 簡易的に治癒魔術を施されているのでしょうが、それでも分かる血痕。破れた服。所々焼かれた頭髪。煤けた顔。


「あっ、あぁっ、あああぁぁぁあ’’〜!」

 私は思わず地面に泣き崩れました。何て事を、一歩間違えばこの人の命は失われてた。大切なクラスメイト達を悲しませる所だったんだ。なのに、それなのに嬉しいなんて浮かれたんだ。許される筈が無い。


「ごめんね……助けに来てくれて嬉しかった。ありがとう、私の英雄様」

 眠る彼の手元に転移魔石を置いて、その場を去った。みんなに会わす顔が無い。沢山迷惑を掛けた。また何処かで冒険者をやりながら慎ましく暮らそう。


 風魔術を発動させて、空を翔けながら思い出していました。

「楽しかったなぁ〜!」

 ーーやっぱり、思い出すのは彼の事。

「久しぶりにあの時は苛ついたっけな〜!」

 ーーそれでも、思い出すのは彼の事。

「いなくなっちゃった時は慌てたなぁ〜ちょっと泣いたもん!」

 ーーどうしても、思い出すのは彼の事。

「泣き虫な癖に……強がっちゃってさ!」

 ーー忘れたくても、思い出すのは彼の事だけだ。


「私が、普通の女の子だったら良かったなぁ……」

 風を切り裂いて飛びながら想像するのです。きっと、普通に学院の生徒だったら、多分取り巻きの一人に加わってるわ。勇者だもの。憧れない筈が無い。

 そうだとしたら、きっと陰から見つめ続けて、卒業式とかにならないときっと告白すら出来ないの。だって、勇気がないもの。


 でも、きっと最後には頑張れるわ。想いを振り絞って、震える身体を抑え込んで、全力でこんな風に叫ぶのーー

「ーー私は、ソウシ様の事がずっと好きでしたああああああああっ!!」

「えっ⁉︎」

 そうそう、こんな感じで最初はきっと驚かれるのよ。そして彼は言うの。

「ほ、本当に?」

 そうそう、そして私は力強い瞳で見つめ返してハッキリと答えるのよ。

「本当で、本気で! 私は生涯貴方だけを愛すると誓えます!」

「…………」

 きっと彼の事だから、沈黙して考え込むんだわ。だから私は勇気を出して抱き締めるの。ここはちょっと大胆でも良いかしら?


「抱いて下さいソウシ様ぁ!」

(ん? 温かい? あれ? この幻想ちょっとリアル過ぎないかしら? 何で赤面してるの? 何で照れ臭そうに頬を掻いてるの? あれ?)

「えっ⁉︎」

「いや〜気持ちは嬉しいんだけど、頭が追い付かないって言うか……恥ずかしい」

「キャッ!」

「キャッ?」

「スーーーーーッ!

「どうしたの? いきなり息を吸い込み出して?」

「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

「うわわわわわっ!」

 逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ。もう絶対に顔を合わせちゃいけないわ。恥ずかしくて悶絶死するに決まってる。


「ねぇ〜? 一体どうしたのさ?」

「いるしーー⁉︎」

「そりゃあいるよ。メルクがどっか行ったって、アルフィリアが起こしてくれたんだ」

 嘘でしょ。なんでこの人私が空を飛んでるのに、ジャンプだけで追い掛けて来れるのよ。


「ねぇ……下りて来て?」

「はい……」

 逃げられない以上仕方がありません。あぁ、穴があったら入りたい。


「あのね、さっきの返事だけど」

「ひゃ、ひゃい!」

 あぁ、きっと振られるわ。こんな根暗な女、好きになってくれる訳無いもの。更に迷惑までかけて私の馬鹿。


「ぼ、僕ね。最近初恋をしたと思うんだけど、まだ正直良く分からなくってさ……もう少し待ってくれないかなぁ? メルクの事は好きだと思うんだけど、友達の好きと、恋人の好きっていうのが分からなくて……」

「…………」

「最近ドーカムに一番好きな女は誰なんだよって、突然聞かれてさ。僕、咄嗟にセリビアお姉ちゃんって答えちゃったんだよ。そしたら頭を殴られて、余計も分からなくってさぁ」

「め、め」

「うん? め?」

「め、迷惑じゃ! 無いですか⁉︎」

「えぇ⁉︎ 好きって迷惑な事するの⁉︎」

「い、いや、そういう訳じゃ無くって〜〜、あぁ、何て言ったら良いんだろう!」

「恋とかは分からないけど、僕はメルクを助けられて良かったなぁって、本当に嬉しく思ってるよ!」

 満面の笑顔と同時に私の髪を撫でます。優しく、慈しむ様にこの人は撫でてくれるのです。


 ーーあぁ、駄目だ。堪え切れない。


「ヒック。う、うぅぅぅぅぅ〜〜!」

「…………おいで?」

 両手を広げられ、彼の胸元に飛び込んだまま落下しました。地面にぶつかると思ったけど、それでも良いかと我ながら呆れた瞬間、ふわりとお姫様抱っこで抱き抱えられたのです。


「さぁ、帰ろうか?」

「も、もう少しだけ……このままで」

「良いよ。飛ぼうか?」

「うん。最後にナイアが見たいの」

「了解!」

(お母様。私達は歪な関係で決して理解し合う事も、許す事も出来なかったけれど、この瞬間だけは産んでくれた事に感謝します)


「さよなら……アレクセアお母様」

「……おかえり。メルク」

 私は彼の言葉に首を振りました。不思議そうな顔で見つめるその黒い双眸を、力強く見つめ返して答えるのです。


「ど、どうかした?」

「あのね。私の名前はメルクオーネって言うの。これからは……そう呼んでくれる?」

「……分かったよ! これからも宜しくね。メルクオーネ!」

「はい! ソウシ様!」

(あれ? 突然落下し始めました。どうしたのでしょう?)


「アルティナ先輩といい、メルクオーネといい。僕に『様』をつけるのだけは勘弁してくれ〜!」

「い、や、で、す!」

「えぇ〜⁉︎」

「うふふっ!」

「…………」

 私は気付いているんです。照れ臭そうにしながらも、貴方がずっと笑顔で嬉しくて堪らない事に。


「私の勇者様……」

 ーーここから始めよう。私の新しい人生を。メルクでは無く、メルクオーネの物語を。

 だって、もう勇者様の腕の中にいるんだもの。こんなに素敵な始まりは無いわ。


 私はメルクオーネ。亡国ナイアの姫にして、Aランク冒険者。

 好きな人はソウシ様。私の大好きな勇者様。


 貴方に捧げよう、私の人生を。

 貴方に尽くそう、力尽きる最後のその時まで。


「私はもっと強くなる!」

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