第57話 全てを失った者 3

 

 ーー世界が炎に包まれている。


 僕にとっての世界はこの王国ナイルが全てだ。冒険者の様に旅をする事も無い。他の国を巡った事も無い。

 愛する妻がいて、愛する娘がいて、心を開ける親友がいる。


 この国だけが、僕の世界だ。その世界が今、肌をジリジリと焦がす炎に焼かれていた。

 汗が滲み出る。喉が乾く。髪の焦げた臭いがする。それでも、この滅びようとする国から動き出せずにいる。


 もう、既に事は終わってしまったのだから。悪戯を終えた子供の様に口元を吊り上がらせる無邪気な魔女は、僕に問い掛けた。


「ねぇ、今どんな気持ちかしら? 教えてくれない? 昔初めて貴方に会った時に思ったのよ。この人ならきっと、全てを奪われた時に何かしらの変貌を遂げてくれるって。期待外れだったかしら? 実験は失敗かなぁ」

「…………」

「でも、素敵な眼をしているわ。今この国にいる誰よりも絶望に染まったその瞳。仕込みを終えた私の娘よりも、更に深淵を覗かせてくれる」

「…………」

「あっ! 言い忘れたわね。貴方は約束通り殺さないわ? 私は頭の良い子は好きなの。次の実験の為に子供を作る必要があったら探しに行くわね。安心して? 何年経っていても私は美しいままだし、貴方に求めているのは種だけだから」

「…………」

(こいつはさっきから何を言ってるんだ? 語るべき言葉はそんな事じゃ無いだろう? お前が僕に何をしたか、分かっているのか?) 

 焼かれた家を見つめる。もう灰になって崩れた家屋に、最早動く者はいない。希望は既に打ち砕かれた。


 奪われた。妻も、子も、友人も、恩人も。一瞬にして奪われたのだ。

(許せるものか……許せるものか……許せるものか……許せるものか……)


「許せる筈が……ないだろう」

「あら、漸く口を開いたわね〜。さっきの答えを教えて? 今、どんな気持ちかしら?」

「……殺してやる」

「ふんふん、他には?」

「殺してやるぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーー!!」

 武器なんて無い、この十年パンばかり作っていて碌に鍛えてもいない貧弱な肉体。だが、それでも構わない。右手が狙うは眼球。左手は細い首。


 ーー抉り取り、圧し折ってやる。

「積極的に求められるのは嫌いじゃ無いけど、野蛮な人はお断りね。頭を冷やしなさい?」


 ーーバキィィィィィィィンッ!

 魔女の結界に弾き飛ばされる。両手の指の骨が粉々に砕け、右手の小指は根元から千切れた。

「ぐわああああああああああああああああっ!!」

「大人しく私の側でこの国の終わり見てなさいな。そうそう味わえる体験では無いわよ? 貴方は運が良いわね〜!」


 最早、断末魔すら聞こえない。全てが燃やし尽くされてしまった。

(城は、王はどうなったのだろうか?)

「そろそろか……」

 アレクセアがボソッと呟いた直後、その両隣に一瞬にして赤と青の体毛を生やした魔獣が現れた。その内の一体が僕を見つめると、口を大きく開いて襲い掛かってくる。


「ーー⁉︎」

「セイヒ?」

 魔女の一言を聞いた魔獣は、首元に噛み付く刹那にピタリと動きを止めた。そして怯えながら背後の主人へ振り返る。


「ねぇ、その子は私のお気に入りなのよ。いつから使い魔の分際で、私の意思に逆らう様になったかしら?」

「アレクセア様、決してその様なつもりは御座いません! 気持ちが昂ぶっており、どうかご容赦を」

「次は口答えかぁ、育て方を間違えたわね。もう燃えなさい? これを乗り切れたら完成したと認めてあげるわ」

 魔女が右手を軽く振った瞬間、二体の魔獣は絶炎に包まれる。青くも、赤くも無いーーーー灰色の炎。僕なら一瞬足りとも耐える事は不可能だと思った。足が竦み、身体が震える。


「フィナーレを飾りましょう。見ていてねお客様? うふふっ」

 優雅にドレスの裾を摘んでお辞儀をすると、直上に飛び去り、左右の両手を広げて詠唱を開始した。

 何故だか分かってしまったんだ。アレクセアの言葉通りこの国の最期なのだ、と。


「や、めろ……」

 もうシーナも、アミも、ボズも、女将さんもいない、それでも。

「や、め、てくれ……」

 守るべき者も、生きる意味も、存在価値さえ消失した、それでも。

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーー!!!!」

 慟哭と絶望を轟かせる僕に向かい、魔女が可愛らしい所作を取る。口元に人差し指を当てて答えた言葉はーー「い、や、よ! あはははははははっ!」

 歯牙にもかけない否定、拒絶。そして、絶炎の焔が国中へ放たれる。残された建物は崩れ落ち、辛うじて生きていた者も骨すら残らぬ程に燃やし尽くされた。


「ああああああああああああああああああああああ」

 壊れた、壊された。僕は無理だ。もう駄目だ。ひたすら寄生を発した後ーー意識は閉ざされた。


 __________


『今朝に遡る』


「お父さん! 仕込みの時間でしょ? 早く起きなきゃ駄目だよ!」

「んっ……? あぁ、もうこんな時間か。ありがとうなアミ」

「全く、私とお母さんがいないと本当にダメなんだからぁ〜!」

「ははっ! 本当にその通りだよ。僕は二人がいないと何も出来ないからね!」

「……自信満々で娘にダメだっていうお父さんって、どうかと思う」

 腰に手を当てて冷ややかな視線を向けながらも、どこか嬉しそうな娘の頭を撫でる。支度を整えて工房に向かうと、妻が先に仕込みを始めていてくれた。


「あら? お寝坊さんね〜?」

「ごめんごめん! ありがとうね、シーナ」

「良いのよ。愛しい旦那様の為ならね」

「それはこっちの台詞さ。愛してるよ」

 軽いキスを交わすと作業を開始する。アミは隣でその工程を見ながらメモを取りつつ、額の汗を時折拭ってくれた。


「退屈じゃないかい?」

「全然! 私も将来はお父さんみたいな職人になるんだから!」

「それは嬉しいなぁ〜! でもあんまり頑張り過ぎちゃうと、嫁の貰い手が心配だよ」

「私はお母さんに似て美人だから平気よ? それよりも、お父さんが格好良いのはパンを作ってる時だけなんだから手を動かす!」

 隣の妻へ助けを求めるが、否定出来ないのか視線を逸らされた。酷い。


「今日はボズさんと一緒に、兵士さん達の訓練場に売り子に行ってくるね」

「本当にそれが心配なんだよ〜。可愛いアミがあんな野蛮な所に行って平気かなぁ……」

「大丈夫だよ? ファンクラブのみんなが守ってくれるし!」

「へっ⁉︎ 何それ、僕初耳なんだけど?」

 妻に視線を向けると、また逸らされた。何故だ、僕の預かり知らぬ所で一体何が起こっているんだ。


「おーい! おはようテンカ、シーナ! アミは今日も宜しくな〜!」

「はーい! ほら、ボズさん無精髭は駄目だって言ったでしょう! 剃ってきて!」

「良いだろうがこれくらい! どうせお偉いさんじゃなく、兵士達が相手なんだからよ!」

「ーー何か言った?」

(うぉっ! 娘が僕の知らない顔をしている。何だあれ、怒った時のシーナみたいだ……)


「剃ってきます!」

「よしっ!」

「ねぇ、シーナ。娘の成長が嬉しくもあり、怖くもある僕は変かな?」

「いえ、十二歳であれはちょっと出来過ぎねぇ〜」

「僕達、普通にのびのび育てた筈なのにねぇ」

「貴方がのんびりしてるから、きっと自分がしっかりしなきゃって思ったのよ」

「えっ⁉︎ 僕ってそんなに駄目⁉︎」

「……黙秘するわ。大丈夫、ちゃんと私はそんな所も好きよ?」

 信じられない。認められない。だが、ボズよりはマシだろう。うん、あいつには負けてないさ。


「ねぇ〜アミ? 僕とボズおじさんだったら、僕の方がしっかりしてるよね〜?」

「…………黙秘します」

「ファッ⁉︎」

「あなた、やめて……? それ以上傷つく所を見たくないの」

 嘘だ、嘘だ、嘘だ、僕がボズより、あんな二十代後半になっても女遊びばかりしてる馬鹿より劣ってるだなんて認められない。


「ふ〜! スッキリしたぜ。これで良いかい嬢ちゃんよぉ?」

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぅっ!」

「ど、どうしたテンカ? まるで親の仇を見るみたいな目付きで俺を見るな」

「絶対にお前に娘はやらんぞ〜!」

「いるかボケ! どこに親友の娘に手を出す馬鹿がいるんだ!」

 この瞬間だけは妻と心が通じ合った。僕達は二人でボズを指差す。何故かアミの顔が真っ赤だったが、絶対に突っ込まない。


「お前らなぁ〜俺の好みはボインボインの巨乳だっての! 見てみろアミの胸を! こんな小さな胸に何の価値がある!」

「殺す……」

 その瞬間、娘が今迄見せた事もない敏捷を発揮して、ボズの双眸を人差し指と中指で貫いた。


 ーーズブリッ!

「ぎゃあああああああああああああああああっ! 目が! 目がああぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 ゴロゴロと転がり回る親友に合掌した。今のはお前が悪い。


「うふふっ!」

「ははっ、あははははははっ!」

「ふんっ!」

 憤る娘をおいて、僕達は笑い合う。幸せだ。あぁ、本当に幸せなんだ。


 この直後、僕はいきなり目の前に現れた魔女に襟首を掴まれ一人だけ転移する。その後見た光景は、妻と子と、親友の焼かれ崩れ落ちる姿。


 ーー一瞬で世界が壊れた瞬間だった。


 __________


「夢じゃなかったのか」

 炎が鎮火して滅びた街の広場に、僕は一人寝そべっていた。辺りから漂う臭いが鼻を劈いて吐きそうだ。もう胃液すら出ない程吐き出したというのに。


 その後、どれだけの時が経っただろう。立ち上がる事も、ご飯を食べる事も、水を飲む事もせずに、寝そべり続けた。思考だけが回り続けている。


 ーー何処で間違えた。

 ーーどうしてあの魔女の真意に気付けなかった。

 ーーいや、僕は気付いていた。本当は気付いていた筈なのに、関わろうとしなかったんだ。


「僕だけが、気付いていた筈なのに……」

 あの戦争の時に抱いた思い、疑念、疑問、不満、悪意に対して、僕は目を背けたんだ。幸せに浸っていたかった。ーー結果がこれか。


「もういい……どうでもいい……」

 涙はとうに枯れ果てた。全ては終わったのだ。じきに僕も死ぬだろう。それでいい。


 ___________


「ーーんっ?」

「あら? 起きたのね〜?」

 ガリガリに痩せ細った身体に、僅かではあるが力が戻っている。

(何だ? 何が起きているんだ?)


「貴方、死にそうになってたのよ〜? それとも死にたかったのかしらね〜」

「……余計な真似を」

「図星? じゃあこうしない? 貴方はもう既に死んだのよ。そして生まれ変わった! これからは私と共にジェンダーの解放と、人間にお痛する魔獣や悪人をとっちめながら生きましょう?」

「黙れ変態……」

 何でこいつは女物の水着を着て、ツインテールなんだ。しかもちょっとはみ出てるだろうが。意味が分からない。


「失礼ねぇ。貴方も一緒にいればこの美の素晴らしさが分かるわよ? ほら、とりあえずご飯を食べなさい」

 差し出された食器を壁に放り投げた。少しは怒るかと思ったのに、この変態は皿を水洗いして、再度スープをよそって差し出してくる。

 再び撥ね返そうと思ったら、今度は皿が一切動かない。握った男の膂力が桁違いなのだろう。


「なぁ、スープよりも僕を殺してくれないか? あんた強いんだろう?」

「さっきも言ったでしょう? 貴方は既にもう死んでるのよ」

「生きてるじゃないか! 死ねたらどれだけ良かったか、お前に分かるのかよ!」

「心が……死んでるじゃない」

「ーーーーっ⁉︎」

 あぁ、確かにその通りだ。全てを失った。僕の心はもう、壊れた。ーー死んだんだ。


「う、っふ、っく、ぐぅ、くうぅぅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜〜!」

「泣きなさい。枯れたと思った涙が溢れる内は泣きなさい。流し尽くすのよ」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 うぅぅっ!」

 それから、数時間変態の胸で泣き続けた。そして考え続けた。僕に何が出来る。何をしたらいい。もう何もないと思っていた思考が、自然と前を向いていた。

 結論は唯一つ、『復讐』だ。私怨だろう。そんな事は僕が一番分かっている。それでもーー

「あの魔女は、殺さなければならない……」

 ーーこれは絶対だ。その時、急に閉ざされた視界と思考が開かれた気がした。


 あいつは言っていた。「私の娘の仕込みは終わった」ーー確かにそう言った。つまり終わりじゃないんだ。

 守らなければならない。これ以上こんな惨劇が起こらぬ様に、誰かが守らなければならない。


「でも、僕には力が無い」

 ボソリと呟いた瞬間、目の前の変態が笑った。

「それなら、私が貴方に力を与えましょう! この台詞、一度言って見たかったのよね〜!」

「ふざけんな、変態め」

「まぁ、見て見なさいよ」

「……?」

 ーーバキバキッ!

 庭に担ぎ出された僕が見た光景は、変態が巨木を小枝の様にへし折る姿だった。


「貴方はこれから地獄を見るわ。それに耐えきれた時、力を得られる」

「地獄の先までもう見たさ。御教授お願いします」

 その後、五年の歳月をかけて私は完成した。新たなるジェンダーの解放者として、師匠の後を引き継ぐ者として、冒険者ギルドの門を開く。


 最短記録を叩き出して、SSランク冒険者に任命されるまでに至った。


 __________


「あの子ね……」

 眼前には瞳に闇を宿した少女がいた。名をメルク。嘗て私と同じく絶望を味わい、全てを失った者。守るべき対象。


「宜しくね? 私はテンカ!」

「……メルク」

「もう、暗いわねぇ〜? 今日のクエストはペアなんだから会話位しましょ?」

「……断る。必要ない」

(あぁ、やっぱりこの子も壊れてる。きっと上手く話せないのね?)

 だが、聞かなければならない。正体がバレない様に、尋ねなければならない。


「そういえば、貴方のお母さんはこんな職業に心配しないのかしら〜?」

「ーーーーひぃっ⁉︎」

 一目でわかった。この子は今も囚われている。

「ごめんなさいね。何でもないわ」

 間違いない、メルクオーネ様だ。この子こそが、私に残された最後の希望。かつて抱いた生きる意味。

「……守ってみせるわ」

 でも、そんな私の予想と決意は覆された。ドールセン学院長と出会い、学院に通う様になってからのメルクオーネ様は変わられたのだ。

 ーー笑う様になった。

 初めて山中に隠れてその姿を見た時は、涙が溢れた。あの子は、私と違って心の闇から抜け出せたのだ。何でだろう。自分の事の様に胸が締め付けられる。


 視線の先にいる少年を見た。

(あぁ、きっと気付いて無いだろうけど、あの男の子が好きなのね)

 その瞬間、シーナの顔が浮かぶ。嘗ての私達を見ている様だ。僕は、私は、今も君だけを愛している。


「守らなければならない。絶対に……」


 ___________


 眼前には魔女が佇んでいる。時は来たのだ。

 封じられたメルクオーネ様。傷付いて動けない仲間達。私が、僕が、全てを守らなければならない。


「会いたかったわよ。絶炎……」

「えぇ、私もよ? ただ、その姿は予想を超えていたわね。一体何があったのかしら?」

「色々あったとだけ言っておくわ……」


 全てを失った僕の、私の、復讐戦が始まる。

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