第58話 受け継がれる心 1

 

 テンカは白銀の巨斧ガンマレードを背から抜き去り、恋い焦がれたと言っても過言では無い程の仇と相対する。

 ジワリと掌は汗で滲み、自ずと筋肉は隆起し、血の脈動が早まった。


「うふふっ。久しぶりに緊張しているみたいねぇ」

 ビキニアーマーは張ちきれんばかりに伸びており、口元には自然と笑みが浮かぶ。


 ーー会いたかった。しかし、会えなかったのだ。


 王国ナイルの事件後、どれだけ探してもアレクセアは見つからなかった。その際、師から理由を聞く。上位の魔女は他者の侵入不可能な空間を形成する事が出来る、と。

 まさしくその通りだった。ナイルを探索していると、所々に空間の歪みを発見したのだ。


「待つしか無い」

 その事実は口惜しさと共に、余計に修行と魔獣狩りに励む日々をもたらした。


 漸く会えた、手が届く距離にアレクセアがいる。生半可な想いでは無かった。そして、相手もそれを感じ取っているのだろう。

 ーー魔女は素直に目を見開いて驚いていた。


「なぁに? そんな顔をするなんて珍しいじゃない」

「そりゃあ驚きもするわよ。唯の種扱いしていた男が、久しぶりにあったら筋肉むきむきの変態に変わっているのだもの。まるで失恋した気分だわ?」

「貴女は、元々愛なんて知らないじゃ無いの」

「あら? 失礼な事を言うのね。実験動物が完成した瞬間、込み上げる快感を愛と呼ばずして何とするのよ」

「……話すだけ無駄ね」


「そんな事は無いわ。ねぇ、貴方達が使い魔を倒してしまった所為で、雑用を頼める駒が減ってしまたから困ってるの。良ければ貴方が代わりになってくれないかしら?」

 魔女は欠伸をしながら玉座に座り、傲慢な提案をテンカに述べる。


「謹んでお断りするわ」

 SSランク冒険者は優雅なポーズを決めて返礼した。呆れた様相を浮かべながらも、絶炎の魔女は余裕ある態度を崩さない。


「残念ね。じゃあ死になさい」

 座ったままに人差し指を天井へと向けると、直径二メートルを超える巨大な炎球が生み出される。


「フレイム」

 一言呟いた瞬間、初級魔術とは思えない熱量を秘めた炎が放たれた。テンカはガンマレードの刃を真横に向けると、まるでバットを振るうかの様に構える。


「どっせぇぇぇぇぇぇいっ!」

 炎球を弾くと、勢いそのままにアレクセアへ向けて跳ね返した。だが、直撃すると思った瞬間結界魔術シールドに当たり炎は霧散する。


「やるじゃないの〜! 余程鍛え上げたのねぇ。これはこれでいい実験結果と言えるかしら? 嬉しくてキスしたいくらいよ」

 魔女の賛辞を受けたSSランク冒険者は、穏やかな瞳をむけつつも、纏う雰囲気を一変させて言葉を発した。


「僕はね、君を止められなかった事をずっと悔いてきた。だから妻のシーナ、娘のアミ、親友のボズ、女将さんにいつか謝る為にも、今日は絶対に逃げない!」

「うふふっ! その瞳は昔を思い出させるわね〜。変態よりよっぽどいいと思うわよ?」

 テンカの眼光に鋭さが戻る。


「いいえ、今の私はジェンダーの解放者。そして、貴女を殺す復讐者リベンジャーよ。絶対にメルクオーネ様を好きにはさせない!」

 この場に召喚された時から、結界の中でメルクは拳から血が滲む程に壁を打ち付けていた。倒れる仲間達、特にソウシとサーニアに駆け寄りたい衝動から、何とかならないかと必死で頭を働かせる。

 しかし、その悲痛な叫びすら遮断されて届くことは無かった。瞳からは涙を溢れさせ、顔は悔恨に歪んでいる。


「分かっております。絶対に貴女を助けて見せるますので、あまり身体を痛めませぬ様に」

「なぁに? その騎士みたいな口調は〜?」

「私はナイル最後の騎士だと自負している。貴女が娘を放置している間、ここ数年彼女を見守ってきた!」

「あらあら、それは逆にお礼を言いたいわ。私の身体になる娘を守ってくれてありがとうね」


 ーーじゃあ、もう御役御免よ。


 魔女の両手から、先程より質量を込めた紅い炎の渦が巻き起こり、再び放たれた。テンカは待ち構えるのでは無く、自ら炎へと向かう。

 足先で回転しながら巨斧を振り回すと、二対の魔術を真っ二つに斬り裂いた。


 ーーガキィィィィンッ!

 だが、魔女に向かい斧を右薙ぎすると、硬いシールドに弾かれる。ーーその瞬間に初めて理解した。

 魔力の密度が高過ぎて、己では破れないという事実。

(どうしたらいい……)


 一合で刃が欠けた名工の作品ガンマレードを見つめながら、自然と冷や汗が流れる。理由は魔女がこの後とるであろう一手が、容易に想像出来たからだ。


「その顔、本当に私の事ばかり考えて生きて来たのねぇ〜? もう分かっているんでしょう?」

「えぇ、二発で駄目なら四発ってとこじゃ無いの?」

 その答えにアレクセアは多少驚きながらも嬉しいそうに微笑んだ。普通なら三発と答える所を、対峙する元実験動物が四発と言い当てたからだ。

 狙いは背後で倒れている子供達。読まれているのはそこまでだと思っていた。


「貴方を少し見くびっていたようね〜」

「あら? 見くびってくれていた方が良いのだけれど」

 互いに口元を吊り上げて笑い合うと、直後に魔女の周辺に『灰色』の炎球が四発浮かんだ。


「やっぱりここで来たか……『絶炎』」

「これすら読んでいたのでしょう? 私が手加減していたのを知っていて、貴方は敢えて挑発したのだから」

「買い被りよ」

「さぁ、どう防ぐか見せて頂戴?」

 絶炎の魔女アレクセアが両手を振るうと、四発の炎球は二発がテンカへ、残り二発はソウシ、サーニア、アルティナの元へ向かった。


 ーーズガアアアアアアンッ!!


 三発までは巨斧ガンマレードで射線を逸らす事に成功したが、残りの一発は無理だ。元からそれが分かっていたテンカは、ーー賭けに出る。

「頼んだわよ! 巨乳娘!」

「……呼び名が気に食わないけど、分かってるわよ変態! 『メルアイスフォールン』!」

 炎球と氷塊がぶつかり合い、ジュウジュウと音を立てて消失した。この事実に一番驚いたのはアレクセアだ。たかが子供に自らの魔術が相殺されたのだから。


「どういう事⁉︎」

「あははっ! 私はソウシの伴侶にして、世界最高の魔術師になる女! 貴女如きの魔術で敗れるわけ無いでしょうが!」

 アルティナは髪を掻き上げて必死に去勢を張る。相殺は出来ても、それは最上級水魔術を使って一発がギリギリだ。同じ魔術師として、力量の違いは先程からの戦いを傍観し、痛感していた。

 しかし、予期せぬ事にそのブラフが通じてしまう。ーーそれが拙かった。


「私以上の魔術師? 魔導の神に愛された者? そんな存在がいてはならない……」

 玉座から立ち上がったその表情を見た瞬間に、テンカとアルティナは背筋に悪寒が奔り、鳥肌が立った。

 恐怖など生温いと呼べる程の圧倒的な魔圧を放たれて、身が竦んでしまう。


「虎の尾を踏んだわね……」

「拙い、失敗した。ソウシを何とかしないと……」

 アイコンタクトを交わすと、まさかの行動に出る。テンカに代わり、アルティナが魔女アレクセアと敵対したのだ。

 圧倒的な炎魔術を放つ相手に対して、学院最強は最初から全開でメルクラスの魔術を放ち、相殺し続ける。

 隙を見てはシールドの無効化を狙うが、ーー無意味。実力差が覆る事は無い。


 徐々に余裕の笑みを浮かべるアレクセアに対して、アルティナは全身から汗を噴き出しながら辛うじて躱し、逸らすのが精一杯だ。

 ウェーブのかかった金髪は、炎に焼かれてセミロング程の長さまで短くなった。


「あら、可愛くなったじゃない!」

「そう? そろそろ切ろうと思ってたから、ちょうど良いわよババア!」

「シンフレイム!」

「メルアイスフォールン!」

 アルティナが放った巨大な氷塊は、初めて放たれた魔女の上級魔術に瞬時に溶かされ、呑み込まれる。


「拙い! 『シールド』全開!」

 相殺出来なかった炎に身体が包まれ、防御魔術で防ごうとするが、勢いから壁に叩き付けられた。


「な、何で上級魔術がそんな、威力を……」

「私が『絶炎』って呼ばれてる理由を知らないの? 私のスキル『炎を統べし者』は、炎に関しての理論、MP消費、理の再構築まで火魔術なら思いの儘なのよ」

「…………」

「でもそれだけじゃあ、魔術の深淵には辿り着けないの。だからメルクオーネの『合成』が欲しいのよ」

「娘を何だと思ってるのよ!」

 傷付いた魔術師アルティナに対して魔女が発した一言は、その場を凍りつかせた。


「ちょっと思い入れのある、実験動物かしら?」

「ち、くしょう……」

 表情を歪めたまま、アルティナは崩れ落ちて意識を失う。


 稼いでくれた時間は無駄にしないと、テンカはスキル『空界』を発動させ、懸命にソウシの体内の毒を空気と合わせて抜き去るが、アレクセアは容赦無く今にも『絶炎』を放とうとしていた。


 ーー時間が無い。こうなったらこれしか無い!


「ソウシ君、ファーストキスだったらごめんなさいね!」

 三十代のビキニアーマーの髭が素敵なおっさんは、勇者に唇を重ね合わせる。直接口内からスキルを応用し、自らの体内へ毒を移したのだ。


 直後、ソウシの瞼がバッチリと開いた。

「んむうううううううううううううっ!!」

(何⁉︎ 何でこんな事になってるの⁉︎ またかあああああああああ!)

 そのままテンカは顔を蒼褪めさせながら気絶した。ソウシは口元を拭うと、意外にも柔らかかったおっさんの唇の感触に惚けている。


「何で……僕はこんなのばっかり……」

『この馬鹿ご主人! 僕がどれだけ苦労したと思ってるんだよ!』

「えっ? 何かあったの?」

『こらあぁぁっ! 腹を刺されるわ、毒を流し込まれるわ、死にはしなくても『アレ』がまた目覚める寸前だったんだからね! そこのおっさんと、あっちで倒れてる巨乳のねーちゃんに感謝しろ!』

「みんなが倒れてる……もしかして、戦えるの僕だけ?」

『当たり前だろ! ほらあそこで笑ってる年齢詐欺ババアを倒すよ!』


 こちらへ微笑んでいる美女へ、取り敢えず手を振った。すると、ひらひらと優しげに振り返してくれる。

「あの人、悪い人じゃ無いのでは?」

『阿呆! じゃあ彼処の結界に閉じ込められてるクラスメイトを見ろぉ!』

「あっ! メルク発見! おぉーい!」

 メルクは壁を凄い勢いで叩きながら、何かを訴えている様に見えた。ソウシは言葉が聞こえないのは不便だと近寄る。

 アレクセアは余裕の笑みを崩さずに、まるでこの後見せるであろう少年の悔しがる表情が見たくて、その時を待っているのだ。


「メルク! 助けに来たんだよ!」

 少女は口元をパクパクと動かして、涙を流しながら何かを訴えている。ソウシは邪魔だと判断して結界を壊す事にした。


「アポラ!」

 ーーバキィィィィィィィィンッ!

「へっ⁉︎」

「えっ⁉︎」

「んっ?」

 勇者は絶炎の魔女とクラスメイトの間抜けな声と共に、何か拙い事をしたのかと首を傾げる。


『ご主人、来るよ!』

「えっ? ひゃあ!」

「逃げてえぇぇぇえーー!」

 メルクの絶叫が場に響き渡った。ソウシは嬉々として放たれた魔女の一撃を見て身を縮こませ、咄嗟に聖結界を張る。


「せ、セイントフィールド!」

 ーーパァンッ!

「へっ⁉︎」

「えっ⁉︎」

「んっ⁉︎」

 魔女はわなわなと震えながら、徐ろに口を開き問い書けた。


「貴方は一体何なの? 何で今の魔術を防げたの?」

「えっ? 普通に当たると痛そうだから、結界を張っただけだよ」

「…………」

 沈黙が場を支配する。そこへアルフィリアの忠告がなされた。


『ご主人、気付いて無いの? 腹からの出血がやばい。あの巨乳のねーちゃんも頑張ってくれたが、呪いの所為で回復まで至ってないよ』

「腹? そう言えばさっきからなんかお腹がチクチクする様なーーーーって何じゃこりゃあっ!」

 刺された箇所からボタボタと勢い良く出血していた。地面に滴り落ち、血溜まりを作り出す。


「ソウシ! 回復するから待って!…………いえ、やっぱりみんなを連れて逃げて! 私なんかどうなったって構わないんだから!」

「嫌だ! ドーカムと約束したんだ! 絶対、君を連れて帰る!」


「そんな事は望んでいないの……誰にも傷付いて欲しくなかったから逃げたの……私なんかの為にもうやめて! お願い……お願いします!」

「私なんかとか言うな! 絶対に君を連れて帰る! 嫌がろうと、絶対だぁ!」


 その瞬間に決意した。

 ーー戦おう。それでこの泣いているか弱い女の子を守れるのなら。


 ーー僕は、勇者なのだから。

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