第56話 全てを失った者 2

 

 戦争が終わり、王国ナイルに帰還した兵は総数を凡そ半分以下まで減らしていた。その中には親友のボズもおり、再開出来た際には抱き合って涙を流して喜びあった。


「うおおおおおおおおぉ! 生きていてくれて嬉しいぜ、親友!」

「僕もさぁ! ボズこそ無事でーーえっ⁉︎」

「ん? どうしたテンカ?」

「……その手はどうしたの?」

 視線の先には右腕を肘部分から失った親友の姿があった。僕が暗い顔をすると、突然力強く左手で肩を叩かれる。


「俺達は戦争に行ってたんだぜ? これ位の傷で済んで良かったさ。部隊は全滅したからな〜!」

「な、何でそんなに平気そうなんだよ!」

「…………」

「ごめん……」

 表情を見た途端に理解した。平気な訳が無い。必死で強がっているのに、親友であり幼馴染みの僕がその傷口を抉ってしまったんだ。

(馬鹿だ、僕は本当に馬鹿だ……)


「もう気にするなよ。アレクセア様のお陰で生き残れた奇跡に、感謝しなきゃな!」

「そんな訳無い!」

 魔女の名前を聞いた直後、失った右腕をひらひらと回しながら微笑む親友に対して激昂した。自分でも何でこんなに苛立つのか理解に苦しむ。


 ーーでも認める事なんて出来ないさ。あの日、僕だけが真相を聞いてしまったんだから。


 __________


「アレクセア様、万歳!」

「わが国の英雄に敬礼を!」

 兵士達が勝利の美酒に酔う姿を、魔女は台座に座り退屈そうに眺めていた。表面上は笑顔を絶やさずに手を振っている。でも僕には何故か判った。

 ーーあの人、見下してる。

 眼球の奥には、笑顔に隠された闇があると確信出来た。

 そして僕は聞いたんだ。酔ったふりをして自然に近付いた直後に、彼女から発せられた言葉、ーー真意を。


「今回の実験は失敗ね。思ってた程、悪意や憎悪が溜まっていないわ」

「〜〜〜〜⁉︎」

 吐く真似をして口元を抑えてその場を離れ、本当に酒を煽るように飲み続けた。酔っ払わなければならない。演技だとバレた時、小さな僕の命なんか容易に奪われると思ったからだ。


 深夜僕の横たわる場所へ、いびきを掻きながら眠る兵士達の垣根をぬって魔女は歩いて来た。

(やっぱり来た!)

 酒臭い息を吐きながら、懸命に寝たフリをする。そんな僕の頬を撫でて、耳元へ囁かれた一言。


「演技はまだまだだけど、頭の良い子は好きよ? ご褒美に生かしてあげるわ」

 思わず目を見開きそうになったが、懸命に耐えた。この言葉の意味を誤解した僕は、後々後悔する事になる。もっと思慮深く考えれば良かった、と。


 __________


「どうした? そんなに思い詰めた顔をして?」

「な、何でもないよ! そうだ! シーナに会いに行くんだけど、そのついでにパンを奢ってやるよ!」

「……テンカ。別に構わないが、そこはもう少しオブラートに包もうや。隠す気は無くなったのか?」

「ーーーーあっ!」

 自然と漏れ出た言葉から、思わず赤面してしまう。あぁ、安直だった。


「照れるな照れるな! 漸く認めたって事だろ?」

「……うん。僕はシーナが好きだ! 今日会ったら告白しようと思ってる!」

 あまりに恥ずかしくて俯く僕の肩を、親友は力強く叩いてくれた。ボズはいつも僕の背中を押してくれる。肩を叩くのは昔からの癖の様になっていた。


「お前なら平気さ!」

 その快活な笑顔を見ると自信が湧いてくる。そのまま僕達はいつものパン屋へ急いだ。


「あら? 坊やじゃないか! 無事に戦争から戻って来れたんだね? 良かった!」

 でも、パン屋には女将さんしかおらず、シーナの姿は無かったんだ。


「あの……シーナは?」

「…………」

 僕の言葉を聞いた途端に女将さんは黙ってしまった。嫌な汗が背筋を伝う。

(彼女に何かあったのか? 何でボズまでそんな悲痛な表情を浮かべてるんだよ? ーーまさか⁉︎)


「ただいま〜!」

 直後、店の扉が開かれた。何時もと変わらない彼女が、不思議そうに僕を見つめている。

「「あははははははははははははっ!」」

 ーーそして、女将さんとボズの爆笑が店中に響いた。


「へっ⁉︎」

「本当に可愛い坊やだねぇ! 思わず我慢出来なかったよ〜! そっちの子もアイコンタクトはバッチリだったね!」

「当たり前さぁ! テンカをからかう事に関して俺に並ぶ者はいないんだぜ? 女将さんの演技もナイスだった!」

 僕とシーナを置き去りにして、女将さんとボズがハイタッチを交わす。うん、意味が分からない。


「まさか……」

「あははっ……女将さんは悪戯好きなんですけど、何かされました?」

 頬をポリポリと掻きながら呆れた顔を浮かべる彼女シーナを見て、安堵から不意に抱き締めてしまった。


「ひゃっ!」

「「へっ⁉︎」」

「会いたかった……もう会えないかと思ったんだ。そんな時、ずっと君の顔だけが頭に浮かんだ。僕は、初めてあった時から君を愛してる!」

 パン屋が静寂に包まれる。場にいた三人は誰も口を開かずに、僕と同様彼女のリアクションを待ったのだ。


「あぁ〜! まどろっこしい! シーナ! 惚けてないで返事しな!」

 女将さんがぶち壊しやがった。親友が続くのだが、その内容がーー

「シーナ、俺も実はお前の事が好きだったんだ! そんなヒョロ吉じゃなく、俺を選んでくれ!」

 ーーまさかの裏切りだった。だが、僕には分かる。あの顔はフザケつつ事を面白くしているだけだ、と。


「えっ⁉︎ え、あ、あの……へっ⁉︎」

 困惑して、キョロキョロと首を左右に振る彼女の手を握った。


「い、嫌かな?」

「……この前も言ったわ。嫌じゃないって」

「じゃあ、僕の恋人になってくれる? 決して裕福じゃないし、まだまだ弱いけど、君を守れるように強くなりたい」

「え、えぇ。貴方は忘れてるかも知れないけど。昔パンを一緒に食べた時、私は初恋をしたのよ」

「……僕もさ。ずっと君が好きだった、忘れられなかった。忘れられてないってこの前知った時、本当は泣きそうな位に嬉しかったんだ」

「うふふっ! じゃあこれから宜しくね? テンカ君!」

「あぁ! だ、抱き締めて良いかな?」

 浮かれまくっていた瞬間、僕の尻に蹴りが放たれた。首を向けると親友が笑いながら万歳をしている。その横では女将さんが涙を流しながら、拍手をくれた。


「この野郎! 男らしいとこあんじゃねぇか! 最高に格好いいぜ親友!」

「あ’’ぁぁぁぁぁ〜! 良かったねぇシーナぁぁぁぁ〜! 幸せになるんだよぉぉぉ〜!」

 照れ臭くて二人で頭を掻きながら、手を繋いでお礼を述べる。僕はこの時本当に幸せだった。

 親友のボズと、女将さん、大好きなシーナと、その日は浴びるように酒を飲みながら笑い合ったんだ。


 歪な魔女の事など忘れ去る程に。


 _________


『それから二年の月日が流れた』


 僕は騎士隊を辞めて、女将さんの跡をついでパンを作っていた。愛する妻のシーナと、娘のアミ。共に平凡だが幸せに満ちた生活を送っている。

 同じくボズも片手を失った事から、僕との商売を生活の基盤にしていた。主な収入は過去の経験から、腹を空かせた兵士達にターゲットを絞る。

 余り物のパンを安く売る商売だが、これが中々に儲けを出していた。


 捨てるくらいなら、売る。この時代当たり前の事だからだ。しかも価格が安ければ、飛びつく者は多い。それでも余ってしまった食品はシーナと引退した女将さんの提案から、浮浪児に分け与えれている。


 店は、お客様も、そして僕自身も、笑顔の絶えない空間が形成されていた。

(あぁ、幸せだなぁ)

 実家の家族も餓死しなくて済む。僕の作ったパンがみんなにとっても幸せを生むなんて、考えた事も無かった。

 今日も妻と娘、親友と食卓を囲んでいる。ーーだが、その日のボズは少し様子がおかしかった。


「テンカは知らないだろうが、王とアレクセア様の娘が産まれたそうだ……」

「あら、いい事じゃない! 王様なんだから側室を持つのは当然でしょう?」

 シーナが言うように、普通なら民として喜ぶべき事なのだろう。でも、体中から汗が噴き出して止まらない。


「そ、その子の名前は?」

「メルクオーネ様だよ。昔お前から聞いた話を思い出して、嫌な気がしてーー

 ーー「ボズ! それ以上は!」

 親友の言葉を遮って、思わず襟首を掴んで立ち上がった。その瞬間、アミが泣き出してしまう。


「うええええええぇぇぇーー!」

「はっ⁉︎ ごめんよアミ〜! 怖くない、怖くないからね〜!」

「…………」

 抱き抱えた娘を慰めつつ、心配そうに見つめて来るシーナの眼差しを見つめ返した。


「大丈夫、今の僕はただのパン屋さ。戦争になったらみんなで逃げればいい!」

「うふふっ! それもそうね。私達は何処に行ったって暮らしていけるわ」

「あぁ、危なくなったら店を畳んで他国に逃げちまおうぜ! 勿論、女将さんも連れてな!」

 この時、抱いた一抹の不安を拭い去らずに、もっと慎重に考えれば良かったんだ。


 その後も続いた安寧の中に、不安、不審、不稔は忘却の彼方へと投げ出してしまった。


 幸せだ。

 幸せなんだ。

 幸せだ。

 幸せだったんだ。


 ーー全てが焼き尽くされたあの夜までは。


 メルクオーネが十歳になった時、魔女にとって切望の、僕にとって絶望の夜が始まった……

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