第3話 突然現れた姫様とセリビアの裏切り

 

 ソウシは足に怪我を負ったセリビアを背負いながら家に戻る。

 薬草を塗って簡単な治療をするが、高級な回復薬など持っていない為、焦燥感に苛まれていた。


「痛く無い? 大丈夫?」

「ええ、大丈夫よ……少しは痛みが引いたわ」

「そっか……また後で裏庭から薬草とってくるね!」

「心配性ねぇ。数日もすれば歩けるわよ。ソウシこそ大丈夫なの? 怖かったでしょう?」


「うん。凄く怖かったけど……アルフィリアを握っている時は何かに護られているみたいに力が湧いてきてさ。自分でも不思議なくらい怖くなかったんだよ」

「そっか。『聖剣』と『勇者』だものね……」

 セリビアは、何かを思い出すように遠い目を窓外へ向ける。ソウシはその様子に首を傾げるが、キッチンに向かい料理を作り始めた。早く姉が元気になるには、ちゃんと食べなければならないからだ。


「ちょっと待っててね、すぐに美味しいスープを作るよ!」

「ありがとう……ソウシの料理は私仕込みで美味しいに決まってるもの。楽しみにしてるわ」

 細かく切った野菜を炒め、厚切りに切った薫製肉と一緒に煮込み始める。庭で採れたトマトを手で潰して絞り酸味を加えると、塩とミルクで味を調えた。

 その手際はまるで姉に瓜二つ、ーー二人の過ごしてきた時間の長さを表すようだ。


「はい、出来たよ! お姉ちゃん仕込みの我が家のスープ完成!」

 セリビアに肩を貸して椅子に座らせ、二人は一緒に食べ始める。

「本当に私が作った味と一緒だね」

「当たり前だよ。子供の頃からずっと食べてるんだからさ!」

「ええ……とても美味しいわ。ありがとうね」


 夕飯を食べ終わると、怪我の事も考えて今日は早く休む為に姉をベッドへ連れていった。自分も休もうとすると、突然手招きされる。

「どうしたのお姉ちゃん? 痛いの?」

「怪我は痛いけど違うわよ。今日は久しぶりに一緒に寝ましょう? 色々あったから一人じゃ寂しいのよ」

「えぇ〜? それ普通僕が言う台詞じゃ無いかなぁ……二十五歳にもなって言う事じゃーーーーんぶっ!」

 言葉を遮る様に、セリビアが怒りを込めた枕を顔に投擲した。


「はぁ……分かったよぉ〜! この歳で恥ずかしいけどしょうがないなぁ」

「あんた、臆病な癖にそーゆーとこ神経図太いわよね、幽霊とかも平気だし謎だわ〜?」


 その日は二人で久しぶりに抱き合って眠った。口では文句を言いながらも、ソウシは温もりに包まれ微笑んでいる。何気ないこんな時間が一番幸せだったのだ。


 __________


「う、うぅ、ううぅ……」

 翌朝、何か呻き声のような苦しむ声が耳元から聞こえて目を覚ます。一体何だと目を擦って意識を覚ますと、目の前には顔を真っ青にしたお姉ちゃんが大量の汗を流しながら呻き苦しんでいた。

「お、おねぇちゃん‼︎ どうしたの⁉︎」

「わか、らない……朝方から、急に息が苦しくなってきて……」

 おでこに手を当てると、確実に体調に異常をきたしているとわかる程に熱い。

「そんな、一体何が……そうだ、足だ‼︎」

 急ぎ包帯をとると、足は紫色に腫れ上がり傷口が爛れている。


「どうしよう! どうしたらいいのお姉ちゃん⁉︎」

「だいじょう、ぶだから……落ち、つきなさい?」

 真っ青な顔でお姉ちゃんは優しく微笑みかけてくる。でもその表情から明らかに無理していると感じて、裏庭の薬草をとるために外へ駆け出した。


 ーーそこへ


「あらあら、私が挨拶をする前に外へ出てきてくれるなんて、気配でも読まれましたの? さすが勇者ですわねぇ?」

 ドアを開けた瞬間、突然高価な鎧を着て赤いマントを羽織った青髪の少女に話かけられる。周りには五人の屈強な騎士が立っていた。


「だ、誰⁉︎ 悪いけど今は君に構っている時間がないんだ。そこを通して! このままじゃお姉ちゃんが拙いんだ!」

「あら? 何があったか知らないですけどよろしければお話しを聞かせて頂けませんか? 内容次第では力になりますわよ」


 僕は内心疑いながらも、少女に昨夜の出来事を簡単に説明する。

 己にできる事は薬草を煎じることだが、それを昨夜既に行なっていた上でこの状況になっていると痛感していたからだ。

 藁にもすがる想いで少女や騎士たちに助けを求めると、少女は一人の騎士に向かって頷いた。

 一歩前に出た精悍な顔付きをした騎士は、穏やかな口調で語り始める。


「あくまで予想ですが、その仕掛けられていた罠に毒が塗ってあったのでしょう。もともと山賊のアジトに連れて帰る予定だったのなら弱らせておく方が楽ですし、解毒剤も用意してあったのではないでしょうか」


「毒だって⁉︎ だからあんなに足が紫色になってたのか!」

 騎士から説明を聞いて顔から血の気げ引く感覚が襲う。そんな僕に毅然とした態度の少女はある提案をしてきた。


「私達はある目的の為に貴方を迎えに来たのですわ。その提案に従ってくれるならお姉様は助けて差し上げましょう。どう致しますか?」

「そ、そんなやり方ずるいよっ‼︎」

「世界はそんなに優しくできてないのですよ? 貴方は寧ろ、私達が今この場所に、このタイミングで来た事に逆に感謝するべきでは?」


「それはそうかもしれない、けど……」

 俯きながら待ち受ける未来を予想してしまった。この少女の提案を飲めば、今の生活が終わってしまう現実を……お姉ちゃんの命には代えられないと考えながらも、別の打開策がないか必死で知恵を働かせる。


 だが、静かにその様子を見ていた少女は、先程の優しい表情から一変して、見下すような侮蔑の視線を僕に向けて残酷な一言を突きつける。

 それだけに飽き足らず、足のつま先で思いきり脇腹を蹴り飛ばしてきた。


「対価を払わずに何かを手に入れようなど、どれだけ甘い世界でのうのうと生きてきたの⁉︎ 反吐が出る! この屑野郎がぁ‼︎」

「姫様。口調が汚いですよ? はしたないです」

 僕は勢いよく転がされ、姫と呼ばれた少女の怒声に脅えながら落涙する。もはや抗う心は折れかけていた。

「ぜ、絶対にお姉ちゃんを助けてくれる?」


「ふぅ……それは約束してあげます。時間がないのでしょう? 対価については後々話しますわ。それでいいかしら?」

 少女がこちらに向かって歩き出そうとした瞬間、家のドアが開いて足を引き摺った姉が姿を現した。

「ダメ! そんな……知らない人の言う事にした、がっちゃだ、め……」

 お姉ちゃんは必死に声を振り絞った後、ずるずるとドアにもたれながら地面に崩れ落ちる。

 顔色は先程より遥かに蒼白に変化しており、最早命の灯火が消えそうになっている様に周囲には映った。


 ーー嫌だ、嫌だ、嫌だ!


「で、でもどうしたらいいのさ。おねぇちゃんが死んじゃうなんて、絶対に嫌だぁ‼︎」

「いいから早くお決めなさい泣き虫! 手遅れになってもいいんですの⁉︎ さぁ!」


 ___________



 少女とセリビアの言葉にソウシは困惑し、脳内を突きつけられた言葉が錯綜していた。涙と鼻水で視界が歪み、次第に意識も混濁していく。


 ーー『何デ此奴ラハ、僕ヲ虐メルノ?』

 ーー『セリビアオ姉チャンヲ、叔父サンミタイニ殺ス気カ?』


 次第に周囲を包む黒いオーラが少しずつ身体に撒きついて、その姿は変貌を遂げていく。


 元々黒かった短髪は腰まで伸びていき、銀色がメッシュの様に奔る。目の色は右目が黒に、左目が銀に代わっていた。

 周囲の大地が削られ喰われていく。少しでも近づけばどうなるか騎士達は想像するに容易いーー

 ーーセリビアは焦眉の急を告げる事態に力を振り絞り叫んだ。

「だ、だめ‼︎ 『ソレ』はつかっちゃだめぇ‼︎ 誰か早くソウシを止めてぇ! 放っておくと全てが無くなっちゃうのよ!」


「あ、あぁ……な、何が起こっていますの? 何なのあの黒い靄は⁉︎ 誰か止めなさい! め、命令よ‼︎」

 姫と呼ばれた少女は何が起こっているのか理解出来なかったが、生存本能が危急を告げる。

 恐怖が身体を縛り、立っていられない程に身体が震えていた。歯は割れそうな位に音を立てている。


『アレ』は見てはならないモノだと視線を逸らすが、無意識に放たれている威圧から縛られた緊縛感は収まらない。

 ーー側に控えていた騎士は、既に失禁しながら気絶していた。


 そんな最中、先程今の状況を伝えた一層豪華な鎧を着た騎士がセリビアの元に駆け出し、回復魔術をかけ始める。


「まずは貴女を治療致します。その後にこの状況をどうにか出来ますか?」

「え、えぇ。お願い、します……」

「畏まりました。『キュアル』『ヒール』!」

 セリビアの足から毒が抜けていき、身体の異常が回復していく。落ちた体力も一気に回復させ、ふらつきながらも弟の元に全力で駆け出した。


「あぁぁあぁぁああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああぁぁあぁぁあぁっ!」

 ソウシは自分が何をしているか分からないまま、黒い海底へと意識が沈んでいく。そんな真っ黒な世界に向けて、闇を切り裂く光が差しこんだ。

 光の先に見知った温かい手が自分に向けて伸びているのが見えて、ゆっくりとその手を掴むと、急速に意識が覚醒していった。


 伸びた髪が音を立てながら引き、元の姿へ戻った状態で困惑する。記憶が無い訳じゃなく、己の身に一体何が起こったのか理解出来なかったからだ。

「ぼ、僕は……一体何を……」

「いいのよ。ほら、お姉ちゃんもこんなに元気になった! 貴方を苦しめる怖いモノなんて何もないわ?」


 ーーセリビアは号泣しそうになるのを懸命に堪えながら微笑むのだが、涙粒は頬を伝ってしまう。


「泣かないでお姉ちゃん? ーーって僕が言えた台詞じゃないかな? あははっ」

 ソウシは自虐しつつ乾いた笑みを浮かべながら、姉の頬に流れる涙を手で掬う。


 その様子を見ていた姫と呼ばれた少女と、回復をかけてくれた騎士は咳払いをして話かけてきた。

 青髪の少女を何故か内股で、先程とうって変わり大人しい。一体どうしたのかと兄弟は首を傾げる。


「そ、そろそろいいかしら? さっきの現象が一体何なのかはとりあえずおいておくとして、私達は貴方のお姉さんを治療し、命を救いました。なのでその対価を頂きます!」


「まだそんな事言ってるの? それなら弟じゃなくて私が払うわ。命を助けてくれた事には感謝するけど、絶対に認めてたまるもんか! 私達はここでの暮らしが気に入っているのよ。どこにも行きません! ソウシもダメよ! いいわね!」

 セリビアが怒声を張り上げーー

『絶対思うがまま好きにさせてたまるか』

 ーーそう確固たる意志を見せつけるが、それに対してソウシは悩んでいた。


「う~ん。僕もこの生活が無くなるのは嫌だけど、恩は恩だからとりあえず内容だけでも聞いてみない? お姉ちゃんもちょっと落ち着いてね?」

 意外にも、交渉相手が落ち着いている事に少女は驚いていたが、軽く頷くと隣に立つ騎士に顎で合図を送る。一歩前に出た騎士は、二人に向かって優しく穏やかな口調で語りだした。


「まず状況から自己紹介が遅れて申し訳ございません。私はこの領土を治めるマグル王に仕える聖騎士長ガイナスと申します。そしてこちらにおわすお方が『王位継承権第三位』を持つ、マグル王家の長女である『テレス姫』に御座います」


 聖騎士長ガイナスの紹介に胸を張るテレス姫だが、下半身は相変わらず内股のままだ。ーー地面が濡れている。

 姉は俯いて黙り込み、弟は空を見上げーー

(姫が来ちゃったかぁ……拙い、拙いぞ……)

 ーーそう内心焦っていた。取り敢えず礼儀として自己紹介をする。


「はい……よろしくお願いします。僕はソウシ、こちらは姉のセリビアです。それで……そんな偉い方が僕に何を求めてるんですか? 『勇者』系だったらお断りします! 戦い怖い! 断固拒否!」

「いえいえ。神官の話を聞いた所、どうやらソウシ様は村人になりたがる程戦いを望んでいないと聞いております」


「くっそぉ! あのおしゃべり神官め‼︎」

 その間もセリビアは相変わらず俯いたままだ、何を考えているのか周囲にはわからない……


「そこで、私達はまずソウシ様を王国マグルの『魔術学院』に迎え入れ、我々の事を知って貰いながら学んで頂ければと考えたのです。入学金などは一切免除致します。三年で卒業できますし、魔術だけではなく他の知識や、ーーもちろん剣術や体術の授業も御座います」

「…………学院?」


「こちらのテレス姫も学院でトップクラスの教育を受け、今尚結果を出している一人です。宜しければセリビア様の住まいもマグルの城下町にご用意致します。決して悪いお話ではないと思いますよ」

 ガイナスは饒舌に語り終わると優しく微笑んでいる。だが、ソウシは決意していたーー

(そんな知らない人がたくさんいる場所なんて、怖いから絶対行ってたまるか)

 ーー先程の姉の言葉に感動して、難攻不落の鉄壁の意思を保っている。


「確かに悪い話ではないと思いますが……申し訳ございません。僕はここでの生活が気にいっーーーー「よろしくお願い致します騎士様! お姫様あああああああああぁーーっ‼︎」

「……えっ?」

 ソウシの言葉を遮って、突然セリビアが土下座を始める。ーーそれはとても洗練された美しい姿勢だ。


「こんな子を魔術学院に通わせてくださる? そんな素晴らしい事が起こるなんて奇跡です! このセリビア、感激で涙が止まりません‼︎ ありがとうございます‼︎」


「……えっ? ええっ?」

「不出来な弟ですが何卒よろしくお願い致します。私の住まいなんてぼろい家で構いませんから、ソウシを立派な男に育ててくださいぃぃ‼︎」

「ねぇ……さっきのどこにも行かない宣言はどうしたの? お願い……戻ってきてよ」


「黙りなさい。私達王都行く。貴方魔術学院通う。私働く。これ決定」

「何故にカタコトなんだよ⁉︎ 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だあああああああああああああぁぁぁぁぁーーっ‼︎」

「黙りなさい! 我が儘言わないの馬鹿! 憧れの王国暮らしに脱山小屋‼︎ 文句ある⁉︎」

「ありまくりだよ! 朝までの自分に謝れ! 我が家のスープに謝れ‼︎」


 ーーその怒声を聞いた途端、セリビアは聖女の様に穏やかな表情を浮かべた。


「ソウシ……私もここを離れるのは寂しいわ。いい? この家は、私たちの思い出として永遠に記憶に残り続けるのよ……」

「最悪だ……良いこと言ってる様に見えて最悪だよお姉ちゃん! いーーやーーだあああああああああああああぁっ‼︎」

 姉は嫌がる弟の首根っこを摑まえて、家中まで引きずっていく。

「ちょっとお待ちくださいね? 準備致しますので……色々と……」


 ーーガイナスとテレスはその光景を見つめながら、物思いに耽っていた。


「神様は……人材の選択を間違えたのかもね……」

「そんな事を言ってはなりませんよ姫様。少しだけ同意しますが……」


 そんな二人の耳元に響く程、山中には『勇者』の悲鳴だけが木霊しつ続けていた……

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