第6話
電気が消えてがらんとした改札は、外よりも一層暗く、空気が冷え冷えと張り詰めていた。どことなく異質な空気で満ちている。何度も経験して分るようになった。これは、ゆうれいの気配。ただ浮遊するゆうれいではないなにかが、確かにいる。
私は夕月くんとうなずき合った。彼を先頭にして、半分ほどに減ってしまった改札を抜ける。肩に提げたバッグが邪魔なので、予めエネルギー銃を抜いて右手に構える。ばけものはどこにいるのか——。夕月くんが無言で合図して、中央の階段を下りて行った。
栗平寺駅には三本のプラットホームがある。そこに線路が挟み込む形で何本も敷かれているらしい。広々とした駅舎から地上階のホームに下りると、大きな屋根の下は暗闇に沈んで私にはよく見通せなかった。
そんな程度でも、目を凝らして探す必要は無かった。
夕月くんが階段のある真ん中付近の暗がりを避けて、ホームの端の方へ動いた時だった。
駅を満たす不穏な気配が揺らいだ。
まるで周囲を覆う暗闇が寄り集まって形になったかのように、それは傍らの線路上に不確かな姿を浮き上がらせ、あやふやな塊から太い腕のようなものを突き出して、時刻表とゴミ箱の塊を薙ぎ払った。
大きな物体がひしゃげて落ちる、激しい音が静かだった駅に反響する。同時に、ばけものが女の悲鳴とも嘲笑ともとれる引き裂くような甲高い叫びを上げて、徐々に姿をはっきりさせた。
それは、女性の姿をしていた。まるで石像の女神のような、のっぺりとした美貌と灰色の肌、優美な曲線を描く身体は腰から上だけで、そこから下は曖昧にほどけて地面に消える。形の良い口だけが、嘆くように大きく開かれ歪んでいた。
その意思を映さない白い
「ぎゃーー! でたぁーッ!」
そんなお決まりの悲鳴も今ではあまり聞かないのだけれど——。トートバッグの中からくままるさんの叫びが聞こえてきた頃には、もう動いていた。
夕月くんはばけものの出現を見て取ると、速やかに踏み出して、相手の体勢が整う前に懐へ滑り込む。
ばけものの滑らかな脇腹に、強烈な蹴りが叩き込まれた。
「!」
ぼふっ、と蹴られた地点が煙のように広がって、背後に散る。
「うわっ。仮にも女の形をしたモノを、躊躇無く蹴るかぁ?」
戦闘中の夕月くんにそんな意識は一切無い。日常でも最近になってようやく、そうしたことに考えが及ぶようになったくらいだ。しかし私も、そんなくままるさんのぼやきに付き合っていられなかった。
たった今形作られたばかりだったばけものの姿が、攻撃された箇所だけでなく、そこから融けるようにして全身の形を崩していた。始めはこちらを威嚇していたのに、反撃してくる気配も無い。
あまりの手応えの無さに、夕月くんが不可解そうな顔で後ろへ跳び下がって身構える。相手はそもそもゆうれいだから、これくらいで倒せないのは分っている。だけど人を襲うような集合れいにしては、私も結合力が弱過ぎるような気がした。
ゆうれいが完全にけむりに戻って、ふわりと空気に漂う。
掠れた姿が再びはっきりとした形を現して——、
『いったーいッ!』『なにすんの! ひどーい!!』
『女の子にいきなり暴力振るうなんて、サイッテー!』
今度は何人もの若い女の人の姿になった。
身体の一部を溶け合わせた女の人たちは、それぞれが口々に不満を言い合い、一気に騒がしくなる。呆気にとられながらもなんとか聞き取ろうと観察すると、彼女たちは眉を吊り上げて、どうやら攻撃した夕月くんに対して怒っているようだった。
夕月くんが怪訝に眉をひそめて、私の方を窺う。その無言で訴える表情曰く、「続けていいか?」
私は慌てて待ったを掛けた。
「ちょっと待ってちょっと待って」
これはいくらなんでも様子がおかしいと思う。このまま弱らせて回収するのは簡単だけど、それではだめな気がする。まずは状況を整理しないと。
私は銃を持っていない方の手で額を押さえてから、とりあえずくままるさんを振り返った。
「わ、分るわけないじゃん。俺に聞かないでよ」
「……そうだよね。それなら——」
仕方ないので、私は距離を取ったままゆうれいの女の人たちに向き直った。話になるか分らないけれど、直接聞いてみるしかない。片手を大きく振って彼女たちの注意を引く。
「あの、すみませーん。あなたたちはこの駅に住んでるんですよね。それで、近くにやって来た人を襲ったりしてますよね。
このくままるさんもこの辺りでばけものに襲われたそうです。誰かこの人に覚えはないですか?」
くままるさんをゆうれいになってから知ったのなら、〈よりしろ〉を持たない彼女たちは覚えていられないので、心当たりは無いはずだ。
たくさんの女の人が合わさったゆうれいは、話し掛けた私の方へ注目すると文句を引っ込めて、それぞれで話し合っているようだった。そうしてから、中の何人かがこちらに向かって返事をする。
『えー? 誰それ、知らなーい。
襲ってたなんて、大袈裟だよォ。私たちちょっと驚かして、からかってただけだもん。恐がって逃げてく時の顔がおっかしいんだよねェ』
きゃはは、と若い女の人特有の高い声で笑い合う。別々の人物の声が不思議と重なり混ざり合った声で交互に話すので、少し聞き取り難い話し方だった。他の場所ではこちらを気にせずおしゃべりする姿もあるのに、その声は聞こえてこない。
私はくままるさんと顔を見合わせて、首を傾げた。
もう少し詳しく話を聞いてみると、彼女たちは一人で町を彷徨っているのが寂しくなったので、気の合う者同士で集まって一緒にいるらしい。そんな彼女たちは男の人に酷い目に遭わされたことがある人がほとんどのようだけれど、それも二股を掛けられたとか、電車で痴漢にあったとか、それくらいの事で、遊び半分以上に他人を傷つけようとは考えないのだとか。
様々な人が混じり合ってしまっているせいで感情や言葉も飛び飛びになり、時には彼女たちの中で会話をし納得してしまって、少し理解し難いところはあったけれど、それらの証言に嘘は無いように思えた。
彼女たちが集合れいで人を襲っていたのは事実だ。それでも、そこにいたずら以上の悪意は無い。そして、くままるさんを知らないと言う——。
どうしたものか。単純に私の考え違いだったのだろうか。くままるさんに聞いてみても、やはり分らない、知らないという返事があるだけで、私は夕月くんと顔を見合わせてしまった。
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