第4話

 恵理さんはテーブルに手を付いて、身を乗り出すようにする。

「で、どうなのよ、くままる」

「どうって言われても……」

 煮え切らない返事をするくままるさんを、恵理さんが鋭く睨んだ。くままるさんがずっとなにかに怯えているのは、きっとそのばけものに襲われた恐ろしい体験が尾を引いているせいなのだと思う。恵理さんの剣幕に、くままるさんは体を飛び跳ねるように震わせてから、やっと頭を働かせ始めた。

「突然襲われて、わけが分からないうちに逃げ出したから、姿なんてよく見てないよ。

 場所は——えっと……、そうそう! あの駅のトコに繋がってる店! あれは栗平寺駅だよ。よく利用してたから間違いない。そこで襲われたんだ」

 丸く白い頭を抱えて考えていたくままるさんが、ぱっと顔を上げてぽふっと手を叩く。恵理さんが悩ましそうに腕を組んだ。

「栗平寺ってどこだっけ。この辺の停留所バス停じゃないよね。別の町?」

「ううん。旧市街にある廃線の駅。わりとこの町に近いところだよ」

 ちょっと待ってね、と私は鞄からケータイを取り出してテーブルの上に置く。文庫本を広げたくらいの大きさのケータイを操作して地図を表示すると、遠距離から縮小していってその駅を示してみせた。恵理さんとくままるさんが画面をのぞき込む。

「へえ。ひなちゃんごついの使ってるねー」

「仕事で必要だから」

「あ、なるほど」

「——やっぱり。そのばけものって、これじゃないかな」

 続いて今度は危険なゆうれいの目撃・退治要請の情報を呼び出して、その地図に重ねる。最近追加された情報だったので、直ぐに思い当たった。目を通してはいたけれど、緊急性が低かったので後回しにしていた件だ。

「栗平寺駅に出没するばけもので、主に若い男の人やゆうれいが狙われているみたい。まだそんなに被害は大きくないし、情報も少ないから火急の退治要請までは出てないよ。

 ということは、くままるさんを特別に狙ったわけではないのかな。でも、逃げ出したのに追い掛けてきたんだよね」

「そうだよぅ。めっちゃ恐かったんだから。

 あー、ちょっと待って。そう言えばなんだか、名前を呼ばれていたような気もするな。『かずまるさ〜ん。かずまるさ〜ん』て。いろんなうめき声なんかに混じってたからよく聞き取れなかったけど、今考えるとやっぱり呼ばれてたかも。あれはか細ーい女の人の声だったよ、うん」

「……」

「なにそれー、ちょっとこわーい。あはは」

 ぞぞぞ、と背筋を伝う寒気に、私は思わず両手で自分の体を抱えていた。たぶんわざとだと思う。くままるさんがおどろおどろしい声音で真似をするので、考えたくなくても髪を振り乱した女の人の幽霊を想像してしまって、恵理さんは楽しそうに笑っているけれど、私は顔が強張ってしまうのを自覚した。

 それまでいないみたいに身動きをしなかった夕月くんが、目敏く気付いて視線を寄越している。夕月くんに気遣われてしまったのでは立つ瀬が無いので、私は咳払いして気を取り直した。

 大丈夫。今のゆうれいはたとえばけものになって変化へんげしていたとしても、そんな怨念じみたホラー映画みたいなのじゃない。だいじょうぶ。感覚の古いゆうれいがどうしてもそっち方面で考えてしまうのは仕方ないことなので、私が話の方向を修正しないと。

 私は敢えて気を引くように、手の平を肩の高さで掲げてみせた。

「つまり。そのばけものは、くままるさんだと分った上で襲ったんですね。

 ここにある情報からすると、おそらくそれは〈集合れい〉だと思う。その内の一つがくままるさんを知っていたのかもしれない。

 その女の人の声に、心当たりはありますか」

「心当たりか——。死んでまで恨まれる覚えなんて、ないけどなぁ」

 くままるさんが腕と胡座を組んで考え込む。

 意識の混濁した集合れいなどの場合、特別な理由が無くてもただの知り合いがたまたま通り掛かっただけで襲ってくることはある。でも今回の場合は執拗に付け狙う相手を考えてほしいので、確かにくままるさんが言う恨みや憎しみのような負の感情——生きている人間が他人に危害を加えたくなるのと同じような理由が必要だった。

 そうはいっても相手はゆうれいなので、私は少し付け加える。

「ゆうれいは偏った感情や情念に囚われ易い傾向があるから、ちょっとした切っ掛けでもその想いが増幅されて強くなっている場合はあるよ。集合れいは特に。

 それからそういう怖い感情でなくても、相手に強い想い入れがある場合——友達とか家族とか——あ、くままるさんは大学生だったっけ。それなら、彼女さんとか」

「えー……」

 くままるさんは少しだけ私の顔を見ると、ふいっと視線を斜め上の天井の方へずらす。そうしてしばらく微妙な顔で考えると、なにかを振り払うように首を横に振った。

「ない。やっぱない。うん。だって普通に生活してた大学生が、そうそう恨まれないって。平凡なヤツだからさ、俺」

「そっか」

「ウソだ」

 恵理さんが間を置かずに断言する。私はその顔を瞬きして振り返った。じと目で見据える恵理さんに、くままるさんが体を固くする。それは人間なら青くなって冷や汗をかいていそうな表情——雰囲気に見えた。

「普通に平凡に社会生活をしてたのに、誰からも少しも悪く思われて無い人間なんてこの世に存在するはずないでしょ。

 ゆうれいは女の人みたいだから、くままるの友達ってのはないにしてもさ。くままるだし大学生なんだから、そういう付き合いの一つや二つ、あったんじゃないの? なーんか怪しいんだよねー」

 はっきりと疑いの眼差しを向けられて、くままるさんは呻きながら後退る。私は恵理さんに感心してしまった。なるほど、と頷きながら両者の様子を観察していると、くままるさんが黒いもこもこの手を付き出して牽制する。

「いや。いや。待って。違うんだよ。俺としては、ホントに、そんなつもりはなかったというか……! そ、それに、年下の女の子たちに話すような事でもないというか——!」

「今はそんな事を言っている状況ではないので」

「そうそう。それに後ろに年上のお兄さんもいるじゃない」

「ん? おれ?」

 急に話を振られて、夕月くんが瞬きする。「お兄さん」と呼ばれたのが新鮮だったせいかもしれない。しかし恵理さんもちょっと言ってみただけのようで、それ以上は触れずにくままるさんを追究する。くままるさんは到頭観念して、再びかしこまって正座をすると、言い難そうに視線を横へ流しながら話し始めた。

「お、俺さあ……。本当にそんなつもりはなかったんだけど、なんて言うのか、女の子の友達がいっぱいいたんだよ。実際、男友達より多かった。女の子が好きって言うとなんだか語弊があるけど、男と遊ぶより楽しいし話が合うんだよな。

 それで、しょっちゅう気軽に女の子と遊んだり食事に行ってたんだ。もちろん、どの子とも俺は友達として付き合ってたし、それ以上のことをしたつもりもなかったんだけどさ。その……、中には勘違いしちゃう子もけっこういて。『浮気だ』とか『なん股掛けてるの』とかなじられることもしばしばで……」

「「さいてー」」

 私と恵理さんが少し身を引くと、くままるさんはぎょっとして慌てて言った。

「だから違うんだってーッ! 俺は一人も付き合ってるつもりなかったし、手も出してないの! ああ、女子高生に言い訳することじゃないぃぃ!」頭を抱えるくままるさん。生前も悩みの種だったのかもしれない。荷物を脇へ除ける仕草をして続ける。

「とにかく! そんな感じで喧嘩になることもあって、誤解も解けない時はもうしかたないだろ。別れ話? じゃないけど、そういう話をよく駅でしてたのを思い出したんだよ。嫌な話をした後、そのまま電車乗って帰れるから都合良くて」

「それ、もう手慣れた最低男の手口だから」

「うえーん」

「恵理さん、あんまり茶化さないで。

 くままるさん、それだけですか。他にはもうない?」

 確認すると、くままるさんは泣き真似をしていじけながらも、少し動きを止めてからこっくりと丸い頭を頷かせた。

 私もなるほど、と一つうなずく。そのくままるさんに振られてしまった女の人たちのゆうれいなら、ばけものが駅に出て若い男の人を中心に襲っているのも納得できる。そうだとすると、最悪の場合その集合れい全てがその女の人たちのゆうれい、ということも考えられる。

「つまり、今後もくままるさんが狙われて、攻撃される可能性は充分あるってことですね。

 それならやっぱり、先にそのばけものをどうにかした方がいい。申し訳ないけど、ぬいぐるみをどうするかは、それからでも遅くないと思うんだ」

「うーん。そうよね。それがいいかも。

 ——て、ひなちゃん、なにしてるの?」

 結論が出たので私がケータイを手に取って操作していると、恵理さんがその手元を覗き込んできた。私は操作を続けたまま、ちょっと首を傾げる。

「うん。そうと決まれば、まだ時間はあるし、早い方がいいと思って。

 この件に対しての駆除予定の情報を上げているところ。こうやって、他のチームと標的が重ならないように、うちのチームの印を付けるんだよ。報奨金が高い対象の場合は、競争になることもあるけどね」

「ふうん、そういうシステムなんだー。

 ——て、ちょっと待ってよ。ひなちゃんたちが退治しに行くの?! これから!?」

 なんで驚かれているのかよく分らなくて、私は瞬きして恵理さんの顔を眺めてしまった。

「う、うん。もちろん。

 あ、依頼料とかなら気にしなくていいからね。ゆうれいを再利用リサイクル業者に渡せば量に応じてお金が貰えるし、このばけものならたぶん報奨金も出るから——」

「そうじゃなくって」思い切り呆れられた後、恵理さんは心配そうな顔になった。「ひなちゃんにそっち方面の知識が豊富なのは分ったけど、本当に大丈夫? なんかすっごく不安なんだけど。そんなコワそうなばけもの駆除できるの?」

「あれ? 言わなかったっけ。うちの専門はこういう一般の相談じゃなくて、どちらかと言うと旧市街で危険なゆうれいを退治することなんだよ」

「聞いたけどさー。ひなちゃんか弱そうだし、実際に戦うのってあっちのお兄さんなんでしょ。心配だなー」

 どうやら実力のほどを疑問視されているらしい。確かに私はまだまだ未熟だし、普段の夕月くんは少し頼りなくも見えるけれど——。

 私は話題に上ってこちらに視線を寄越した夕月くんと顔を見合わせてから、恵理さんに納得してもらえるように力強くうなずいてみせた。

「大丈夫だよ。なにしろ夕月くんは地区最強って言われているくらいだから。

 それに、町中で危険なゆうれいが出没して手に負えない時なんかは、警察から渋々の助力要請が来ることもあるし」

「しぶしぶ……」

「あ、それは力が足りないからじゃないよ。

 夕月くんは——ちょっと本気で得体が知れないからで……」

「ふーん。なんだか分ったような分らないような。この地区でってのが、ちょっと微妙ね」

「……」

 もっと言うと、「この地区」というのはつまり「この市」ということで、さらに言えばこの辺りの県をまとめても、最強と言われて過言にならないと思う。でもこれ以上言うとなんだか逆に嘘くさくなってしまうので黙っておく。

 私はケータイを鞄にしまって立ち上がり、その話を終わらせた。

「ともかくその点については心配しないで。

 それと、このパンダさん借りて行くね」

 そう言うと、恵理さんの顔色が変わった。「え、なんで?」と、少し慌てた様子でパンダさんと私の顔を見比べる。

「ここに置いておくのは危ないから。それに、一応現場に来てもらって確認もしたいし、その方がばけものが出て来やすいかと思って」

「えー! ヤダよ、俺! またあんな化物に会うの! 絶対行きたくない!」

 と、悲鳴を上げたのはくままるさん。私はちらりと視線を向けただけで、それを取り合おうとは思わない。恵理さんもくままるさんの様子を気にせずに、明るかった表情を曇らせてパンダのぬいぐるみを見る。

「え……。あの、このパンダ、ほんとに本当に大切なぬいぐるみで……。ゆうれいもばけものも困るんだけど、その、だから……」

「うん、わかってる」私はきっぱりと言い切って、それまでとまるで違った様子で不安がる恵理さんを真っ直ぐ見詰めた。「絶対、このパンダさんが壊れたり傷ついたりしないようにする。私がちゃんと責任もって無事に持ち替える。約束する。とっても大事なものなんだもんね」

 こんな時代だから、こういう『もの』に特別な思い入れがあるのは当然で、私も実感として、理解できる。物質も、人も、ずいぶん減ってしまったから——。

 恵理さんはもう一度私とパンダさんの顔を見比べて、そっと両手で拾い上げた。「うわっ」ぎゅっと抱き締めて「むぎゅぅ」、その顔をじっと見詰めてから、小さく頷いて顔を上げる。

「——それなら、いいよ。ひなちゃんに預ける。

 そもそも先に頼んだの、私だしね。よろしくお願いします」

「うん。任せて」

 差し出されたパンダさんを丁寧に受け取って、私も力強くうなずき返した。

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