無形の幸せ

白黒音夢

第1話




 幸せについて考えるとき、僕らは幸せを何らかの形にして示したいと思ってしまう。

 例えばそれはお金であったり。例えばそれは大切な人であったり。

 もちろん、それらも正解だ。正答なんて人によってバラバラだから、唯一無二の答えなんて存在しないのかもしれない。

 でも、ただ、僕はこう思うのだ。

 きっと、幸せとは目に見えるものではないと。



 ゆらり、と桜の花弁が落ちてきた。

 ついと見上げれば、満開の桜の木が立ち並んでいるのが見えた。

 三寒四温を繰り返していたけど、この二週間ほどでようやく気温が落ち着いてきた。肌に凍みない程度の、柔らかさを感じる風が心地良い。

 頭上を舞う薄紅色の花弁がはらはらとたゆたっている。風情を感じて、思わず顔をほころばせた。

「それじゃあ行ってくる」

 僕がそう言うや否や、すかさず二人とも僕に告げてきた。

「焼き鳥三本とたこ焼き!」

 ビール缶を片手に妻である萌香もえかがそう言い。

「たこやきー!」

 作ってきたちらし寿司を頬張りながら娘が――望未のぞみが叫んだ。

 望未はまだ四歳なのだ。いままでずうっとちらし寿司を食べてたのに、六個入りのたこ焼きを食べきれるわけがない。でも、望未は僕や萌香が食べているのとおんなじものを食べたいのだ。可愛い娘だ。

「分かったよ。行ってくる」

 そう答えて、座っていたレジャーシートから腰を上げた。

 屋台まで歩いてる途中、少し強めの風が吹き付けてきた。途端に足元の彩りが変化する。砂利の上に敷き詰められていた花びらが、ぶわっと動いた。グレーとピンクが混ざっては流れていく。

 綺麗だな、と思いながら僕はまた歩き出した。

 ここは静岡県伊豆の国市にある狩野川さくら公園だ。公園とは名が付いているけど、一般的な遊具があるわけではない。ブランコもなければ砂場もない。ただただ河川敷が広がっているだけの場所だ。

「モモのタレ味を五本ください」

 屋台の店主に向かってそう言うと、「はいよ!」と威勢の良い声が返ってきた。焼かれている鶏肉からジュウジュウと音が鳴り、タレが焦げたような匂いが漂ってくる。

 僕の腹の虫も小さく鳴った。

 焼き上がるのを待っている間、話をしてみる。

「今年も凄い人の数ですねえ」

「そうだなあ。まあそりゃあ、なんて言ったってこの桜の数だからな――」

 しみじみと言う店主に僕も頷く。

 そうなのだ。

 さくら公園は狩野川に沿うようにして約百本もの桜の木が立ち並んでいる。距離で言うとなんと450メートルほどの長さにも渡って桜道が続いているのだ。数字で表すとよく分からないけど、実際に眺めてみると感動すら覚えるほどに壮大だ。

 そんなわけで、ここは県下有数の花見の名所として花見客で賑わっていた。

 普段は人気の無い物静かな場所なのにな。

 そう思って苦笑する僕の目に、たくさんの人々が映る。

 景観の良い場所にレジャーシートを敷いている家族達。腕を組みながら歩いている恋人達。遊歩道から河川敷までを駆け回っている子供達。

 皆一様に笑顔を浮かべて目を輝かせている。

 苦笑していた僕の口の端が緩んで、はっきりとした笑みへと変わっていく。

 もし幸せに形があるのなら、僕の目が捉えている景色が、風景が、人達が、幸せなのだろう。なんでもないようにみえるすべてが――日常こそが、幸せなのだろう。

 春風に吹かれながら、なんとなく僕はそう思った。

 そして僕も、僕ら家族もまたその幸せの一部なのだ。何が欠けたって、誰が欠けたって、完成しない幸せのピース。

 焼き鳥を左手に持ち、たこ焼きを右手に持ち、僕は家族の元まで帰って行く。

 戻ってくる僕に気付いて、萌香と望未が揃って手を振ってきた。満面の笑みを浮かべている二人に僕も手を振ろうしたけど、両手は食べ物で塞がっている。

 んん、と一瞬悩んで、それから僕も満面の笑みを浮かべた。とりあえず、この両手で掴んでいるものを置いたら二人の手を取ろう。そうして笑顔を浮かべよう。

 話をして、桜を見て、食事をして、そして笑おう。

 幸せは、そんなふうにして出来上がるのだから。

「ただいま!」

 少しずつ小走りになっていくのが、自分でも分かった。



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