6
穏便に事を済ませて欲しいという神への願いに、別の願いが追加されたのは少し前のこと。それからはただひたすらクリスが早く戻るよう念じるか、神に祈るかだった。
やっとクリスが戻ってくると、自分をここに監禁しようとしているということは一旦頭の隅にやり、美夜は必死の形相でクリスの顔を仰ぎ見た。
「クリスっ! この屋敷から出ないと誓うから、今すぐこの手と足の
「嫌です。そんなこと言って、絶対に逃げるでしょう?」
「逃げないっ! 絶対!」
それからどうにかこうにか言い包め、目的の場所をクリスから聞きだす。そして、自由になった手と足を動かし、美夜は部屋を駆けだしていった。
――数分後。
(神様、
目的の場所から部屋へと戻る間、美夜は宙を見上げ、心穏やかにそう心の中で呟く。
二つのうち一つしか叶えられていないが、彼女の今の気持ちとしては、一つ叶っただけでもありがたやである。それに、昔から言うではないか。二兎追う者はなんとやら。どちらか叶っただけでも良しとしなければ……ひとまずは。
部屋へ入り、クリスに手をひかれるまま、ミヤはソファーに腰を下ろした。
「あのねぇ、クリス。人間には尊厳ってものがあってね、決して手足を縛られて放置されていい生物ではないの。分かった?」
「はい」
「分かればいいのよ、分かれば」
「ですが、やはり心配なので、足だけでも」
「ちょい待ち。どこら辺が分かって返事したのか、言ってごらんなさい」
じとりと目を細めて見せる美夜に、クリスは僅かに首を傾げる。どこから持ってきたのか、手に持っている新しい縄を見下ろし、魔法を使って一瞬で消し去った。そして、いささか不満げな表情で美夜の方を見てくる。これでいいのだろうと言わんばかりだ。
その不満げな様子に、言い聞かせなければならないことが山ほどありそうだが、とりあえず再び縛られるようなことは回避できた。
「それで、師匠はなんて?」
「……」
「クリス? ちゃんと伝えてくれたのよね?」
「……」
「クリス?」
「……伝えました」
「そう。ありがとう。それで? なんて?」
「……」
「……クリス。教えてくれないのなら、ここを出て直接話をしに行かなきゃ」
美夜は身体を屈め、あらぬ方を見てだんまりを決め込むクリスの顔を覗き込んだ。
クリスはそんな美夜をちらりと見て、再び顔を逸らす。言いたくないことがある時、彼はいつもこうする。普段、顔を覗き込んでくるのはむしろ彼の方なのに、これでは逆だ。
しかし、美夜とてこの仕草には慣れている。じっと見続けた。じっと、ずっと。
やがて、根負けしたクリスが渋々口を開いた。
「……ベーコンとオニオンのスープと、パエリアが食べたいそうです」
「は?」
「だから、ベーコンと」
「いや、それ、メニュー? もしかして、もしかしなくても、ご飯のリクエスト?」
クリスはコクリと頷く。
これには美夜も頭を抱えた。というより、ほとほと呆れ返らされた。
(やっとの思いで伝言したってのに、戻ってきた返事がご飯のリクエスト!? ある意味普段通りで冷静さを保っててくれて嬉しいけど、なんか手放しにも喜べないこの気持ちのやりどころ!)
確かに穏便にと頼んだ手前、あれこれ文句を並べ立てることはできない。
だが、下手をすれば国をあげての一大事になるかもしれない問題の伝言の返事が食事のリクエスト。
いよいよ本格的に、彼の頭の中の辞書に‟弟子”という文言がどのように載っているのか、一度確認してみる必要がある。‟
後者は弟子である以上ある程度は仕方ないかと思えなくもないが、決してこういう状況で食事のリクエストをされるような弟子はいないはず。それだけは断言できる。
そんなに食べたいのなら王宮の料理人達に言えばいいと、美夜が怒りの炎を静かに燃やしていると。
「……ミヤ」
「ん?」
クリスがようやく美夜の方を向いた。
「彼に言われたんです」
「……なにを?」
途端に、美夜は嫌な予感に見舞われる。そして、こういう時、悲しいかな、よく当たるのが彼女の嫌な予感である。ごくりと唾を飲み込み、そう尋ねた。
クリスは美夜の手をとる。実に真剣な表情で、美夜としては心配しかない。
そして、案の定。
「あんな奴に言われなくとも、二人とも幸せになるために頑張りますね」
「出たっ! あの人お得意の一言余計なやつ! しかも、食事のリクエストより、そっちの方が絶対大事なやつでしょう!? で? 何て? 何て言われたの!?」
美夜は彼の両肩に手をやり、がくがくと揺さぶった。
この際、リクエスト云々は頭から消し去ったっていい。食事のメニューなんて、多少変わったところで食べてさえいれば人間死にはしないからどうってことはない。
しかし、今度はクリスも断固として口を割ろうとしない。先程同様じっと見る作戦もあえなく失敗に終わった。つまり、今度は美夜が折れる番だった。
(誰か、お願いだから、
もう手遅れであると分かってはいる。彼のアレは不治の病も同じこと。
だが、そう願わずにはいられなかった。
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