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◆ ◆ ◆ ◆



 ふかふかのソファーに埋もれるようなクッション。


 そこに美夜をそっと下ろしたクリスは、少し待っているように告げると、どこかへ行ってしまったようだ。一度だけドアの開閉音が聞こえてきた。



(……師匠。やらかしてしまいました)



 アランに対して並々ならぬ敵対心を見せるクリスに聞こえてはいけないと、美夜は心の中で彼に土下座した。



 さすがにこのまま監禁エンドは避けたい。


 なによりの大前提として、自分は元の世界に帰りたい。ここ、大事。すごく大事。

 なにやらクリスの中ではもう一緒にずっと住むことが決定みたいになっているようだが、美夜には元の世界に帰って薬剤師になるという夢がある。


 前回とて危うかったというのに、クリスがさらにめきめきと力をつけている今、こんなところで捕まれば、それこそ帰れなくなる。今度は本気で。


 それになにより、彼には婚約者も既にいる。

 相手が誰であれ婚約破棄などさせられないし、恨みを買って確執が生まれるというのも避けたい。

 仮に小説や漫画でよく見るようになった、婚約破棄?よし来た!と思ってしまえるような子であっても、こちらはやはり受け入れ難い。


 考えれば考えるほど問題だらけ。


 時が来るまで、城下町でゆっくり……とはあの師匠の元にいる以上できないだろうが、それなりに忙しくしつつやっていくのが一番だというのに。



 そうしているうちに、クリスが戻ってきた。



「お待たせしてすみません。あぁ、目隠しくらいは外して差し上げましょう」



 そう言って、ゆっくりと外された目隠し。


 そのままクリスは手を滑らせ、美夜の肩を両腕で抱きしめた。まるで宝物を抱えるように丁寧に、それでいて狂おしいまでに力強く。



「はぁ。ミヤの匂い。……ずっと、ずっとこの時を待っていましたよ」

「んーっ。んん、んんんん(ねー。これ、はずして)」

「……大丈夫。貴女の言いたいことは分かります。なら、外さなくても問題ないでしょう?」

「んーんんん!(大有りよ!)」



 なぜ分かるという疑問はこの際横に置いておく。


 それからしばらく押し問答が続き、ようやくクリスが折れた。ただし、自分と二人の時だけという条件付きで。



「あのねぇ、クリス。……そうだ。まずはとりあえず、あの場から助けてくれてありがとう」

「どういたしまして。あれ以上あのような場に貴女がいるのが耐えられなかっただけなので」

「でもね、クリス。それで同じことしちゃ本末転倒ってことなのよ」

「ほんまつてんとう?」

「そこ、分からないフリするんじゃありません」



 ぴしゃりと美夜に言い返されても、クリスは笑みを浮かべたままでいる。心底この状況が楽しくて、また嬉しくて仕方ないという様子。


 王妃と謎の男の密談をアランに教えなければならないというのに、これではさらに後手に回ってしまう。


 それだけは避けねばと、美夜は体を捻ってクリスの腕を払い除けた。



「師匠に大至急伝えなきゃいけないことがあるの。これを解いて、王宮に戻して」

「……なら、私が代わりに伝えます。それならいいでしょう? 貴女はここにいて」

「だからね、クリス。いい? 拉致監禁は犯罪です。いくら貴方が次期宰相となる者であっても、犯罪は犯罪なの」

「そうですね。ですが、合意の上ならば問題ないはずです」

「合意? 合意なんて」

「いいえ。貴女はしてくださいました」

「いつ!?」

「昔、まだ私が幼かった時、貴女がおっしゃったのです。元の世界に帰るまでずっと一緒にいてあげる、と」



 酷く懐かしそうに口元を綻ばせて話すクリスに、目を固く瞑って天井を見上げる美夜。その様子は両極端である。


 確かにその記憶がある美夜はなんとか気を取り直し、再びクリスへ目を向けた。



「はい、ストップ。私は元の世界に帰るまで・・・・・・・・・と言ってるでしょう? 一度帰ったのだから、その話はその時点でもう無効よ」

「いいえ。この世界に貴女がいて、元の世界に帰るという状況がある以上、この約束はまた続きます。……いいのですよ? 元の世界には帰らないと決めることで、この約束を反故ほごにしていただいても。その代わり、その時はその時で、また新たに囲い込む手段を講じるだけですから」

「……貴方、本当にお父様そっくりになったわね」

「それほどでも」



 なまじっか政治の場で一線張っているだけあって、クリスもアランに負けず口達者だ。


 ぐぅの音もでない話に、美夜は悔し紛れに彼の父を持ち出す。それすら笑顔で一蹴されたのだから、なおさら年上として立つ瀬がなかった。



「さぁ、ミヤ。あの男に伝えなければならない話とはなんです? 貴女の望みは叶えられることなら何でも叶えてあげますよ」

「……絶対に、一言一句違わずに伝えてちょうだいね?」

「もちろんです」

「それと、この事は他言無用よ。向こうから何もない限り、立場を利用して干渉しては駄目」

「はい」

「……それじゃあ」



 美夜はひとまずアランに伝えることを優先した。


 クリスに王宮で王妃に会ったことから続けて話をすると、承りましたと頭を下げ、再び転移陣を展開して姿を消した。



 クリスがいなくなって、美夜は改めて周囲を見渡してみる。


 家具から小物に至るまで、病的なまでに白一色。それ以外の色といえば、美夜自身しかない。

 このまま本当にここにずっと居続けるとなると、いつか精神崩壊してしまいそうだ。


 できることなら、クリスの後を追ってアランに助けに来てもらいたいものだが、そう事が上手くいくかどうか。


 そもそも、言伝を頼んだはいいが、あの二人の会話が終始穏やかというか普通というか、ごく一般的な通常の流れで終わるかどうか。



(……この世界の神様、今度教会に寄付をしに参りますから、どうかどうか穏便に事を済ませられますように!)



 今は手を合わせられないから、代わりに何もない空間に向かって何度もお辞儀をしておく。


 手や足のかせが肌を擦る部分には、どうやらクリスが枷のあとがつかないよう保護魔術をかけてくれているようだ。擦れて痛いという感じはない。


 それならばいっそのこと、外しておいて欲しかったと思うのは美夜の我儘わがままだろうか。いや、そうではないはずだ。だが、その疑問に答えてくれる人もいない。



 それから再びクリスが戻ってくるまで、美夜はどれくらい経ったか分からない時間を悶々もんもんとしつつ過ごすことになった。


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