7
日を跨ぎ、とうとう訪れたルイーチェルの日。
ラッピングも手紙の準備も済み、後は渡すだけ。
しかし、当の本人はというと、普段の淑女然としているマーガレットからはいささかかけ離れた姿で美夜の隣に腰掛けている。
「ミヤ。ど、どうしましょう。私、緊張してしまって、身体がザワザワして落ち着かないの!」
「大丈夫ですよ。ちょっとこちらへ」
美夜はマーガレットの手を取って立ち上がり、庭の方を見下ろせる窓辺に手を引いて行った。
先に外に目を走らせると、庭の至る所ではこの時期特有のとある光景が見られている。
(よしよし。いい感じに盛り上がってるじゃない)
「いいですか? ルイーチェルの日は贈り物を渡す方もですが、貰う方も同じくらい緊張しているものですよ」
「そういうものなの?」
「えぇ。……あちらをご覧ください」
「え?」
マーガレットは素直に美夜の指差す方へ顔を向けた。
けれど、どうしても聴き過ごせない声がこの部屋の外、真下の庭から聞こえてきてしまった。二人分の視線は自ずと指差す方ではなくそちらへ向けられた。
「いいですか? もう一度言いますよ? 今日ばかりは仕方ありません。共同戦線を張りましょう。ただし! いいですね? 今日だけです!」
「分かってるってば。ミヤが作ったのを他の奴らの方がたくさん食べられるなんてズルい。断固阻止」
「えぇ、ルイーチェルの日に男に贈り物を渡すなんて勘違いする輩が出てこないとも限りません。それを黙って許すなんて愚かな真似、私は絶対に犯しません!」
美夜達がいる窓のすぐ真下でそんな話をしているものだから、どんなに小声で話していようと聞こえてくるその二人分の声。
そちらを見ずとも分かる身近な人物達のソレに、美夜は頭を抱えた。
「……アレは例が悪いので無視の方向で。ほら、話を戻して、あちらをご覧ください」
美夜は真下にいるアレクとクリスと美夜の方を交互に見てどうしたものかと首を傾げるマーガレットの肩をそっと抱き、くるりと方向転換させた。
幸いにもいくら厳格な王宮内とはいえ、今日ばかりは皆も浮き足立つらしい。異世界版バレンタインデーだというのはあながち間違いではない。
「あ、あの、これ」
「えっ? 俺に!?」
「なんだよ、お前。興味ないとか言ってたくせして。まぁ、俺はちっとも羨ましくない……わけあるかコノヤロー!」
「うわっ!」
「もらえる。もらえない。もらえる。もらえない。もらえる。……いやだぁー!」
二人組の騎士に駆け寄る女官らしき姿、それと庭の隅で花の花弁を引き千切っては絶叫する姿。
さすがに絶叫男には美夜も、おそらくマーガレットも引いている。その証拠に、若干前のめりだったマーガレットの身体がジリジリと後退していた。
本当に今だけなんだよね?と若干心配になるけれど、他国のことなのだからあまり口に出すのはやめておこう。
「ゴホン。このように、皆が緊張するのです。なので、マーガレット様だけではありませんから大丈夫です。それに、たぶん……あ、いえ。なんでもありません」
(たぶん、フランシス様の方がヤバいことになってそうだというのは彼の名誉のためにも黙っておこう)
出来た次男であるフランシスはマーガレットが好きすぎて己が敬愛する兄にでさえも直談判するくらいなのだ。初恋と言っていたし、余計にだろう。
緊張で体調が悪くなってないといいが、彼に至っては緊張するなという方が酷な話だ。マーガレットが美夜を引き込んで何やら準備を進めているという話を侍女や近衛から聞き及んでもいるだろう。
「そうね。日頃の感謝の意味もこめて贈り物をするだけだもの。これに深い意味はない、と思えばいけそう……な気がしなくもないわ」
「……せめてその後半は絶対にフランシス様にお伝えしない方が良いと思いますよ」
美夜の立ち位置ではこうやってお互いのためを思って助言するのが精一杯だ。けれど、美夜は二人のことをとても好ましく思っているので出来うる限りの手助けはするつもりである。
「……行ってくるわ」
「はい」
意を決したマーガレットの表情は固い。けれど、綺麗で美しかった。
マーガレットは美夜がいる方とは反対方向を向いたかと思えば、もう一度振り向いて美夜の手を取った。
「……あの、はじめに失礼な態度取ってしまって、本当にごめんなさい」
「まだそんなこと気にされてたんですか? あれは仕方ないことでしたし、ふふっ。フランシス様のことが本当にお好きなんだなぁってよくよく知れましたから」
「そ、れは……。んもう、意地悪ね」
「今頃お気づきですか? さ、早くしないとフランシス様の執務が始まってしまいます」
「えぇ、そうね。じゃあ、ミヤ、ごきげんよう!」
「ごきげんよう」
手を小さく振って小走りで駆けていくマーガレットに、美夜は軽く頭を下げて見送った。
「……で?」
「ちょ、師匠。顎、邪魔です」
建物の影からマーガレットとフランシスが向き合う姿を覗き見ている美夜。その上で顎を美夜の頭に乗せるようにして同じく顔を覗かせるのはどこからかせしめた菓子を手に現れたアランである。そして、その後ろにはもちろんクリスも立っている。
当然ひっつきすぎの二人をクリスが許すはずもなく、アランの首根っこをひっ掴んだクリスの手によって美夜の頭はアランによって圧をかけられることから守られた。
「なんでこんな不審者みたいなことやってるの?」
「だって、気になるじゃないですか」
世間一般ではこれを出歯亀という。
二人に全く気づかれていないというわけではなく、こちら側を向いている形になるフランシスはとっくの昔に気づいている。
けれど、それをあえて口に出さないのはマーガレットに気づかせてこの場をふいにしたくないからだろう。その気持ちが分かるからこそ、こちらも黙って密かに隠れて見守っているのだ。
「フランシス様、あの……これを……」
「え? 僕に?」
「ミヤの国に伝わるもので、ダイフクと言うのだそうですの。ミヤに作り方を教えてもらって、私が作りました」
「えっ!? メグが!?」
「はい。あの、召し上がってくださいますか?」
「もちろん! どこか東屋に、あぁ、でも執務が……」
辺りを見渡し、少し離れた位置に控えている侍従の姿を見つけ、フランシスはその端正な顔を歪めた。
マーガレットも今すぐ一緒にというのは無理だと分かっている。だから渡すだけで満足なのだと苦笑した。
「師匠」
「ん?」
「フランシス様のお仕事、今日だけでも代われませんか?」
「え?」
「余った材料で後で何か作りますから。せっかくいい
「ニクジャガとライス」
「は?」
(って、もういないし。こんな時だけ行動早いんだから。お菓子作りの材料に肉があると思うてか。……まぁ、今回ばかりはリクエストに答えましょう)
食べたいメニューを言い捨ておいて、自分はとっととフランシスの侍従の元へと歩み寄っている。誰もが苦手意識を持っているアレクが自ら自分の方へ来たために侍従もジリジリと奇妙な顔をして後退り。結局はアレクの魔術によって引っ張られていった。
それをフランシスとマーガレットはしばし呆然と見つめた後、二人で顔を見合わせて笑いあった。
「じゃあ、あそこの東屋に行こうか」
「はい!」
フランシスにエスコートされ、少し離れた所にある東屋に向かうマーガレットの顔はまるで少女のような心からの純粋な笑みを浮かべていた。
「よし」
「ミヤ、もういいんですか?」
「うん。これ以上は馬に蹴られてしまうもの」
「え?」
ことわざを知らないクリスは首を傾げた。
美夜は膝についた砂を軽く払い、フランシス達とは逆、建物の入り口の方へ足を向けた。
「クリス。今からマックス達にもお菓子を送るから、転移させる魔法陣、出してくれる?」
「私の分もありますか?」
「えぇ。クリスは大学芋で、マックスはどら焼きよ。他の皆にはクッキーを焼いておいたの」
小さい頃、今よりもだいぶ偏食家だった二人に美夜が作って食べさせたもの。二人の口にはあったらしく、それからは二人の好物となった。
それを聞いたクリスは昔を懐かしむように遠くを僅かの間見つめ、美夜に視線を戻した。
「とても楽しみです。……とても」
もう美夜は建物の中に入っていて聞こえないだろう。
その声は嬉しさと共に、一種の切なさも上乗せされていた。
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