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◆◇◆◇



 マーガレットは真剣な表情で手の平の上のものを転がしていた。


 ルイーチェルの日をとうとう明日に控え、お菓子を泣いても笑っても今日中に作り終えなければならない。



「マーガレット様、そう、そうです。力はそんなに込めずに……その調子です」

「わ、分かってるわ。……ど、どうかしら?」

「バッチリです」



 美夜がくまなく形をチェックして頷くと、マーガレットはパッと朱を散らしたように頬を染めた。


 ここに至るまでにいくつか、では足りないほどたくさんやらかしてきたマーガレット。そしてその後始末を一手に引き受けてきた美夜。この二人の喜びようは同じようで大きく差があった。主に美夜側の、安堵という面において。



「後はラッピングですね。これは私も得意ではないので、手先が器用なメイドさんにしていただきましょう」

「え。でも、これも私が」

「大丈夫! マーガレット様にはまだやらねばならないことがあるでしょう?」



 出来上がったばかりの菓子が載った皿をマーガレットの手が届かない位置までグイグイと押し、美夜は用意しておいたレターセットをマーガレットの前に置いた。


 それを見て、マーガレットはうっと声を漏らした。



「マーガレット様に足りないのは言葉です。ご自分で考えられて行動なさることは素晴らしいことですが、それも程度が大事なのです。大変失礼かと思いますが、マーガレット様とフランシス様の間には圧倒的に会話が足りていません」

「会話なら……しているわ」

「どのくらいの頻度ですか?」

「週に……一度か二度」

「……それ、私がいた世界の恋人達なら遠距離恋愛中なんですかというくらいの頻度ですよ」



 下手すると、遠距離恋愛中の恋人達の方が言葉を交わし合っているのではないか。


 それでも会話不足なのはマーガレット本人も自覚があるらしく、恐る恐るといった感じではあるが、用意された羽根ペンを取った。



「でも、なんて書いたらいいのかしら?」

「普段お手紙を交換される時はどんなことを書かれているんです?」

「えっと……フランシス殿下が国外に外遊された時のその国の情勢とか、視察先の様子とか、かしら」

「……他には?」

「ほ、他? えっと、あ! たまに近く行われる催し物へのお誘いもいただくわ!」

「……マーガレット様、本っ当に失礼なことを聞きますが、よろしいでしょうか?」

「えぇ。なぁに?」

「マーガレット様とフランシス殿下。お二人は婚約者同士なのですよね?」

「え。……えぇ」



 美夜の言葉にポッと頬を染めるマーガレット。


 両頬を手で押さえつつ軽く俯いているせいで、生温かい目で見る美夜の視線に全く気づいていない。



(それは一体、どこの文官が書いた報告書という名の手紙なんですか)



 お互いにお互いの好意に気づいていない本人達が書いたのには間違いないだろうけれど、ここまでこじれているといっそ清々しくなれ……るわけがない。


 見ているこちらはもどかしくてたまらない。たまらなさ過ぎて、さっさと二人をくっつけることがこちらの使命なのではないかという気分にしかならない。まぁ、押しも押されぬ婚約者なのだから、こちらがどうこうせずともなるようにしかならないのだけれど。そのくっつくまでの期間が短ければこちらの精神的負担は減る。



「マーガレット様。よろしいですか? ルイーチェルの日は相手に普段思っている自分の気持ちを伝えるには絶好の日です。これを機会に、フランシス殿下ともっとより親密におなりください」

「え、えぇ。でも」

「今日から明日が終わるまではでももだっても無しです。さ、これのことは今は忘れて」



 ズイズイッと便箋をマーガレットの方に押し出すと、美夜は自分の分の菓子を準備し始めた。


 ルィーチェルの日とは、異世界版バレンタインデーである。かといって、お菓子会社の社運をかけた一大イベント化している現代のソレとは違い、いつもお世話になっている相手に対しても送られる。


 お世話になった王宮の人達へクッキーでも焼いておこうと準備は進めてあった。なにせ大勢いる人数分一度に大量に作れるお菓子。しかも、仕事の合間でも簡単に摘まめるのだからこれ以上お礼に適したお菓子はない。


 さすがにマーガレットが贈ろうとしているフランシスには贈れないけれど、彼にとっては最高の一日になるに違いないから許してもらえるだろう。


 問題は、だ。


 美夜がマーガレットのお菓子作りの見本にと作ったものを食さんと虎視眈々と狙っている肉食獣。もといアランである。今は大人しく少し離れたところに用意された席に座り、侍女に出された菓子を頬張っているが、これからも大人しく待っている保証なぞどこにもない。


 そしてその横には若干疲労の色が見えるクリストファーの姿もある。こちらはこちらで美夜の動きをずっと目で追っている。



「美味しそうだね」

「あれは全部私が貰うものです。貴方はそこらへんの菓子でも満足できるでしょう? 貴方には、いえ、誰であろうと一欠片たりとも寄越さない」

「ちょっと。そこの二人。師匠、これはマーガレット様の手本用で誰かにあげる用じゃないのでダメです。それから、クリス。これは王宮に私が滞在させてもらっているお礼で皆さんに配るものだから、一人占めしちゃダメ」

「えー」

「そんなっ! ずるいっ!」



(二人して……子供じゃないんだから)



 クリストファーはいつもなら同じ席につくのも嫌だとばかりにアランのことを毛嫌いしているというのに、いったいどういう心境の変化があったのか。言葉こそ交わさないが、同じテーブルについている。



(……でもまぁ)



 形は違えど大切に想うのはマーガレット達と同じ。


 だからこそ、今頃一人政務に励んでいるであろうマクシミリアンの分も含めて、三人の大きな子供達にもこっそり別のお菓子を用意しているのは絶対に明日まで内緒のこと。




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