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 アランことアレクシスは顔には出さないが、酷く困りはて、そして同じくらい憤りを覚えていた。



 ミヤは少々自分を軽視しすぎてやしないか。師匠と呼ばれてもなお、ミヤの言うことすること全てまるで街でお節介焼きと有名な老婆のようである。別に師匠として慕って欲しいなどとは思っていないし、そのことを盾に何かを強要した覚えもない。あまり。


 今日も今日とてルイ―チェルの日に向けた試作品をマーガレットと作っているという。ちなみに出入り禁止にされた。解せぬ。



「お前が隣国で薬師をしているとは知らなかった。何故便りを寄越さない」

「それは本当に必要でしたか?」

「当たり前だ。お前はこの国の第一王子で」

「とっくの昔に廃嫡されたものと思っていました」



 考えている合間にも父である国王が話しかけてくるせいで思考がぶつ切りになってしまう。だが、アランはそれでもきちんと答えるくらいの律儀さは持ち合わせていた。


 第一、アレとて元を正せばミヤが酔っ払い、絡んできた時に唇が当たってしまった単なる事故だ。そもそも自分では気づいていないようだが、ミヤは酔うとキス魔と化す。これ幸いと魔力を流し込むのに利用させてもらっただけだというに。


 横で何やらごちゃごちゃと言ってくる者がいるが、そんなものはまるっと無視して懐に手を伸ばした。


 鎖で服に留める式の懐中時計を取り出し、時間を見てみる。



「陛下になんて態度ですの!? やはりあの女の息子なだけはありますわ!」



 針はこの場に着かされてまだいくらも経っていなかった。この時計、壊れているのかもしれない。あまり物に執着しないタチではあるものの、この時計は使い勝手がいいから存外気に入っていたというのに。本当についてない。



「フランシスを見習って少しは行儀というものを覚えたらどうなの? これだから侍女の子は」



 そう言えば、読みかけの論文はどこに行ったんだろう? アレを最後に読んだのはこの国を出るほんの少し前だったか。アレだけが心残りだったと言える。アレを書いたのは確か先代魔術師長だったはずだ。彼に直接読ませてもらえるよう頼めば貸してくれるだろうか。



「ちょっと! さっきから聞いてますの!?」

「耳には入っています」

「わたくしは聞いているのかと聞いていますの!」

「聞いているのかとおっしゃられたことは聞きました」

「……馬鹿にしてっ!」



 振り上げられた手には贅を尽くした宝石が散りばめられた扇子が握られている。

 それが自分の頬を打つ前にアランは動いた。



「ご心配なさらずとも、僕は早晩ミヤを連れてこの国を去ります。今は彼女が余計なことに首を突っ込んでしまってすぐにとはいきませんが」

「べ、別に何も心配することなどありませんわ!」



 先程からアランに食ってかかる女性、アランの義母であり、フランシスの実母であるこの国の王妃は魔術で動きを止められた手を下ろさせるよう金切声でアランに要求した。


 素直にそれに応じたアランを憎々し気に睨みつける王妃に対して、実父である国王は難しい顔をして黙り込んでいる。気の弱いこの国王は烈女と名高い王妃にどうしても尻込みしてしまうのだ。今とて最初に話していたのは国王であったはずなのに、いつの間にか王妃主導のものになっている。

 しかし、それをアランが気にした風は一切ない。もっと言うならこれだけ言われている王妃に対してすらそれはない。



「陛下」

「入れ」



 部屋の外から男の声がかけられた。聞き知った近衛武官のものだったので、国王もすぐに入室の許可を出した。

 失礼いたしますと声をかけて入ってきた男はフランシス付きの武官だった。昔は居住スペースだった棟からほとんど出なかったアランも何度か見た覚えがある。



「アレクシス殿下。お耳を少し拝借してもよろしいでしょうか」

「あぁ。……なんだって? それはすぐに行かなくては」



 アランは急に席を立ちあがった。そのままスタスタと部屋を横切り、部屋の入り口のドアまで大股で向かった。ドアを開ける前に振り返り、アランは頭を下げた。



「父上、東の森に少々厄介なモノが現れたようなので、確認して参ります」

「あ、あぁ。よろしく頼む」

「はい。失礼いたします」



 アランは目を白黒とさせる武官の男の腕を引き、ドアを自ら開けてそのままその場を後にした。



「ア、アレクシス殿下。私はまだ何も」

「東の森の転移陣にクリストファーが現れたんだろう?」

「ど、どうしてそれを」

「アレの魔力は膨大過ぎて隠そうと思っても隠せるものじゃない。それに、今日はフランシスが東の森近くの町に視察に行っているはずだ。父上じゃなく、僕に伝令であるお前を寄越したってことは、絶対に公式訪問じゃない上に僕の知り合いだからだろう」

「……お見事です」

「それに正直助かった。あれ以上あの金切声を聞いていると耳がおかしくなる。あんな声を出しておいて、本人も喉を傷めたりしないんだろうか。父上も長いことよく聞いておられる。フランシスもよくあの女の庇護下で健やかに育ったものだ」



 それに関して近衛武官の立場でどうこう言えることではないので、武官の男は押し黙った。誰かに聞かれてしまえば即刻不敬罪となりかねないことを思っている自覚は武官の男も自分の主人の母親に対して持っていた。


 ミヤはアランのことを口から駄々洩れの思考回路と表するが、実際のところ、昔に比べればそれは随分と鳴りをひそめていた。昔ならば本人目の前にして言いのけている。だが今では離れた場所で男を相手に言うだけだ。


 アランは武官の男の顔と名前と主人と職務くらいしか知らないが、男の方はアランをよく知っていた。あまり良くない意味で。だからこそ、この進歩は目覚ましいものに感じた。少なくともあのアランが下手な口論は避けるということを学んだのだ。男は主人であるフランシスが零していた“兄上はミヤ嬢と出会って変わられた”という言葉を信じないわけにはいかなくなった。



「なにをボサッとしてるんだい? 武官ならもっときびきび歩くべきだろう? それとも、その足は同じ速度でしか動かせないのか?」


 

 嫌味や皮肉で言っているようでは全くなく、むしろだからこそタチが悪い口がここで発揮された。


 武官の男はアランに対していささか上方修正していた見方を再度下方修正することを検討した。



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