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「第一王子、アレクシス殿下のおなりでございます!」



 案内してくれた侍従が舞踏会が行われている会場である大広間の扉を開けると、入口の脇に立っていた男が広間中に響き渡る大声でアランの名を呼んだ。


 それまで至る所で話に夢中だった多くの人が一斉にこちらへ視線を向けてきた。

 女性の招待客の中には持っている扇で口元を隠し、隣にいる友人同士囁き合っている者もいる。



(下は向かない。胸を張って、深呼吸)



 今日はフランシスにとって人生のうちかなり重要な日になるのは間違いない。その一日を、この時間を無駄にするなんてことはできない。


 美夜は歩を進めるごとに己に言い聞かせた。



「兄上」



 それまでホールよりも一段高い場所に設けられた椅子に座っていたフランシスが階下まで降りてきた。


 さっと招待客達が左右に分かれ、アランと美夜がいる位置まで一本の道が作られた。フランシスにとってその光景も見慣れたもの。その道を通って美夜達の元まで軽やかな足取りでやってきた。



「さすがに来てくれないんじゃないかと思っていました」

「……」

「……師匠?」



 声をかけられているのに無言のままのアランに、美夜は口元を隠して囁いた。



「なに?」

「いや、なにって……フランシス様が声をかけてきたんだから、何か返さないと」

「でも、それは言われてないから」

「はい?」

「僕が君から言われたのは、挨拶と紹介だけだろう? 無駄話をすることじゃない」

「本人目の前にして無駄言うな。……分かりました。じゃあ、仕切り直して挨拶してください」

「はいはい」



 この時、美夜は少しばかり油断していた。

 若干思うところがある返事をしたものの、計画通りに進みそうな流れにほんの少しばかり気を持って行かれたのだ。



「わざわざお招きありがとう。君が危篤とかいう知らせのおかげでまんまとお人好しがひっかかって……」

「ストップ! そこまで!」



 腕を引き、美夜はアランのいう挨拶を何とか途中でやめさせることに成功した。


 怪訝そうに見下ろしてくるアランに、美夜はこめかみの部分をそっと押さえた。


 決して彼の頭や性格が悪いわけではない、むしろ頭に関しては良すぎるくらいだ。悪いのは空気を読むスキルと思ったことをだだ漏れにさせる口で。


 事前に挨拶といえど確認しておくべきだったと美夜は一人、静かに、そして大いに反省した。



「あ、その、兄上。メグも会いたがっていたので、少しよろしいでしょうか」

「……」



 またもや無言を通そうとしたアランの腕を美夜は周りから見えないように少しつねった。



「好きにすればいいだろう?」

「では、メグは……こちらです」



 フランシスが目をつけていた場所に彼女がいなかったのか、あちらこちらを見渡し、なんとか見つけることができたようだ。


 皆が三人の方を見ているのに、一人、それはもう頑なに壁の方を向いているご令嬢がそうらしい。


 三人はその背を目指してホールの中を突っ切った。



「メグ」

「……」



 流石に声をかけたのが王太子であるフランシスだから無視するのはまずいと思ったのか、メグと呼ばれたご令嬢が振り返った。


 瞳の色に合わせたのか、青いドレスに黒糸で薔薇の刺繍が施してあり、シルク製らしき布が何枚も折り重ねられている。

 金に輝く髪は緩く丁寧に巻かれ、貴族令嬢、それも王太子妃候補に相応しい装いだ。



「ご機嫌よう、フランシス様。お久し振りでございます、アレクシス様。それと……」

「僕の人生のパートナーのミヤだよ」

「……ミヤ、さま」

「初めまして。ミヤと申します」

「こちらこそ、初めまして。私の名はマーガレット・デュア・サングリッドですわ。以後、お見知りおきを」



 メグ――マーガレットは美夜を舐めるように下から上まで目を走らせた。


 美夜にとって、こういう視線は今までもよく受けたものだ。特に王宮での行事では付き物といっても過言ではなかった。


 ひとしきりそれを続け、やがて満足したのかマーガレットは美夜の手をとった。



「マーガレットさま?」

「私、あなたと女の子同士二人っきりでお話がしてみたいわ。フランシス様、アレクシス様、構いませんか?」

「え? あ、うん……彼女がいいなら」

「私は別に大丈夫ですよ」

「アレクシス様、ほんの少しでいいんですの。彼女を連れて行ってもよろしいですか?」

「了承をとるのは彼女であって、僕じゃない」

「そうですわね。それなら、決まり、ですね。じゃあ、あちらのテラスでお話しましょう? それではお二人とも、また後で」

「アレクシス様、私が戻るまでフランシス様と一緒にいてくださいね?」



 マーガレットに手を引っ張られながらも、美夜は振り向いてアランに念を押した。


 こうでも言っておかなければ自分の役目はすでに終わったとばかりに部屋に戻ろうとするだろう。現に美夜が振り返った時、彼の踵はすでに出入り口の方へ向いていた。



「……あら?」



 テラスがある窓には鍵がかかっていた。

 丁度傍にきた給仕係の男にテラスへの扉を開けてもらおうとマーガレットが声をかけた。



「テラスへ行きたいの。開けてくださる?」

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」



 服のポケットから鍵を取り出し、給仕の男がテラスへの扉を開けると、外は部屋の明かりと月明りの両方に照らされていた。後ろを振り返れば喧騒が、前を向けば綺麗に整えられた庭園が。同じ空間にあってどちらも味わうことができるテラスは親密な会話をするにはもってこいの場だ。


 マーガレットと美夜は二人っきりでテラスへと足を動かした。


 その後ろ姿をじっと見守る影がカーテン越しに窓に映っていたが、美夜が気付くことはなかった。



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