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 マクシミリアンが早急に用立てた手段で、美夜が無事に王宮から抜け出せた後。


 マクシミリアンは同じ王宮内にある自室に戻っていた。


 あの部屋にいつまでもいると、クリストファーの例の定期的な引きこもりに遭遇そうぐうしてしまう。

 シラを切るのが苦手な自覚があるマクシミリアンにとって、それだけはなんとしてでもけなければいけなかった。


 クリストファーが引き起こしたあの部屋にまつわるこの国の裏歴史は、まだまだ記憶に新しい。


 というのも、美夜がこの世界を去って二年と少し経ったある日、王宮にぞく侵入しんにゅうした。

 そしてあろうことか、衛兵に見つかり、すぐそばにあったあの部屋に入り立てこもるというおろかな真似をしたのだ。

 結果、あの部屋が凄惨せいさんな殺人現場にこそならなかったものの、その男達の末路はこの先もきっと語り継がれるだろう。この国創建以来の即日処刑の日と共に。


 国民達は王宮に侵入し国王を暗殺しようとしたからだという王室の発表理由で納得しているが、クリストファーのことをよく知る者、侵入者達を尋問した者達はみな口をそろえて言う。


「あれはまさしく私怨しえんのみによる暴走だった」と。


 実際、賊の目的は国王暗殺なんて大それたものではなかった。多少腕っぷしと頭が使えたこそ泥達が、高価な金品をいくつか失敬しようとしただけ。

 それこそ王族を殺害した者にのみ適用される即日処刑が妥当だとうな罪ではない。

 それをいつの間にか国王の暗殺という大逆に罪をすり替えたのは、他ならぬクリストファーだった。


 部屋に入っただけでそうなのだ。ミヤをこの世界に再び呼び出し、あまつさえ抱きついて話したなど知った日には、幼馴染おさななじみだからというつながりなど、無きものにされるにちがいない。



「マックス、いいですか?」

「あ、あぁ。構わな……って君、入るの早いよ」



 ノック音がしたかと思えば、返事を言い終える前に件の青年──クリストファーが入ってきた。


 小さい頃よりもスッと切れ長になった瞳や母親ゆずりのサラサラとした髪はつやを帯びた黒曜のように美しい輝きを放っている。まるで魔性とも言える顔の造りに吸い寄せられ、言い寄る令嬢達も少なくはない。

 けれど、彼が彼女達に想いを返すことなどついぞないことはあまりにも有名な話である。


 まるで氷の彫像ちょうぞうのようなクリストファーだが、入って来るやいなや、部屋の中をぐるりと見渡した。


 その様子を見て、マクシミリアンは気付かれないようにゴクリと生唾なまつばを飲んだ。


 美夜が出て行ってからそう時間は経っていない。



(もしかして、もう?)



 別に彼が部屋にやってくるのはおかしくない。


 彼の父親である宰相が今は亡き彼の母親の命日が近づくと出仕を拒否するので、その時期と最近はそうでない時期も代わりに宰相補佐として職務を一手に引き受けている。

 美夜のことさえからまなければこの上ない右腕だし、実際数々の窮地きゅうちを助けてくれることもあった。彼には側近中の側近として生涯しょうがい仕えて欲しいものだと、少なくともマクシミリアンは思っている。美夜のことさえ絡まなければ。


 しかし、いかんせんタイミングが悪かった。これでは警戒けいかいするなという方が難しいだろう。


 しかも、クリストファーはいつもよりも足早にマクシミリアンが座る机の傍まで歩いてきた。

 それから立ち上がろうとするマクシミリアンの肩をそっと押えて椅子に座らせ、クンクンとまるで番犬のごとく何かのにおいを察知しようとするかのように鼻を動かした。



「……ははっ! ミヤの匂いがします!」

「えっ!?」



 クリストファーの表情がにわかに歓喜に満ちたものに変わった。普段はどんなことがあろうとも表情を一切変えない彼がである。

 もっとも、昔はそうでもなかったが、それは美夜がいたから。彼の行動原点はいつ何時も美夜にあるのだ。


 マクシミリアンは思わず服のそでを鼻にあて、匂いをいだ。



(ミヤの匂い、抱きついた時に移っちゃったのかな!?)



 そして自分で嗅げるところまで嗅いでしまって、はたと気づいた。クリストファーが自分を酷く冷たい視線で見下ろしていることに。


 さっと手を降ろし、クリストファーが来るまで目を通していた国内の交通整備の書類にペンを走らせる。


 心なしか手がふるえている気がするが、ここで気付かれては絶対にいけないと、マクシミリアンはつとめて平静を装った。



「ミ、ミヤは元の世界に帰ったじゃないか。彼女の匂いなんてするわけないだろう?」

「では、何故お疑いにならず、嗅ぎまわったのです?」

「そ、それは……ぼ、僕だって、ミヤの……なんでもない」



 絶対零度れいどとはこの視線のことを言うのだろう。もし、マクシミリアンが王太子という自分よりも高い身分であること、自分と幼馴染みであることを彼が考慮に入れなかったら、即刺殺せんばかりの殺気すら込められているような気がする。



「マクシミリアン。幼馴染みのよしみで聞いてあげます」



 ギリギリと強まる肩の締め付けに、クリストファーの本気具合がうかがえる。



「ミヤは、どこですか?」


(……あぁ、ミヤ。ごめんよ)



 マクシミリアンは届かないと知りつつも心の内でそっと彼女に謝った。



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