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 美夜は遠い目をして、初めてこの国に来た日に思いをはせた。



 □■□



 その日、美夜は高校の制服に身を包み、朝の課外授業に向かうべく早めに家を出た。


 今日の課外は英語だ。しかも単語の小テストがある。

 寝る前に必死で頭に叩き込んだ単語が抜けていかないよう、小走りでいつも通る道の角を曲がった。



(……)



 後ろを振り返らず、少しバック。

 目の中に飛び込んできたありえないモノをどうにかして消し去ろうと頭を振った。


 よし、と決意を新たに、再び角を曲がってみる。


 するとそこには、やはりというか、通い続けて見慣れた校門──ではなく、洋画や絵画で見たことのある王宮の壮麗そうれいな門がその存在感を誇示こじしていた。極め付けに、門の手前にはキリッと凛々りりしい表情をくずさず直立不動で立っている衛兵が二人。門の向こうには門以上にはなやかな白亜の宮殿がそびえ立っている。



(……あ、あはっ。徹夜てつやしたわけでもないのに、幻覚だなんて。……疲れてるんだな、きっと)



 美夜は回れ右で元来た道を戻ろうとした。

 きっとまだ夢の中で、本物の自分はまだベッドの中で安らかな睡眠すいみんむさぼっているのに違いない。違いないはずだ。ぜひともそうあって欲しい。


 しかし、現実はあくまでも非情だった。


 美夜が求めていた道の姿はなく。



「おい、娘。そこで何をしている」

「あー……暴力反対」



 丁度巡視じゅんし帰りの警邏けいら兵と思しき男達に剣先を向けられ、美夜はてのひらを男達に向けて両手を上げた。



 ■□■



「ニッポン? 聞いたことない名前だな。うそをつくならもっと上手い嘘をつけ」

「嘘? 嘘をついて私が得をすることでも?」

「貴様には間諜かんちょう容疑等諸々の容疑がかけられている」

「はぁ? かんちょー? なにそれ」

「得ならば、我々を嘘の証言であざむいて逃げ切ろうという、立派なものがあるだろうが」

「ちょ、ちょっと待って」



 王宮のすぐ側で捕らえられた美夜は、王都にある牢獄ろうごくに収容された。警邏兵の中でも強面こわもての男が牢の向こう側から尋問じんもんしてくる。罪状は間諜、つまりスパイ容疑ときた。


 確かに、王宮の近くで不審行為を取っていたことは否定しないし、美夜とてかべに手を当てて他人の家をうかがやからがいれば警察に通報する。


 だがしかし、ここではその容疑が命の危機に直結しそうなことぐらい考えずとも分かる。身の潔白を知らしめることは重要事項にして、最優先課題だった。



「大体、いくらなんでも話が一方的過ぎるでしょ!」

だまれ! このどこの者とも知れぬ密偵ネズミの分際で!」

「だから違うって何度も言ってるじゃない! この石頭!」

「なんだとっ!?」



 サッと顔を赤らめた男は美夜の制服のえりを力強くつかんだ。だが、強面だろうとなんだろうと、美夜の眼は決して男かららされない。

 今まで自分がにらみつけてひるまなかった女子供がいなかった男は、内心狼狽うろたえた。それでも、なけなしの男のプライドというやつが立派に働き、なんとか睨み続けることに成功している。


 美夜と男のさわがしい怒鳴どなり合いが聞こえたのか、他所よそから別の兵士達も様子を見に集まってきた。

 この牢獄一の強面男に立派に渡り合っている美夜を見て、ヒューっと口笛を鳴らした男は、美夜と対峙たいじしている男にギッと睨まれた。



「これは一体何の騒ぎですか?」

「さ、宰相さいしょう閣下かっか!?」



 数人のともを連れた、ゆるかなウェーブがかかった栗色くりいろの髪を持つ気品ただよう男が兵士達の背後から現れた。

 宰相閣下と呼ばれた男が一歩歩くごとにザッと兵士達が道をあけていく。宰相が美夜と男の前に立った時、人集ひとだかりはまるでモーセの海割りのように左右に分かれていた。


 美夜の制服の襟を掴んでいた男もぼうっとその様子を見ていたが、目の前に立つのが宰相であることを思い出し、あわてて手を下ろして頭を下げた。



「罪人にしてはやけに威勢いせいのいいおじょうさんですね。この方の罪状は?」

「間諜容疑でありますっ!」

「間諜……なるほど」

「だーかーらー違うって言ってるでしょ! この鳥頭!」

「と、とりっ……っ!」



 美夜の口の悪さに手を出してやりたいが、高貴な人物の前でそれをするのはいささかまずい。

 男は苦虫をみに噛み、嚙み潰し、言いたいことの一つや二つ、断腸の思いで飲み込んだ。



「間諜容疑とは穏やかじゃありませんね。……さぁ、私の目を見てください」

「……綺麗きれいひとみですね。……って近い近い近い」



 宰相は美夜のほおを両手で挟み、ジッと目を合わさせた。美夜が宰相の瞳の美しさをめると、思っていたのと違うのか、モノクルの向こうにある瞳をパチパチとまばたきさせ、ググッと最大限顔を近づけてきた。


 美夜と宰相が見つめ合うこと数十秒。さすがにイケメンの直視にえきれなくなった美夜が白旗を上げた。



「……あの、なんですか?」



 宰相の行動の意図が全く分からず、ただたずねたに過ぎないが、宰相にとってはきちんと意味ある行動だったようだ。


 目を見開き、先程まで美夜と言い争っていた男に向かって言い放った。



「このお嬢さんをここから出しなさい」と。



 □■□



 宰相に連れてこられたのはコレクターからすれば垂涎すいぜんものの調度品に囲まれた部屋。王宮のとある一室であった。


 スパイ容疑で捕らえられ、牢に入れられたかと思えば、今度は王宮の一室へ。めまぐるしく変わる周囲の状況に、美夜は半ばたましいを飛ばしていた。


 宰相は牢獄番の男から調書らしきものを受け取っており、馬車の中でもそれを熱心に読みふけっていた。その間、美夜に一切の説明もなくである。


 放っておかれてのこの状況。魂飛ばすのも無理からぬことであった。


 お茶とお菓子を用意され、ここで待つように言い、宰相が部屋を出てから十分ほど。

 監視要員なのか、壁際かべぎわに立つ兵士とお菓子などを用意してくれた侍女じじょが一人ずつ。


 ものすごく気まずい雰囲気が部屋に流れ、美夜は身じろぎしたり、お菓子を食べたりしてなんとかその空気を乱そうとした。



「……」


(もう……本当、家に帰りたい)



 美夜は沈黙ちんもくは平気な方であった。

 しかし、これからはその考えを改めることにすると心にちかった。沈黙はにぎやかだったり、会話をすることもあって初めていいものだと思えるのだ。


 それからさらに十分後。

 宰相が一人の青年を伴って戻ってきた。



「ほら、この子がそうだよ!」

「レイ、落ち着いて。分かったから。……初めまして。僕はウィリアム。ここの主だよ」

「それってつまり……こっ……っ!?」



 連れてこられたのが王宮という時点でこれから会うことになるかもしれない人物に気付くべきであった。


 日本の王族とも言うべき皇族にさえ正月の一般参賀などでしかお目にかからない美夜が一番先に出会う王族が異世界の国王になるとは、まさに青天の霹靂へきれきである。


 同時に何だかよく分からない警鐘けいしょうの音までガンガンビービーと頭の中で鳴り響きだした。

 女のかんとでもいうのだろうソレは時と場合によってはとんでもなく良い働きをしてくれる。

 ……ココに辿たどり着くまでには発動してはくれなかったけれど。



「実は……君を異世界・ニホンから来た子だと信じてお願いがあるんだ」



 悲壮ひそう感あふれる様子で懇願こんがんしてくる国王—─ウィリアムの背後にひかえるように立つ宰相。


 嫌な予感しかしないとはこのことだ。



「きょ、拒否権は「ないよ」

「レイモンドっ!」



 宰相――レイモンドに食い気味に返され、美夜の口元はひきつった。

 ウィリアムが宰相のことを愛称ではなく、ファーストネームで呼びとがめたが、当のレイモンドはどこ吹く風。



「ごめんね。でも、君が元いた世界にはすぐは帰れないし、その間の衣食住は僕が責任もって取り計らうよ。どうかな? 悪い話じゃないと思うんだけど……」

「……すぐには帰れない?」



 美夜はウィリアムの口から出てきた一言に呆然ぼうぜんとして鸚鵡おうむ返しでつぶやいた。


 スパイ容疑で処刑だと言われることの次に聞きたくない言葉だった。



「うん、残念だけど……あっ、でも、帰った前例がないわけじゃないんだ! ただ、時間がかかるだけで……」

「どのくらいですか?」

「……えっと……」

「どのくらいなんですか!?」



 ウィリアムに詰め寄る美夜に、壁際に立っていた兵士がけ寄ってこようとしてウィリアムに手で制された。


 ウィリアムが言いにくそうにしているのを見かねたのか、それとも単に空気を読まなかったのか、レイモンドはあっさりと答えを口にした。



「ざっと十年以上でしょうか」

「じゅ……十、年? ……十年っ!?」



 一瞬聞き間違いかとも思ったが、ウィリアムがそっとうなずいたことによってそれが真実だと美夜は思い知らされた。


 今の美夜の年が十七。単純計算で二十七。それも最低年数で。元に戻る頃には高校の卒業式どころか成人式も終わっているし、立派にアラサーの仲間入りを果たしている。

 目指している薬剤師とて大学で六年。それ以前に一発で大学も国家試験も受かるか分からない。



(……冗談じゃない)



 どうしてこうなってしまったのだろうか。いつもと変わらず高校へ向かっていただけなのに。


 美夜の瞳にまなじりから涙がこぼれ落ちそうになった時



「ちちうえ。おきゃくさま?」



 部屋の入口のドアからひょっこりと顔を出したのは可愛らしい小さなお客人達だった。



「マックス、ダメじゃないか。勝手に部屋を抜け出しては」

「ご、ごめんなさい」

「そこにいないで早く入ってきなさい。……あぁ、お前達は下がっていいよ。ご苦労様」



 子供達が駆け寄ってきて、美夜を見上げてくる。


 いつの間にか身を強張こわばらせていた兵士と侍女はスッとお辞儀じぎをし、子供達と入れ違いに出て行った。



「紹介するよ。この子が僕の息子でマクシミリアン。それでこっちの子が……ほら、自分で言いなよ」

「……私の息子でクリストファーです」



 さすがに今泣くのはまずいと美夜は涙をぬぐった。


 マクシミリアンの方が少し年上で、クリストファーの手を握ったまま離さない。


 一方のクリストファーはというと、自分の父親だというのに、名を呼ばれた瞬間ビクリと肩をふるわせていた。


 どう考えてもおびえているとしか思えない反応を見て、美夜はレイモンドの方を見た。

 するとどうだろうか。先程まであんなにうれしそうにしていたのに、その様子は欠片かけらも残されていなかった。見下ろす瞳はひどく冷たく、とても自分の子供を見る親のソレとは思えない。


 美夜はわざとレイモンドとクリストファーの間に割り入り、その場にしゃがみこんだ。



「こんにちは」

「こ、こんにちはぁー」



 美夜が頭を撫でてやると、マクシミリアンはえへへと相好そうごうくずした。



(……可愛い)



 思わず美夜の顔にも笑みがれた。


 その瞬間。

 ガッと美夜の両肩をそれぞれ掴む手が二つ。



「……なんですか、この手は」



 片方は逃がさないとばかりにギリギリと手の力を強めてくる。



「君を二人の教育係兼お世話係に任命したい」

「よろしくお願いしますね」



 美夜の頭上から降ってきたのは、そんな言葉だった。


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