2
美夜は遠い目をして、初めてこの国に来た日に思いをはせた。
□■□
その日、美夜は高校の制服に身を包み、朝の課外授業に向かうべく早めに家を出た。
今日の課外は英語だ。しかも単語の小テストがある。
寝る前に必死で頭に叩き込んだ単語が抜けていかないよう、小走りでいつも通る道の角を曲がった。
(……)
後ろを振り返らず、少しバック。
目の中に飛び込んできたありえないモノをどうにかして消し去ろうと頭を振った。
よし、と決意を新たに、再び角を曲がってみる。
するとそこには、やはりというか、通い続けて見慣れた校門──ではなく、洋画や絵画で見たことのある王宮の
(……あ、あはっ。
美夜は回れ右で元来た道を戻ろうとした。
きっとまだ夢の中で、本物の自分はまだベッドの中で安らかな
しかし、現実はあくまでも非情だった。
美夜が求めていた道の姿はなく。
「おい、娘。そこで何をしている」
「あー……暴力反対」
丁度
■□■
「ニッポン? 聞いたことない名前だな。
「嘘? 嘘をついて私が得をすることでも?」
「貴様には
「はぁ? かんちょー? なにそれ」
「得ならば、我々を嘘の証言で
「ちょ、ちょっと待って」
王宮のすぐ側で捕らえられた美夜は、王都にある
確かに、王宮の近くで不審行為を取っていたことは否定しないし、美夜とて
だがしかし、ここではその容疑が命の危機に直結しそうなことぐらい考えずとも分かる。身の潔白を知らしめることは重要事項にして、最優先課題だった。
「大体、いくらなんでも話が一方的過ぎるでしょ!」
「
「だから違うって何度も言ってるじゃない! この石頭!」
「なんだとっ!?」
サッと顔を赤らめた男は美夜の制服の
今まで自分が
美夜と男の
この牢獄一の強面男に立派に渡り合っている美夜を見て、ヒューっと口笛を鳴らした男は、美夜と
「これは一体何の騒ぎですか?」
「さ、
数人の
宰相閣下と呼ばれた男が一歩歩くごとにザッと兵士達が道をあけていく。宰相が美夜と男の前に立った時、
美夜の制服の襟を掴んでいた男もぼうっとその様子を見ていたが、目の前に立つのが宰相であることを思い出し、
「罪人にしてはやけに
「間諜容疑でありますっ!」
「間諜……なるほど」
「だーかーらー違うって言ってるでしょ! この鳥頭!」
「と、とりっ……っ!」
美夜の口の悪さに手を出してやりたいが、高貴な人物の前でそれをするのはいささかまずい。
男は苦虫を
「間諜容疑とは穏やかじゃありませんね。……さぁ、私の目を見てください」
「……
宰相は美夜の
美夜と宰相が見つめ合うこと数十秒。さすがにイケメンの直視に
「……あの、なんですか?」
宰相の行動の意図が全く分からず、ただ
目を見開き、先程まで美夜と言い争っていた男に向かって言い放った。
「このお嬢さんをここから出しなさい」と。
□■□
宰相に連れてこられたのはコレクターからすれば
スパイ容疑で捕らえられ、牢に入れられたかと思えば、今度は王宮の一室へ。めまぐるしく変わる周囲の状況に、美夜は半ば
宰相は牢獄番の男から調書らしきものを受け取っており、馬車の中でもそれを熱心に読みふけっていた。その間、美夜に一切の説明もなくである。
放っておかれてのこの状況。魂飛ばすのも無理からぬことであった。
お茶とお菓子を用意され、ここで待つように言い、宰相が部屋を出てから十分ほど。
監視要員なのか、
ものすごく気まずい雰囲気が部屋に流れ、美夜は身じろぎしたり、お菓子を食べたりしてなんとかその空気を乱そうとした。
「……」
(もう……本当、家に帰りたい)
美夜は
しかし、これからはその考えを改めることにすると心に
それからさらに十分後。
宰相が一人の青年を伴って戻ってきた。
「ほら、この子がそうだよ!」
「レイ、落ち着いて。分かったから。……初めまして。僕はウィリアム。ここの主だよ」
「それってつまり……こっ……っ!?」
連れてこられたのが王宮という時点でこれから会うことになるかもしれない人物に気付くべきであった。
日本の王族とも言うべき皇族にさえ正月の一般参賀などでしかお目にかからない美夜が一番先に出会う王族が異世界の国王になるとは、まさに青天の
同時に何だかよく分からない
女の
……ココに
「実は……君を異世界・ニホンから来た子だと信じてお願いがあるんだ」
嫌な予感しかしないとはこのことだ。
「きょ、拒否権は「ないよ」
「レイモンドっ!」
宰相――レイモンドに食い気味に返され、美夜の口元はひきつった。
ウィリアムが宰相のことを愛称ではなく、ファーストネームで呼び
「ごめんね。でも、君が元いた世界にはすぐは帰れないし、その間の衣食住は僕が責任もって取り計らうよ。どうかな? 悪い話じゃないと思うんだけど……」
「……すぐには帰れない?」
美夜はウィリアムの口から出てきた一言に
スパイ容疑で処刑だと言われることの次に聞きたくない言葉だった。
「うん、残念だけど……あっ、でも、帰った前例がないわけじゃないんだ! ただ、時間がかかるだけで……」
「どのくらいですか?」
「……えっと……」
「どのくらいなんですか!?」
ウィリアムに詰め寄る美夜に、壁際に立っていた兵士が
ウィリアムが言いにくそうにしているのを見かねたのか、それとも単に空気を読まなかったのか、レイモンドはあっさりと答えを口にした。
「ざっと十年以上でしょうか」
「じゅ……十、年? ……十年っ!?」
一瞬聞き間違いかとも思ったが、ウィリアムがそっと
今の美夜の年が十七。単純計算で二十七。それも最低年数で。元に戻る頃には高校の卒業式どころか成人式も終わっているし、立派にアラサーの仲間入りを果たしている。
目指している薬剤師とて大学で六年。それ以前に一発で大学も国家試験も受かるか分からない。
(……冗談じゃない)
どうしてこうなってしまったのだろうか。いつもと変わらず高校へ向かっていただけなのに。
美夜の瞳に
「ちちうえ。おきゃくさま?」
部屋の入口のドアからひょっこりと顔を出したのは可愛らしい小さなお客人達だった。
「マックス、ダメじゃないか。勝手に部屋を抜け出しては」
「ご、ごめんなさい」
「そこにいないで早く入ってきなさい。……あぁ、お前達は下がっていいよ。ご苦労様」
子供達が駆け寄ってきて、美夜を見上げてくる。
いつの間にか身を
「紹介するよ。この子が僕の息子でマクシミリアン。それでこっちの子が……ほら、自分で言いなよ」
「……私の息子でクリストファーです」
さすがに今泣くのはまずいと美夜は涙をぬぐった。
マクシミリアンの方が少し年上で、クリストファーの手を握ったまま離さない。
一方のクリストファーはというと、自分の父親だというのに、名を呼ばれた瞬間ビクリと肩を
どう考えても
するとどうだろうか。先程まであんなに
美夜はわざとレイモンドとクリストファーの間に割り入り、その場にしゃがみこんだ。
「こんにちは」
「こ、こんにちはぁー」
美夜が頭を撫でてやると、マクシミリアンはえへへと
(……可愛い)
思わず美夜の顔にも笑みが
その瞬間。
ガッと美夜の両肩をそれぞれ掴む手が二つ。
「……なんですか、この手は」
片方は逃がさないとばかりにギリギリと手の力を強めてくる。
「君を二人の教育係兼お世話係に任命したい」
「よろしくお願いしますね」
美夜の頭上から降ってきたのは、そんな言葉だった。
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