一幕 童子
最近では暇を持て余し、領地の村をぶらりぶらりと闊歩する。
城の中は窮屈で、けれどもさりとて村を見て回ってもすることがない。
つまらなかった。
何もかも、飽いた。
それでも城の中にいるよりかは幾分かマシと、翌日も早々に課題を終わらせると城を出た。
行く宛もなく、気の向くままに歩く。
横に視線をやれば、田を世話する農民たちの姿が目に映った。
彼らは皆、懸命に稲の世話をしている。
今年の収穫量が望めないことに嘆きつつ、それでも何とか残った稲を護ろうとしているのだろう。
淡々とその様を見て、再びふらりと歩き始めた。
それなりの距離を休むことなく歩き続け、気がつけば、母である土田御前と兄弟の住む末森城の近くまで来ていた。
これも何かの一興と、信長は城の中へと忍び込む。
那古野城とはまた違う雰囲気の漂う城内を、信長は身を隠しつつ歩き回った。
「御前様はどちらに?」
ふと、廊下を歩く女性二人の声が耳に入った。
「今は、信行様の稽古を見守っております。いかがされましたか?」
「御前様お抱えの法師様が、いらっしゃっておりまして」
「ああ、あの法師様か。……御前様が、最近富に引き立てておられる方ですね」
「ええ。御前様が信行様とおられるのならば……このまま法師様にお引き取り願いましょうか。実のところ、私……あの方が恐ろしくて敵わないのです。御前様にもしものことがあったらと……」
「滅多なことを言うでない。法師様は、最近の農民たちの苦しみを知った御前様が何とか祈祷でどうにかならぬものかとお呼びになっている方ですよ」
「そうなのですが……」
言い淀む片方の侍女に同意するかのように、先ほどまで叱咤していたもう片方の侍女は溜息を吐く。
「まあ、実のところ私も同じ思いを抱いたことがありますが。さりとてお通ししなければ、御前様の顔が立ちませぬ。私が御前様に声をけますから、貴女は法師様をご案内なさい」
「はい……」
パタパタと、侍女が騒がしくない程度に駆け出した。
信長は、土田御前に声をかけると言った方の侍女の後を追う。
それからすぐに、信長は母と兄弟を見つけることができた。
弟……信行は、剣の稽古をしているのか大人相手に木刀を構えている。
その様を、眩しいものを見るかのように建物内から土田御前が目を細めて眺めていた。
信長は、じっとその光景を見る。……一体、彼らに会うのはいつぶりだろうか、と。
親子・兄弟でありながら別の城に住む信長は、集まりでもない限り、基本父以外の家族と会うことはない。
信行は懸命に剣を振るう。相対する大人は、それを涼しい顔をしていなしていた。
年の近い信長から見ても、荒削りの、まだまだ無駄の多い動きであった。
けれども、その動きを楽しそうに、あるいは誇らしげに土田御前は一心に見つめている。
ふと、そんな土田御前の元に先ほどの侍女が声をかけた。
「……信行」
ふんわり、柔らかな声が響く。それに、信行は構えを解いた。
「何でしょうか、母上」
「私は、用事ができました。見学を出来ぬことは大変残念ですが、信行は稽古の続きをしっかりとなさい」
「はい、母上」
とてとてと近づく信行の頭を撫でると、土田御前はその場を離れる。
その一幕に、チリリと信長は胸が痛む思いがした。
昨日のような、苦しい痛みではない。否……苦しいことは苦しいのだが、昨日のような身体が不調を訴える感じではないのだ。
この痛みは、一体何だ……?と首を傾げつつ、信長は胸に手を当てる。
どんなに考えても、分からない。分からないということが、面白い。
そういえば、明の医学書を持つ医者がいたなと思い出す。
……帰ったら、見せてもらうよう強請るか。
その前に……と、先ほど侍女が言った『法師』という存在が気になった彼は、土田御前と侍女の後を追った。
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