エピソード9【贈り物】④


そして、赤川さんは俺の肩から手を離すと、


「おっと、そうだそうだ……」


と手帳をめくりながら、思い出したように言った。


「実はな、斉藤……今日……もう1つ事件があったんだ」

「もう1つ……?」

「あぁ……それが、なんだか奇妙な事件なんだ」

「奇妙な事件?」


え?

どういうことだ?


「何があったんですか?」

「実は……」


赤川さんは、首をかしげながら言った。


「2時間ほど前……遺書を書いて自殺していた女がいたんだ」


自殺……?


「え~と……名前は……」


赤川さんは、再び手帳を見ながら言った。


「青山奈々美……23歳」

「え!?」


う、嘘だろ!?


「あ、あおやま!?」


俺は、全身に雷が落ちるような衝撃を感じた。


「ほ、本当ですか!?」

「ああ」


赤川さんは言った。


「その女性が住むマンションの部屋の窓から、ガスが漏れているという通報があってな……駆けつけてみると、遺書が置いてあって自殺を図っていたんだ」


ガ、ガス……?


「どうやら、その女性は勘違いしていたらしい」

「勘違い……?」

「あぁ」


赤川さんは、さらに話を続ける。


「自分が、ヒトミちゃんを殺した犯人だと思い込んでいたようだ」

「ど、どういうことですか??」


え?

え? え??

分からない。

分からない。

俺は、全く意味が分からなかった。


青山さんの事件は、全部、夢の中のこと。

でも、青山さんはこの世に実在しているらしい。

もしかして、オーナーやひろこちゃんも、この世に存在している人物なのか??

一瞬、そんなことも考えたが、今はもうどうでもいい。

とにかく、赤川さんは、彼女が自殺をしていたと言っている。

自殺の手段は、夢の中では青酸カリだった。

だが現実では、ガス中毒。

さらに、その場所もペンションではなく、彼女が住むマンションの一室。

やはり、夢と違う部分も数多くある。

だが、夢の中と現実が、微妙にリンクしているのは間違いない。

分からない。

分からない。

あの夢で、いったいどの部分までが現実として起こっているんだ。


「赤川さん!」


俺は声を荒げた。


「詳しく教えてください!」

「ああ」


赤川さんは言った。


「彼女の遺書の中に、全て書いてあったんだが……」

「は、はい……」


俺は、じっくりと赤川さんの言葉に耳を傾けた。


――そして、5分後。


俺は、全ての内容を理解することになる。

それは、とても不幸な出来事。

青山さんの身に、突然降りかかった不幸としか言いようがなかった。


あの日――


山のふもとを車で走っていた彼女は、カーブでいきなり飛び出してきた鹿に驚いて、とっさにハンドルを切り、ガードレール側でギリギリ停止した。

そして、車から降りた彼女が、暗がりの中、遠目に見たものは、ピクリともせずに横たわっている鹿。

だが彼女は、後日のニュースで、それが人間だったと知る。

青山さんは、自分がヒトミをひいてしまったと思い込む。


しかし、これが彼女の勘違い。


あの時、ヒトミはすでに事故に遭っていた。

息をひきとった状態で、その道路に横たわっていたのだ。

そう。

あの男がヒトミをひき逃げしたあとに、青山さんの車がその場所に遭遇した。

だから、彼女が言っていた通り、車の前に鹿が飛び出してきたのは、ほぼ真実で間違いない。

だが、その鹿は車に当たらなかったか、当たったとしても、さほど重症ではなかったのだろう。

だから、そのまま、山に戻って行ったということだ。

しかし、それに気づかない青山さんは、その瞬間の記憶がないぐらいのパニック状態でしばし呆然としたあと、車の外に出る。


ここからは、先ほど言った通り。


彼女は遠目に見て、地面に横たわっているのが鹿だと思い込む。

次の瞬間、恐くなりその場から立ち去る。

そして後日のニュースで、地面に横たわっていたのが鹿ではなくヒトミだったことを知る。

彼女は、自分がヒトミを殺した犯人だと思い込んでしまう。


そう。

この自殺騒動は、全て彼女の勘違いが引き起こした事件だった。


それは、様々な要因が重なった現象。

暗がりと雨で視界が悪かったこと。

あの男がひき逃げを犯したあとに、青山さんがその道に差し掛かったこと。

急に、山から下りてきた鹿が飛び出してきたこと。

色々な偶然が重なって起こった事件だった。


「赤川さん!」


俺は、さらに1つの疑問がハッと頭に浮かび、慌てて尋ねた。


「そ、その人は、どうなったんですか!?」


俺は声を張り上げ、もう1度言った。


「青山奈々美さんは、どうなったんですか!?」


さらに、赤川さんにつかみかかる。


「彼女は、どうなったんですか!?」

「ど、どうしたんだ! おまえ、ちょっと変だぞ!? 何かあったのか??」


赤川さんは、俺の異変に少し戸惑っていた。

当然だ。

会ったこともない赤の他人の容態を、ここまで必死に心配するなんて、はたから見れば変に決まってる。

だが、周りの目なんか気にしていられない。

俺は、お構いなしにさらに声を荒げた。


「だから、青山奈々美は!?」

「あ、ああ……」

「どうなったんですか!?」


俺は、赤川さんの肩にしがみついて、その答えを待った。

ゴクリと唾を飲み込み、その答えを待った。


どっちだ??

どっちなんだ??

生きてるのか??

死んでるのか??


――すると。


「彼女は……」


赤川さんは、ゆっくりと口を開いた。



「助かったよ」



え……?



「発見が早かったから、なんとか一命はとりとめた。今はまだ、病院の集中治療室にいるけどな」


あぁ……


ストン――


赤川さんの言葉を聞いたとたん、俺はさっきまでの張りつめた緊張感が抜け去り、ヘナヘナと床に座り込んでしまった。


あぁ。

良かった。

良かった。

本当に、本当に良かった。



ポタポタ――

ポタポタ――



あぁ……



ポタポタ――

ポタポタ――



あぁ。

まずい。

涙が止まらない。

止まらないよ。

大粒の涙が、何粒も何粒も溢れてくる。

ポタポタ、ポタポタと、これでもかというぐらい、涙が一気にこぼれ落ちてきた。


その姿を見た赤川さんは、涙を流す俺にそっとハンカチを手渡してくれた。

赤川さんは、いったい今の俺を見てどう思っているんだろう?

おそらく『変な奴だな』と思っているんだろうな。

きっと、いや、確実にそう思っているんだろうな。




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