エピソード8【必要な人】⑩


「どうした……?」


俺は、その空気に耐え切れず尋ねる。


「どうしたんだ、ヒトミ……?」

「…………」


静かに口を閉ざしたまま、何も答えない。


「ヒトミ……?」

「…………」


やはり、何も答えない。

愛する妹はうつむいたまま、何も答えない。


――しかし、10秒後。


『ムクッ』と顔を持ち上げたヒトミは、急にとりつくろうような笑顔を見せ始めた。

それは、明らかに悲しい笑顔。

それは、明らかに俺に気を使った笑顔。


何だ?

何なんだ?

俺の疑問は、深まるばかりだった。


「お兄ちゃん……」


そしてヒトミは、ついに口を開いた。

俺は、かたずを飲んで、ヒトミの言葉に耳を傾けた。


――すると。


「すみませ~んぴょん」


え……?



「残念ながら、私は生き返ることができませ~ん」



え……?

い、今、何て……?


戸惑う俺の姿を見ながら、さらにヒトミは、


「ぴょん」


頭の上で、ウサギの耳の形を両手で作り、


「ぴょん、ぴょん」


と、おどけて見せ始めた。

それは、あの時のポーズ。

高校の制服を、初めて身にまとったあの日。

2人で、しゃぶしゃぶ屋に行ったあの日。

『ヒトコレ』のファッションショーが開催されたあの日。

そう。

それは、あの日俺に見せた、あのウサギのポーズ。

だが、あの時と決定的に違うことがある。

それは、悲しい笑み――

ヒトミは、その悲しい笑みを浮かべたまま、ピョンピョンと小さく飛び跳ねていた。


「お、おい……」


重たい口を開き、俺は言った。


「何言ってんだ、おまえ……?」


そう。

気づくと俺は、あっけにとられたように尋ねていた。

だが、以前のあの時のように、

『そのポーズは何だよ』

『ぴょんって何だよ』

という意味ではない。

『私は、生き返ることができない――』

もちろん、そのことについてだった。


「おまえ……」


俺は、か細い震える声で言った。


「生き返ることができたんじゃないのか……?」


気づくと俺は、真剣にありえない質問をしていた。

生き返ったんじゃないのか?

違うのか?

どういうことなんだ?

必死に、そういう質問を繰り返していた。


「うん……」


やがてヒトミは、静かに口を開いた。


「私は、そういう運命じゃなかったみたい」

「え……?」


でも、とヒトミは話を続ける。


「神様はやさしいよ。お兄ちゃんの今後に必要な人を、1人生き返らせてくれるんだってさ」


必要な人……?


「それはね……」


ヒトミは言った。




「お兄ちゃんが好きになった人だよ」




ヒトミは、はっきりとそう言い切っていた。


ど、どういうことだ?

俺が好きになった人?

その人を神様が生き返らせてくれる?

俺が……好きになった人……?

そ、それって……

そう。

もちろん、俺の頭の中には、1人しか浮かばない。

一目ぼれをして、一瞬で恋に落ちた女性。


青山奈々美――


彼女しか心当たりがなかった。

『神様が、青山さんを生き返らせてくれる』

ヒトミは、確実にそう言っている。

青酸カリを飲んで自殺した青山さん。

彼女が生き返る。

ヒトミは、確実にそう言っていた。


「ヒトミ……」


俺は言った。


「あの人が生き返るって……本当なのか……?」

「うん。神様が助けてくれるってそう言ってたから」


ヒトミは微笑みながら、やはり自信満々で答えた。

ど、どういうことだ?

彼女は、本当に生き返るのか?

ヒトミの代わりに生き返るのか?

だが、それが事実だとしても、手放しで喜べない。


理由は2つある。

1つは、もしそうだとしても、青山さんだけでなく、ヒトミにも生き返ってもらいたいということ。

そして、もう1つの理由。

それは、ヒトミにあの事件の真実を伝えなくてはいけないということ。

そうだよな。

まずは、そのことを、話さなくちゃいけないんだよな。


「実はな……」


俺は、静かなトーンで口を開いた。


「その人は……」


言わなくちゃ……


「青山さんは……」


絶対に言わなくちゃ……



「おまえを殺した犯人なんだ……」



俺は、あの事件の真相を簡潔に話した。

彼女が犯人。

まずは、それだけを伝えた。

そして、これから事件について詳しく話していこうと思ったその時、


「違うよ」


ヒトミは、軽く首を横に振った。


「あの人は、犯人じゃないよ」

「いや、よく聞いてくれ」


俺はすかさず言った。


「おまえは知らないかもしれないけど……青山さんが犯人なんだ」


俺は、もう1度強く念を押した。

本当は、俺だって言いたくない。

でも、しょうがない。

事実なんだからしょうがない。

青山さんは、トュルーチェアーの力を借りずに自分の力で罪を認めたんだ。

だから、まぎれもなく彼女が犯人なんだ。

俺は、そういう気持ちを自分の視線に乗せてヒトミを見つめていた。





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