エピソード8【必要な人】⑨


あぁ。

もうダメだ。

青山さんは死ぬ。

青山さんは死ぬんだ。

なまじ刑事をやっていただけに、そういうことが痛いほど分かってしまう。

あぁ。

もう、助からない。

助からないんだ。

もう、どうすることもできない。


俺は……そう思わずにはいられなかった……


あぁ、神様。

『恋は突然に始まって、突然に終わるもの』

あの言葉は、本当だったのですね。

突然始まった俺の恋は、今、突然終わろうとしています。

あぁ、神様。

この世のありとあらゆる神様、聞いてください。


どうして、俺から大切なものを、いくつも、いくつも、奪っていくんですか。

両親を奪い妹まで奪って、そして今度は妹を殺した犯人を……

俺が好きになった人を……


あぁ、神様。

本当は、あなたたちはこの世にいないんですか。

もし、いるとしても、なんて意地悪なんだ。

あなたは、なんて意地悪なんだ。

なぜ、俺にこのような試練を次から次へと与えるんですか。


「神様は……」


俺は、ありったけの声で叫んだ。




「神様は、なんて意地悪なんだぁぁぁぁぁぁーーー!!」




ガン!――

ガン! ガン!――



俺は、しゃがみこんだまま、床に顔をくっつけ泣き叫んでいた。

『ガン! ガン!』と両手で力いっぱい地面を叩きながら。

嗚咽のようにさえ聞こえる声のまま。

これでもかというぐらい泣き叫んでいた。


神様は、なんて意地悪なんだ。

なんて意地悪なんだ。

その言葉ばかりを繰り返し叫んでいた。


――すると、その時。





「意地悪じゃないよ」





え……?


床に頭をくっつけて悲しみをあらわにしていた俺は、思わずフッと顔を上げた。

なぜなら、どこからともなく、声が聞こえてきたからだ。

その声は、ちょうど俺の背後から聞こえてきた気がする。

でも、ちょっと待てよ。

今、このロビーには誰もいないはず。

みんな、青山さんを運んで、奥の部屋に行ったはず。


「え……?」


ちょ、ちょっと待てよ。

今の声は、聞いたことがある。



バッ!――



俺は、慌てて後ろに振り返った。


「う、うそだ……」


ど、どういうことだ……?

俺は目を見開いたまま、その場で固まってしまった。

あまりの衝撃のために、全身の筋肉や神経が全く働かなくなってしまった。

なぜなら、壁の側に1人の女性が立っていたから。

そう。

それは、まぎれもなく、



ヒトミだった――



1年前に死んだはずの妹がそこにいた。



「神様は……」


ヒトミは言った。


「神様は、そんなに意地悪じゃないよ。ほら、だってこうしてお兄ちゃんに会いに来れたもん」


そう。

そこにいるのは、まぎれもなく愛する妹。

ニコッと笑ってつぶやくヒトミがそこにいた。


「お兄ちゃん、久しぶりだね」

「え……」


俺は、唇を震わせながら尋ねた。


「ヒ、ヒトミなのか……?」

「うん」

「本当にヒトミなのか……?」

「うん、そうだよ」


あぁ。

この声。

この笑顔。

忘れるわけがない。

俺の脳裏に焼きついているんだ。

忘れるわけがない。

目の前にいるのは、やはりヒトミ。

それは、どう見ても間違えようがなかった。


で、でも……でも、どうして……?

分からない。

意味が分からない。

そう思うのは当然のこと。

俺は今、自分の置かれている状況が全く把握できないでいた。


――そして、数秒後。


「あのね……」


ヒトミはさらに、笑顔のまま話を続けた。


「お兄ちゃんの言うことは、やっぱり聞かなきゃいけないね」

「え?」

「ほら、夢でトンボとなめくじがどうこうって……」

「あ、あぁ……」


そう。

ヒトミが言っているのは、あの時のこと。

『タマタマクルリン』の合宿に行く朝。

俺は、夢で見たトンボとなめくじを不吉に思い、ヒトミに合宿に行かないように説得をしていた。

だが結局、ヒトミは合宿に行ってしまい、例のあの事故で命を落としてしまう。


あぁ、そうか。

ヒトミは、あの時のことを言っているのか。

俺は、瞬時にそのことに気がついた。


「あぁ……」


俺は言った。


「あの朝のことか……」

「うん……」


ヒトミは言った。


「ごめんね。あの時、お兄ちゃんの言う通りにしてたら良かったね……」

「もういいよ、そんなこと……」



キュイン――



あぁ。

胸の奥から『キュイン』と熱いものが込み上げてくる。

当然だよな。

あんなに、会いたくて、会いたくて、会いたくて、たまらなかったヒトミが目の前にいるんだから。



キュイン――

キュイン、キュイン――



あぁ。

どんどん、熱いものが込み上げてくる。



「ヒトミ……」


さらに俺は言った。


「あの時のことなんか、もう気にするなよ」



キュイン――

キュイン、キュイン――



「だってさ……信じられないけど、こうやって生き返ることができたんだし……」


俺は、徐々に目の前の状況を受け入れ始めていた。

まさに、人生でこれ以上ない、最高の気持ち。

死んだ人が生き返るという奇跡のプレゼントを貰ったのだから。

もちろん、俺がありえない光景を目の当たりにしていることは分かってる。

分かってる。

分かってるさ。

でも現実に、愛する妹がすぐそこにいるんだ。

信じるに決まってる。

これは、神様からのプレゼントだと信じるに決まってる。

やはり神様はいる。

奇跡を起こす神様はいる。

俺は、そう思わずにはいられなかった。

――だが。


「…………」


え……?

ヒトミの顔からいきなり笑顔が消え、寂しそうにうつむき始めた。

まるで、わずかな重力にも逆らえないかのように、一向に顔が上がってこない。

さっきまでの明るい雰囲気は、一瞬でどこかに消え去っていた。

なぜかは分からない。

だが、俺とヒトミの距離、1.7メートルの間にある空気感は、確実にガラリと変わっていた。




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