エピソード8【必要な人】⑥


そして、わずかな静寂のあと、


「実は……」


青山さんは、トュルーチェアーの力に身をゆだね、ゆっくりと口を開いた。


「1年前の、あの雨の日……私は仕事が長引き、疲労を抱えていたにもかかわらず、親戚の家に用事があるため……土地勘も乏しい慣れない道を、急いで車で走っていました」


あぁ……

喋り始めた……


「その時の私は仕事の疲れもあり、暗闇の雨の中、かなりのスピードを出していた自分に気づいていなかったんです」


……


「そして、この山のふもとを走っていて、カーブに差し掛かった時、何かが飛び出してくる影が見えたんです……私は、山から下りてきた鹿が飛び出してきたんだと思いました……」


……


「危ない! と思い、とっさにハンドルを切りました。でも、その時のことはよく覚えていません……今まで味わったことのないようなパニックに陥っていたからです」


……


「その瞬間の記憶は、今でも思い出せません……気づいた時には、ただ、私の車がガードレールの側、ギリギリに止まっていたんです」


……


「私は車から下り、その場で暗がりの雨の中を遠目で見てみました……すると、車から離れた場所でうっすらと見えたんです……鹿がピクリともせずに横たわっていたんです」


……


「私は、恐くなって逃げました……いくら鹿とはいえ、ひいてしまったと……」


……


「そして、5日後……たまたま目にしたニュースで、ひき逃げ事件のことを知り……それを見た私は、恐怖でガタガタと体が震えだしました……その場所、日時……全てが一緒だったんです……私が鹿をひいてしまったあの時と……」


あぁ……


「私は、その時初めて知りました……私がひいてしまったのは……あの時、横たわっていたのは、その女の子だと……」


青山さん……


「テレビから流れるニュースを、ただ呆然と眺めていました……」


そして、と青山さんは言った。


「どうしよう……大変なことをしてしまった……と思う反面、こんな考えも頭をよぎりました……」


ヒトミ……

やっぱり、この人なのか……


「こんなことが公になれば、私の人生は無茶苦茶だ。幸い誰も見ていなかったし、こんな土砂降りの中なら証拠も残らないだろう……その時の私は、そんな風にも思っていました……」


あぁ……止められない……

もう誰にも、トュルーチェアーの効力を身にまとった青山さんの告白は止められない。


「そう……思っていました……」


ポロリ――


あぁ……涙だ……

青山さんの目から涙がこぼれ始めた。


「その時の私は……人間ではありませんでした……」


あぁ……


「悪魔……人間の形をした悪魔だったんです……」



ポロポロ――

ポロポロ――



涙が……

どんどんこぼれていく……


「私は、今になって後悔しています……なぜあの時、車を下りたあと、近くに行って助けようとしなかったのか……そうすれば、鹿じゃないことが……人間だということがすぐに分かったのに……」


…………


「それになにより、もしかしたら、あの子は助かったんじゃないか……私は取り返しのつかないことをしてしまった……この1年、そのことだけを考えて生きてきました……」


…………


「私は、最低な人間です。1年もの間、自首することもできず……そして、椅子の力を借りなければ本当のことも話せないなんて……」


…………


「私は……最低な人間なんです……」


…………


「すみませんでした……」


あぁ……

ヒトミ……


「本当に、すみませんでした……」



ポロリ――

ポロリ、ポロリ――



あぁ……

青山さん……


青山さんは大粒の涙を流しながら、ずっとずっと謝り続けていた。

そして俺は、ただ呆然とその姿を見ていることしかできなかった。

ヒトミのことを考え、青山さんのことを考え、またヒトミのことを考え、また青山さんのことを考え……2人の女性のことが、グルグルと頭の中を駆け巡っていた。


もちろん、心の中ではこう叫びたい。


こんなのは茶番だ!

誘導尋問だ!

真実しか話せない椅子なんてあるわけないんだ!


大声でこう叫びたかった。


この人は、俺が好きになった人!

犯人なわけないんだ!


声が続く限り、こう叫びたかった。


だが、何も言えなかった。

このトュルーチェアーの力は、俺もこの目で何度も見ている。

それが何よりの証拠。

青山さんが、ヒトミを殺した犯人。

それは、揺るぎない事実だった。



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