エピソード8【必要な人】⑤
あぁ、チャンスの神様。
あなたが僕に与えてくれたチャンスは、こういうことなのですか。
愛する妹の命を奪ったかもしれない女性とひき合わせる。
それが、あなたから僕へのプレゼントなのですか。
でも、それは間違いです。
彼女が犯人だなんて、僕は信じられません。
そう。
青山さんが、落ち着いて泊まれる所を探していたという理由だけで、俺は彼女を犯人とは決めつけられなかった。
「俺だって…………」
俺は拳を握り締め、ブルブルと震わせながら喋り始める。
「俺だって刑事だったんだ! 青山さんが犯人じゃないかどうかぐらい、その人の人柄を見ればすぐに分かる!」
俺は、力の限りそう訴えていた。
違う!
違う!
彼女は犯人じゃない。
彼女は俺が好きになった人。
犯人なわけがない。
俺は、そう思わずにはいられなかった。
しかし、岡本さんは、
「斉藤くん……落ち着け……」
やはり冷静だった。
「ええか……人柄だけで分かるもんやない。それにあんたは……この人に特別な感情を抱いている。おそらく冷静な判断はできんと思う。ちゃうか?」
「え…………」
図星だった。
確かに今の俺に、冷静な判断力は微塵もなかった。
あるのは、何が何でも青山さんを守りたい。
ただ、その気持ちだけだった。
「青山さん、お願いや……」
コトン――
岡本さんは、トュルーチェアーを少し青山さんの近くに移動させ、彼女に静かに語りかけた。
「この事件は、犯人の自首にかかってるんや……このままじゃ迷宮入りになってしまう……もし、うまく喋れへんのやったら、この椅子にもう1度座ってほしい……」
全員の目が、岡本さんと青山さんの2人が作り出す特殊な空間に釘付けになっていた。
もちろん、岡本さんが彼女に遠回しに言っていることは……
自白してくれ。
トュルーチェアーに座ってでもいいから。
本当のことを喋ってくれ。
そう言っているのは、誰の目にも明らかだった。
そして、その話を聞いていた俺は、うつむいたまま、ずっと首を横に振っていた。
違う。
違う。
心の中で、何回も、何回もそうつぶやいていた。
俺が好きになった人が、犯人なわけがない。
ヒトミを殺した犯人なわけがない。
あぁ、神様。
助けてください。
青山さんを助けてください。
彼女は、何もしていないはずです。
だから、助けてください。
俺は、ずっと、ずっとそう祈っていた。
しかし、俺の好きになった人は、
「斉藤さん……」
悲しそうな笑みを浮かべ、静かに喋り始めた。
「私をかばってくれてありがとうございます……」
さっと、右手で綺麗な黒髪をかきあげる。
「でも……」
目を閉じ、小さく息を吐き出す。
「私……あなたの期待に答えられないと思います……」
え……?
「斉藤さん、さっき言ってくれましたよね。私と出会ったのは運命だって。それは、おそらくお互いが、この1年間の呪縛から解き放たれるために、神様が巡り合わせてくれたんじゃないでしょうか……」
ま、待ってくれ……
「私は……弱い人間です。この椅子の力を借りなければ、心の中に思っていることも喋れないような……弱い人間です」
う、嘘だろ……
スーッ……
俺は、全身の力が一気に抜けていくような感覚に襲われていた。
もちろん、その原因は彼女が話す1つ1つの言葉。
その全ての言葉が、俺に突き刺さってきた。
彼女の口から出る言葉が、俺の力を全て奪っていった。
パンパンに膨らんだ風船の出口があっけなく開き、中身の空気をとめどなく吐き出すように、
スーッ……
スーッ……
と俺の心は、空気漏れを始めていた。
そう。
言いようのない緊張感で覆われていた俺の心は、一気に壊れ始めていた。
ストン――
次の瞬間、俺は膝から崩れ落ちてしまう。
あぁ、まずい。
どうやら、心のエネルギーが全部放出されてしまったようだ。
立ち上がる気力が出てこない。
心の空気漏れは、想像を遥かに超えるほどの深刻さ。
淡々と話す彼女のその姿を、ただ見つめているしかできなかった。
まるで、俺と青山さんの間には、果てしない深さの崖があるよう。
何もできない。
声をかけることもできない。
ただ、彼女を見ていることしかできなかった。
そして、青山さんは胸に手を置き『フーッ』と大きく息を吐き出すと、
「失礼します……」
真実を映し出す椅子に、スッと腰をおろした。
そう。
それは、一瞬の出来事だった。
人が椅子に座るという何気ない動作。
そのありふれた動きに、これほど釘付けになったことがかつてあっただろうか。
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