エピソード8【必要な人】④


「え~と……ほな、この話をしよかな……」


さあ!

どんな話なんだ!?

岡本さんの話が恐ければ恐いほど、青山さんが俺に抱きついてくれるチャンスが広がる。

俺の中に、色々な期待を込めたドキドキ感がものすごい勢いで湧き上がってきた。


「え~とな……」


岡本さんは腕を組みながら、思い出すように言った。


「さっきの話なんやけど……」


ん?

さっきの話?


「さっきのひき逃げ事件の怪談話なんやけど……」


え……?


「オチまで言うてなかったよな……」


この話って……?


「実は……」


さらに、岡本さんは言った。


「そのひき逃げ事件の犯人を捜しとった刑事は、1つの言葉を信じてたんや」


それは、と岡本さんは言った。


「犯人は現場に戻る……その言葉を信じとったんや」


岡本さんは、淡々とした口調でゆっくりと話していた。

そう。

あの話を。

それは、例のひき逃げ事件の話。

2時間ほど前に、俺が途中で遮ってしまった話の続き。

『やめろ!』と叫んで中断させてしまった話の続きだった。


ま、まずい。

あの話は、俺の体に異変を起こさせる。

俺は、即座にそう思った。


――だが。




…………




あ、あれ……?


不思議だ。

今回は、なぜかその言葉の1つ1つに引き込まれていく。

あの事件の話を聞いても、全くさっきのような感覚に襲われない。

『バチバチ』という、全身が雷に打たれるような感覚。

『ガンガン』という、頭が割れるような感覚。

そういう感覚に全く襲われない。

ひょっとしたら、この短時間で少なからず免疫ができたのだろうか。

それは、よく分からない。

とにかく、岡本さんの話をじっくり聞きたい。

なぜか、そういう衝動にかられていた。

だからだろう。

俺は前のめりになり、さらにじっくりと耳を傾けた。


「犯人は現場に戻る……」


少しの空白を置いて、岡本さんは言った。


「なんで、その言葉を信じなあかんかったんか……そんな確実やない言葉にすがらなあかんかったんか……それは……」


立ち上がり少し歩くと、テーブルに置いている水の入ったグラスを持ち始めた。


「手がかりも証拠も何も無かったから……」


なぜなら、と岡本さんは言った。


「その日は、雨やったからや」


グラスの中の氷を、クルクルと回し始める。


「その刑事は犯人が戻ってくることを信じて、現場でひたすら聞き込みをしとったんや」


すると、と岡本さんは言った。


「あるコンビニの店員に、こんな話を聞くことができたんや……人が来なくて、ひっそりと泊まれる所を探している女性がいた……と」


水をグイッと飲み干す。


「その刑事も行き先を教えてもらい、そのペンションに辿りついた……するとそこには、真実しか話せないという不思議な椅子があった……その刑事はチャンスやと思い、来る客、来る客をその椅子に座らせてみることにしましたとさ……」


グラスを、そっとテーブルに戻す。


「もし犯人やったら…………自白すると思ってな」


カラン、カラン――


グラスがテーブルに置かれた瞬間、バランスを崩した3つの氷たちのぶつかる音が小さく響き渡った。


あぁ。

まるで、スローモーションだ。

その時、俺の目に映るものや、耳に入る言葉が、現実の日常とは思えないぐらいゆっくりと流れていた。

人が水を飲むという何気ない行為を、食い入るように見つめていた。

なぜだろう。

それだけ、岡本さんの話に引き込まれていたからだろうか。


そして、約8秒間――――

岡本さんは、じっと1人の人だけを見つめていた。

その視線の先にいる人物。

それは……



青山さんだった――



そう。

ただ、ただ、青山さんだけを、じっと見つめていた。

そして岡本さんは、今までにない真面目な顔つきで、


「私は……」


と話し始めた。


「今の話に出てきた刑事です」


え……?


「青山さん……」


岡本さんは言った。


「すんませんが、ちょっとだけでええから話聞かせてもらってええかな……もしくは……もう1回、この椅子に座ってもらうとか」


いたってやさしい口調で話しながら、岡本さんはトュルーチェアーの背もたれにそっと手を置いた。


そう。

岡本さんは刑事だった。


俺は今の話を聞いて、少し混乱してしまう。

その理由はこうだ。

赤川さんが指揮を取っているはずのこのひき逃げ事件を、なぜ岡本さんが捜査しているのか。

そもそも俺は、岡本さんとは今日が初対面。

刑事時代に、会ったことも見たこともなかった。

もともとは、他の部署だったのか?

それとも、よその管轄だったのか?

そこまでは分からない。

ただ、1つだけ分かること。

それは、現在、捜査をしているうちの1人がこの岡本さんだということ。

それだけは、はっきりと分かっていた。


だが、岡本さんが、この事件に携わるようになった経緯などどうでもいい。

肝心なのは、そこじゃない。

大事なことは、ただ1つ。


青山さんが、ひき逃げ事件の犯人――


岡本さんが、そう言っていることだった。


「嘘だ……」


俺は、気づくとそうつぶやき始めていた。

嘘だ。

嘘だ。

嘘だ。

何度も、何度もそうつぶやいていた。

そして俺の気持ちは、




「嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!」




中の空気が膨張し破裂した風船のように、全く抑えることができなくなっていた。


「何言ってるんだ! この人が! 青山さんが犯人なわけないだろ!」


気づくと、俺は声を荒げて怒鳴っていた。

言葉遣いも、どんどん荒々しくなっていく。

ふざけるな!

ふざけるな!

何度も、何度もそう繰り返していた。


だが、岡本さんは冷静だ。

視線を、青山さんから俺、そしてまた青山さんへと動かしたあと、静かに口を開いた。


「すまんが、きみは黙っててくれへんか……」


俺は、すかさず反論する。


「何言ってるんだ……青山さんが、ヒトミをひき逃げした犯人なわけないだろ……」

「…………」


岡本さんは何も言わずに、再び俺に視線を向ける。

そして、今度は俺だけをじっと見つめていた。


何も喋らない。

俺だけを見ている。

なぜ?

その理由はすぐに分かった。

おそらくこうだろう。

俺が、ヒトミという名前を発したこと。

俺の苗字が、斉藤だということ。

この2つで充分だ。


俺が、被害者の兄だということは――


そのことに瞬間的に気づいたのだろう。

いや、待てよ。

というよりも、岡本さんは最初から分かっていたのかもしれない。

そうか。

そうだよな。

おそらく、そうだろう。

捜査のために、客として振る舞っていたが、知っていたのだろう。


俺が、被害者の兄だということぐらい知っていたのだろう。

俺が、刑事を辞めたことぐらい知っていたのだろう。

俺が、このペンションで働いていることぐらい知っていたのだろう。


いや、俺が働いていたことは知らないか。

俺は、誰にも言わずにここに来たから。

ということは、俺とここで出会ったのは偶然ということか。

でも、今はどうでもいい。

肝心なのは、青山さんが容疑者として名前をあげられているという事実だ。


確かに、青山さんはこう言っていた。

『どこかに、人が少なくて落ち着いてゆっくり泊まれる所はないか、この山のふもとのコンビニで聞いたんです』……と。


そして、俺はもう1つ思い出したことがある。

それは、青山さんがここに来た時、岡本さんが言っていた言葉。

そう。

岡本さんはこう言っていた

『このペンションに来た人間は、必ずこの椅子に座らなければならな~~い!! それが、このペンションさくらの掟であ~~る!!』……と。

ふざけながら、こう言っていた。


そして、すぐに彼女をトュルーチェアーに座らそうとしていた。

今思えば、その意味がすごく分かる。


犯人かもしれないと睨んでいたから。

うまくいけば、自白させられると思っていたから。


でも、結局、青山さんの口から出た言葉は、俺に一目ぼれをしたということ。

それを聞いた俺は、舞い上がっていた。

嬉しさで舞い上がっていた。


だが、岡本さんの行動の裏には、こういう思惑があったのだ。





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