エピソード8【必要な人】②


――そして、数秒後。


「あ、あの、私……」


俺の祈りが届いたのかどうかは分からないが、もう1度息を吐き出し、青山さんは喋り始めた。


「私……斉藤さんのこと……」

「は、はい……」


お、落ち着け!

落ち着け、俺!


「実は……」


青山さんはうつむき加減で、さらにそわそわし始めていた。


ドキドキ。

ドキドキ。


俺の心臓の鼓動は、今までと比べものにならないぐらい、どんどん速くなっていた。


早く、早く言ってくれ。

俺に向かって、好きだと言ってくれ。

俺は、心の中で必死に祈り続けていた。

だが、俺がさらに前のめりになったその時、


「いえ……何でもないです」


え?


「すみません……何でもないです」


今までの雰囲気が嘘のように、青山さんはニコッと笑って、それ以上言葉を続けようとはしなかった。


うそ。

うそだろ。


あぁ。

チャンスの神様。


青山さんは、俺に気があったのではないのですか?

違ったのですか?

俺の勘違いなのですか?

仮に、恋心を抱いてくれていたとしましょう。

そうすると、青山さんも、あなたの前髪をつかむことはできなかったということですよね。


あぁ。

意地悪だ。

本当に、あなたは意地悪だ。

なんで、前髪をつかませてあげなかったんですか。

神様は意地悪だ。

俺は、そう思わずにはいられなかった。


それからしばらくの間、俺と青山さんは何も話すことなく、ただただ窓の外の雪を眺めていた。

そして、さらに20秒ほど経った時だろうか。


「今日は、寒いですね」


青山さんがポツリと言った。


「そ、そうですね」


俺は、戸惑いながら答える。

さらに、5秒後。


「夕食おいしかったですね」


再び、青山さんがポツリと言った。


「そ、そうですね」


俺は、再び戸惑いながら答える。


あぁ。

どうしよう。

どうしよう、どうしよう。

明らかに、俺も彼女も沈黙を恐れての会話になっている。

まずい。

まずい、まずい。

青山さんが、時間を持て余しているのは確実だ。

その証拠に、チラチラと壁掛け時計の秒針を目で追いかけている。

おそらく、彼女はこう思っているだろう。

『あぁ、みんな早く帰ってこないかな』

もしくは、

『あぁ、早く部屋に戻って眠りたいな』

きっと、こう思っているだろう。

たぶん、これは俺の思い過ごしじゃないだろう。

100パーセントに近い確立で、そう思っているだろう。

いくら恋に不器用な俺でも、それぐらいは分かる。


カチ、カチ――

カチ、カチ――


や、やばい。

秒針が作り出す小さな音が、はっきりと聞こえ始めてきた。

これは、かなり深い沈黙が訪れている証拠だ。

まずい。

何か話さなきゃな。

このままじゃ、変な空気になりかねない。

あっ! そうだ!

そうだ! そうだ!

さっきのあの話をしよう。

ヒトミの髪に、ガムがくっついた話をしよう。


「あ、あの」


俺は、青山さんに慌てて声をかけた。


「こんな話があるんですよ」

「何ですか?」

「実は、髪の毛にガムが……」


俺は、とにかく無言の時間を作らないように、必死で話を続けようとした。

すると、その直後だった。



「ちょっとぉぉぉぉ~~!!」



大声と共に、いきなりオーナーがロビーに飛び込んできた。


「いい大人なんだから、普通はチューぐらいするでしょ! 2人きりだったんだからさ~!」


オーナーは何度も舌打ちをして、不満そうな空気を漂わせていた。

そしてオーナーの後ろからは、武藤谷さんと岡本さんもニヤニヤと笑いながら入ってきた。

さらに、そのあとを隠れるように、コソコソッとひろこちゃんもついてきていた。


え?

な、何なんだ??

この人たちは、何をやっているんだ??


「あ、あの……」


俺は、目を丸くしてオーナーに尋ねる。


「いったい、いつから見てたんですか……?」


すると、オーナーは、


「え? つい今」


と、何も悪びれる様子もなく答え始めた。


「あなたたちが見つめ合って、いい雰囲気だったシーンから見てたかな」

「は、はあ……」


ということは……青山さんが、俺に告白しそうな空気を出していた時か。


「そ、そうだったんですか」


俺は、戸惑いながら口を開いた。


「てっきり、まだ奥の部屋に美女を見に行っているもんだと……」


俺は、そう言いながら、チラッとひろこちゃんに視線を送った。

すると、ひろこちゃんは胸の前で手を合わせて『ごめんなさい』と申し訳なさそうにアイコンタクトで謝ってくる。

あぁ。

なるほど。

そういうことか。

要するに、絶世の美女ツアーが、長い時間引っ張れなかったってことか。

だから、ひろこちゃんは沈んだ顔をしてるのか。

そして、みんなでロビーに戻ってくると、俺と青山さんが桃色の雰囲気をかもし出していた。そういう空気は、オーナーたちにとっては絶好のイベントだ。

よって、面白がって、柱の影から覗き見することになった。

それに対して、ひろこちゃんは多少、罪悪感を感じているのか。

『ごめんなさい。もっと時間を作ってあげられなくて』

ひろこちゃんの顔には、そういう謝罪の言葉がずっと浮かび上がっているようだった。


でも、ひろこちゃん。

ひろこちゃんは、充分な時間を俺に与えてくれたよ。

チャンスを生かせずに、臆病になってしまった俺が悪いんだよ。

だから気にしないで。

俺は、そういう気持ちを込めて『いいよ、いいよ』と笑顔で首を横に振りアイコンタクトを送った。


うん。

しょうがない。

とりあえず、今夜はこれで終わりにしよう。

もう、夜の11時48分だもんな。

こうなったら、しょうがない。

作戦変更だ。

青山さんへの恋の告白については、朝までに考えよう。




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