エピソード8【必要な人】①


――午後11時31分。


1度やんでいた窓の外の雪は再び降り出し、徐々に激しさを増し始めていた。

明日は、かなり深く積もるかもしれない。

見たこともないような素晴らしい銀世界になるかもしれない。

そう思わせるような光景だった。


そして俺は、ヒトミとの思い出を、青山さんに包み隠さず話していた。


ヒトミは、料理が上手だったこと。

特に、ハンバーグが絶品だったこと。


ヒトミは、高校の制服がとても似合っていたこと。

その姿が、ちょっと大人びたように見えたこと。


ヒトミは、俺が寝たあとに、しっかりとシャツにアイロンをかけてくれたこと。

さらに、それに似合うネクタイもコーディネートしてくれたこと。


ヒトミは、俺が家に帰ったら、いつも笑顔で『おかえり』って言ってくれたこと。

何か家事をしていても、必ず玄関まで迎えに来てくれたこと。


何気ない日常の楽しかった記憶を、思いつくままに、いっぱいいっぱい話していた。

そして、さらにヒトミのエピソードは尽きることなく頭に浮かんでくる。

あぁ、そうだ。

次は、あの時の話をしよう。

ヒトミが、ガムを噛んだまま寝てしまって、起きると髪の毛にべったりとガムがついていた時の話を。


クスッ。

あの時は面白かったな。

お互い、ガムを取る豆知識なんか知らないから、髪を切ってしまおうってことになって。

俺が、緊張しながらハサミを手に持って。

『俺はカリスマ美容師だ』と、自分に暗示をかけて切り始めて。

チョキ、チョキ。

チョキ、チョキ。

すると案の定、失敗して。

予想以上に、失敗して。

見事なおかっぱ頭の出来上がり。

クスッ。

この話は面白いぞ。

青山さんも、絶対にお腹を抱えて笑うだろうな。

きっと、いや、確実に。

よし。次は、この話をしよう。

俺はそう思い、この新たなエピソードを話そうとし始める。


――だが、その時。


「あっ……」


俺は、やっと気がついた。

そう。

なぜ俺は、こんな事をたて続けに楽しそうに話しているんだと。

あぁ。

しまった。

やってしまった。

青山さんと、会話のキャッチボールをすることもなく、ただ一方的に喋ってしまった。

至福の時間を共有する会話というのは、お互いのキャッチボールがあってのこと。

俺はただ、一方通行でボールを投げていた。

それは、もはや会話というよりは演説に近いような感じだった。


「あの……」


俺は頭をかきながら、軽く頭を下げる。


「すみません……こんな話、面白くないですよね」

「いえ……」


青山さんは、ニコッとしながら首を横に振った。


「そんなことありません。すごく仲が良かったんだな~って伝わってきました」

「そ、そうですか」


俺は少しホッとした。

あぁ、良かった。

どうやら、俺の思い過ごしだったようだ。

どうも俺は、好きな人に対して必要以上に気を使ってしまう。

考えなくていいことまで考えてしまう。

まあ、それが恋というものなんだろうな。

おそらく、いや、きっと。

世の中の何万、何千万という人が、俺と似たような自問自答を繰り返しているに違いない。

まあ、それが恋というものなんだろうな。

きっと、いや、確実に。

俺は、そう思わずにはいられなかった。


そして青山さんは、フーッと控えめな深呼吸をすると、


「あの……」


真剣な眼差しで口を開いた。


「私……斉藤さんに聞いてほしいことが……」

「え?」


え?

え? え??


俺は、心臓が口から飛び出しそうなほどドキッとした


ドキドキ。

ドキドキ。


ダ、ダメだ。

胸のドキドキ感は、勢いを増すばかりだ。

聞いてほしいこと?

な、何だ??

俺は膨れ上がった緊張から、青山さんの顔をまともに見ることもできなくなってきた。

チラッと青山さんに目を向けると、彼女は手の置き所に困りつつ下を向いたまま、モジモジとしている。


ドキドキ。

ドキドキ。


こ、これは!

ひょ、ひょっとして!


ドッキーン!


俺は、なぜだかそわそわしている彼女のその姿を見て、1つのことが頭に浮かんだ。

『青山さんは、俺に告白しようとしている』

そういう思考が頭に浮かんだ。


でも、ちょっと待てよ。

俺は、すっかりチャンスの神様に見放されたはず。

前髪をつかみ損ねたはず。

スーッと、彼は俺の前を通り過ぎていったはず。


あぁ、チャンスの神様。

あなたが、前髪しかないというのは本当なのですか?

ひょっとしたら、あなたは後ろ髪もあるんじゃないのですか?

僕は、あなたの隠されていた後ろ髪を無理矢理つかんだんじゃないのですか?

あなたが通り過ぎたあとに、僕は偶然、後ろ髪をつかむことができたんじゃないのですか?

そうじゃないと、つじつまが合わない。

だってそうでしょう?

先ほど、恋の告白をして気持ちを伝えることができなかった僕に、またチャンスが巡ってきたんですから。


あっ!

ひょっとしたら、あなたは……今は、青山さんのほうに向かっているのですか?

そして青山さんが、あなたの前髪をつかもうとしている。

俺に気持ちを伝えようとしている。

そういうことなのですね?


なるほど。

うん、それなら、つじつまが合う。


あぁ、チャンスの神様。

そういうことでいいんですか?

すごく自分に都合のいい解釈ですが、そういうことでいいんですか?

だとしたらお願いします。

青山さんに、前髪をつかませてやってください。

俺に告白するように力を貸してやってください。

すごく自分に都合のいいお願いですが、よろしくお願いします。

俺は、全くの他力本願で祈っていた。

きっと近くにいるであろう、チャンスの神様に心の底から祈っていた。


まあ、言ってみれば、棚からぼた餅。

だが、きっかけなんかどうでもいい。どちらから告白するかなんてどっちでもいい。

要は、気持ちが通じ合うというのが大事なのだから。

だから、青山さん。

俺に、告白してください。

俺は、そう思わずにはいられなかった。





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